中国新聞 – Wikipedia

中国新聞(ちゅうごくしんぶん、題字は中國新聞)は、広島県広島市に本社を置く中国新聞社が発行している新聞(地方紙)である。1892年5月5日創刊。最大印刷ページ数は40ページ。

広島県を中心に、山口県、岡山県、島根県でも発行・販売されている。鳥取県では、島根版を他紙販売店に委託し、一部地域で販売している[補足 1]。また、愛媛県の島嶼部(芸予諸島)でも販売されている。
2021年2月現在の発行部数は朝刊53万9054部(中国新聞社販売局調べ)。電子版も発行しており、発行地域外でも購読可能。広島県の県紙であると同時に、中国地方における購読者が多く、発行部数も地方紙として最大規模なことからブロック紙として扱われることも多い[3][4][5]

地元の視線で書かれた記事も多く、特にマツダに関する報道が多い。また、原爆(核兵器)や平和に関する記事でも高い評価を得ている[補足 2]。また、反暴走族の論調や暴力団追放キャンペーンでも知られている。さらに、広島県は広島東洋カープ、サンフレッチェ広島、広島ドラゴンフライズ、JTサンダーズ広島、湧永製薬ハンドボール部など、地元に一流スポーツチームが多数存在するため、スポーツ記事も充実している。このように、他県の地方紙に比べて地元独自のキラーコンテンツを豊富に持っていることが、購読者数の多さ[補足 3] や、全国紙を圧倒する世帯普及率50%を超える地元シェアの高さに繋がっている。

2005年11月には、廿日市市大野に中国新聞広島制作センター(通称「ちゅーピーパーク」)が完成し、24個面フルカラー印刷が可能な輪転機を備えた。さらには、広島市のほか福山市、周南市の3本社体制で新聞の発行を行っている。

2012年11月1日より、東京都中央区銀座にある広島ブランドショップ「tau(たう)」でも中国新聞とデイリースポーツ広島版を購入できるようになった。昼頃から販売される[7]

2015年4月30日をもって91年続いた夕刊を休刊[8]。販売地域が複数の都府県にまたがる地方紙、いわゆるブロック紙のレベルで夕刊を休刊するのは中国新聞が初めて[9]

同年5月1日には「第二の朝刊」と位置づける『中国新聞SELECT(セレクト)』を創刊[10]。朝刊と同サイズのフルカラー16面構成で[1]、一部の夕刊の連載も引き継いでいる[補足 4]。原則として火曜日から日曜日発行[10]。創刊当初は、朝刊と併せての配達のみだったが、2016年5月から、コンビニエンスストアなどで一部売りを開始した[1]

