アーニー・ディグレゴリオ – Wikipedia
アーネスト・ディグレゴリオ (Ernest DiGregorio, 1951年1月15日 – ) は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手。身長183cm、体重81kg。ポジションはポイントガード。NBAのバッファロー・ブレーブスなどでプレーし、新人王とアシスト王を同時受賞した史上2人目の選手である。 アーニー・ディグレゴリオはロードアイランド州ノースプロビデンスで生れ、地元の高校でスター選手として活躍した後、プロビデンス大学に進学した。大学4年時には平均24.5得点8.6アシストを記録してオールアメリカ1stチームに選ばれ、NCAAトーナメントでチームを初のファイナル4進出に導いた。卒業後の1973年、ディグレゴリオはNBAドラフト全体3位でバッファロー・ブレーブスに、ABAドラフトでケンタッキー・カーネルズに指名を受け、NBA入りを選択した。 プロ1年目となる1973-74シーズン、ディグレゴリオは81試合の出場で平均15.2得点8.2アシストをあげてアシスト王に輝き、新人王とオールルーキー1stチームに選ばれた。新人王とアシスト王の同時受賞は1960-61シーズンのオスカー・ロバートソン以来史上2人目の快挙であった。またフリースロー成功率はリーグ1位となる.902をマークした。このシーズンに記録した1試合25アシストは、1987年のネイト・マクミランと並ぶNBA新人記録である。 ディグレゴリオは順調なキャリアを送るかのように見えたが、2年目の1974-75シーズン途中に膝に重傷を負い、51試合を欠場した。スタッツはルーキーイヤーの約半分に落ち込み、以後もかつての姿を取り戻すことはなかった。4年目の1976-77シーズンには81試合に出場して平均得点を2桁に戻し、リーグ首位かつ歴代9位のフリースロー成功率.945を記録するなど、復活の兆しが見られた。しかしチーム再建に舵を切っていたブレーブスは、シーズン終了後にディグレゴリオをロサンゼルス・レイカーズに放出した。 1977-78シーズン、ディグレゴリオはレイカーズで25試合に出場した後シーズン途中に解雇された。その直後にフリーエージェントとしてボストン・セルティックスと契約し、シーズンの残りをプレーした。翌シーズン以降は無所属となり、1981年に正式に現役引退を表明した。 NBAでの成績は312試合に出場して通算2,997得点1,594アシスト(平均9.6得点5.1アシスト)、フリースロー成功率.902であった。 ディグレゴリオは1999年にイタリア系アメリカ人スポーツ殿堂、2019年にカレッジバスケットボール殿堂入りを果たした。 個人成績[編集] * リーグ1位 太字 キャリアハイ レギュラーシーズン[編集] Season
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