  • 1892年5月5日 日刊「中國」として創刊。
  • 1908年6月21日 紙齢5000号を機に、題字を「中國新聞」に改名。
  • 1941年9月1日 傘下の呉新聞が芸備日日新聞を統合。
  • 1945年8月6日 原爆投下のため、本社が被災。朝日新聞社に代行印刷を依頼し、2日間休刊して同月9日から再発行。
  • 1948年 中国新聞が呉新聞を統合。
  • 1959年 新聞協会賞の編集部門で連載企画「瀬戸内海」が受賞。
  • 1965年 暴力追放キャンペーンで菊池寛賞受賞。新聞協会賞の編集部門で連載企画「ヒロシマ20年」など一連の原爆報道が受賞。
  • 1982年1月1日 紙面の文字を拡大し、1段15文字から13文字に移行。
  • 1985年 新聞協会賞の編集部門で「ヒロシマ40年」報道が受賞。第二社会面の連載「ほのぼの」が「小さな親切運動」特別賞受賞。
  • 1986年10月15日 新聞協会賞の編集部門で連載企画「シベリア抑留」が、経営・業務部門で「地域情報ネットワーク」がダブル受賞。
  • 1987年 新聞協会賞の経営・業務部門で「ひろしまフラワーフェスティバルの創造と展開」が受賞。
  • 1990年 新聞協会賞の編集部門で連載企画「世界のヒバクシャ」が受賞。
  • 1991年5月7日 紙面の文字を拡大し、1段13文字から12文字に移行。
  • 1992年1月1日 同年の創刊100周年を機に、“新”の字の偏を“立+未”から“立+木”に改める。
  • 同年10月15日 新聞協会賞の経営・業務部門で「エリアデータベースの構築と活用~情報新時代の販売所経営」が受賞。
  • 1995年 田城明記者のインタビューシリーズ「核時代 昨日・今日・明日」でボーン・上田記念国際記者賞受賞。新聞協会賞の編集部門で「ヒロシマ50年」の報道(特集「検証ヒロシマ」、連載「核と人間」、インタビューシリーズ「核時代 昨日・今日・明日」など)が受賞。
  • 1996年4月1日 ホームページ開設。
  • 1999年 新聞協会賞の編集部門で「であい しまなみ」が受賞。
  • 2001年1月4日 紙面の文字を拡大し、1段12文字から11文字に移行。
  • 同年5月1日 「中国新聞 備後」と「中国新聞 山口」の本社版を創刊し、3郷土紙体制に移行。
  • 2002年 新聞協会賞の編集部門で「断ち切れ 暴走の連鎖-『ただいま』が聞きたくて」が受賞。合計11回目の受賞であり、地方紙の最多受賞記録を更新。
  • 2003年5月1日 新印刷工場の福山制作センター(プレッセびんご、2005年11月から「ふくやまちゅーピーパーク」)が本格稼動。3本社がそれぞれ独自の紙面作りを開始。
  • 2008年3月24日 紙面の文字を拡大し、1段11文字から10文字に移行。
  • 2009年 新聞協会賞の経営・業務部門で「夢のボールパーク誕生サポート-地域とともに歩む総合メディア企業の実践-」が受賞。
  • 2011年10月1日 紙面の文字を面積比で約12%拡大。
  • 2015年4月30日 夕刊を休刊[8]
  • 同年5月1日 SELECT創刊[8]
2012年5月5日付朝刊の創刊120周年特集より引用。
広島県と山陰地方では、ラテ欄等の体裁が異なる。
題字の下に「備後」の文字が記載されている。
題字の下に「山口」の文字が記載されている。
  • 広島県
    • 広島都市圏
    • 呉・東広島
    • 県北
    • 福山
    • 尾三
  • 山口県
    • 山口総合
    • 防長路
    • 岩柳 周南・山口
  • 岡山県
  • 島根県
  • 鳥取県
    • 鳥取(現在は廃止されており、鳥取県の情報は島根版の「山陰ねっと」に掲載)

2011年3月1日より、中国新聞朝刊電子版を創刊した[11]

本紙朝刊の定期購読者であれば、全ての朝刊地方版をパソコン上で無料購読することができる。また、月額1,000円(税抜)を追加で支払うことで、iPadもしくはiPhoneからも閲覧可能になる。

朝刊を購読していない場合、全て有料で提供される。料金は月額3,000円(税抜)。

4コマ漫画[編集]

以下、最終面を「メイン」、最終面の裏のページ(第2テレビ面)を「広域ワイド」と呼称する。

番組解説欄[編集]

中国新聞のテレビ番組解説欄には、番組名、放送時間の次に、系列放送局が広島→山口→山陰→岡山・香川の順番で掲載される。

フジテレビ系列の場合、TSSの次は山口県に同局系列の放送局が存在しないため、山口県西部などで直接受信が可能なテレビ西日本を入れている。

原爆・平和関連記事[編集]

  • ひろしま国 10代がつくる平和新聞
公募で選ばれた10代のジュニアライターが、平和に生きることをテーマに取材・執筆する[12]
  • 1892年(明治25年)日刊「中國」を創刊したのは地方政党「政友会」の幹部である。これは広島藩藩主だった浅野氏が作らせた政党(立憲政友会とは無関係)で、彼らは1887年(明治20年)から発行していた政党機関紙「安芸津新報」を作っていたメンバーであったが、当時安芸津新報社社長との意見対立から退社し日刊「中國」を創刊した[13]
  • 中国放送(RCC)では、中国新聞協力のニュース番組として中国新聞ニュース(一部の時間帯は「RCC NEWS」)が放送されている。以前は、広島テレビ放送(HTV)や広島ホームテレビ(HOME)でも「中国新聞ニュース」枠が存在した。
  • 中国新聞読者を中心とした会員組織として「ちゅーピーくらぶ」を用意している。会員は会員証の提示による加盟店での割引、ポイントによるサービス、カープやサンフレッチェといった地元チームの試合結果をメールで通知するサービスなどを受けることができる。広島地区においては、広島銀行のキャッシュカードに、「ちゅーピーくらぶ」の会員証と、パスピー(広島地区の鉄道・バス・船舶各社で利用可能なIC乗車カード)を一体化した「ひろぎんPASPY」が発行されている。また、山口フィナンシャルグループの「YM《セゾン》カード」会員や、庄原市のふるさと応援団「エール庄原」会員、広島大学校友会「フェニックスクラブ」会員等の提携先会員組織の希望者には、「ちゅーピーくらぶ」会員証機能を持つ一体型会員証が発行されている。
  • 山口県では、2009年3月31日まで本紙と西日本新聞(本社は福岡市)とで販売エリアがバッティングしていた。ブロック紙同士による販売エリアのバッティングは、全国でもここだけであったが、西日本新聞が山口県から撤退したことにより、山口県内では本紙が唯一のブロック紙となった[補足 5]
  • 2007年8月10日、中国新聞社の印刷センター「ちゅーピーパーク」が経営するプールで2歳児が溺死する事故が発生したが、翌8月11日の中国新聞朝刊33面には事故があったことのみを掲載し、自社との関わりについては言及しなかった。また、「ちゅーピープール営業中止のお知らせ」を掲載したが、営業中止の理由については触れなかった。
  • 2008年9月1日、福田康夫首相(当時)の退陣表明記者会見において、中国新聞の男性記者が「総理の会見が国民からは他人事のように聞こえる」と首相に問いかけ、それに対する返答として「他人事のようにというふうにあなたはおっしゃったけれども、私は自分自身を客観的に見ることはできるんです。あなたと違うんです」との首相の言葉を引き出した。立花隆は会見を通してこの部分が唯一面白いと評したほか、多くのマスコミからこの記者に対して取材が寄せられた。この記者は広島県内の支局を経て東京支社報道部の政治部担当キャップとして着任し、この日は最後に福田首相に対して辛口の質問を狙っていたという。この「あなたとは違うんです[補足 6] という言葉は流行語にもなり、2008年度「新語・流行語大賞」にもノミネートされたが[14]、福田首相は選考前に辞退した。
  • 長きにわたってテレホンサービスとして「中国新聞ニュースハイライト」(NTT西日本・ISDNのCM付き)、「中国新聞スポーツニュース」(提供:福留ハム)が提供されてきていたが、2012年2月29日で終了した。
  • 美能幸三は網走刑務所収監中に報道部記者の今中亙が『文藝春秋』1965年4月号に寄稿した手記「暴力と戦った中国新聞 – 菊池賞の栄に輝く “ペンは暴力よりも強し”」の内容が事実と異なるとして、広島抗争に関する手記を執筆、これが映画『仁義なき戦い』の原案となった。

かつて、中国新聞の全紙面をA4サイズに縮小し、一冊の書籍にまとめた中国新聞縮刷版(縮刷版)が発行されていた。1966年8月から1975年5月までの発行分が存在する。現在は廃止されている。

補足[編集]

  1. ^ このため鳥取駅構内には鳥取県内では数少ない売り場がある。1970年代までは鳥取版も存在したが、売れ行き不振により廃止。
  2. ^ 核兵器・平和関連報道では、1965年、1985年、1986年、1990年、1995年に新聞協会賞を受賞。1995年にボーン・上田記念国際記者賞を受賞。
  3. ^ 朝刊の発行部数は地方紙トップ級の約64万部[6]
  4. ^ 紙齢は夕刊を引き継いではいない。
  5. ^ 滋賀県では、ブロック紙の中日新聞(本社は名古屋市)と準ブロック紙の京都新聞(本社は京都市)とで販売エリアがバッティングしている。
  6. ^ 実際の発言は「あなたと違うんです」だが、助詞の「は」が加わった文章で誤って広がった

出典[編集]

外部リンク[編集]