海老名市温故館(えびなしおんこかん)は、神奈川県海老名市にある海老名市立の郷土資料館である。郷土の歴史に関する文献や土器や資料等を収集し整理と保管をして展示をしている。 (特に明記ないものは、海老名市立郷土資料館[1]、海老名市教育委員会[2]、海老名市立郷土資料館条例施行規則[3]を参照) 1階 歴史資料展示 考古・歴史資料〜石器・土器・旧温故館の材料他、先土器時代(旧石器時代)以降の市内の遺跡から発見された、石器・土器の他、国分寺瓦など史跡「相模国分寺関係資料」など貴重な遺物・資料が展示されている。 2階 民俗資料展示 生活関連用具・農耕具・養蚕具・宗教資料等、「衣・食・住」をテーマに明治・大正・昭和にかけて海老名地域で使われていたさまざまな有形資料をわかりやすく展示されている。 利用案内[編集] (特に明記ないものは、海老名市立郷土資料館[1]を参照) 開館時間:午前9時から午後5時15分(入館は午後4時45分まで) 休館日 : 年末年始(12月29日~1月3日)および臨時休館日 利用料 : 無料 温故館を前に記念撮影に納まる中山毎吉(なかやまつねきち)夫婦。昭和初期撮影。 温故館の創設者である中山毎吉(なかやまつねきち)は、1868年(明治元年)に高座郡国分村(現海老名市)に豪農の息子として生まれた。1875年(明治8年)に地元の国分学舎(後に学校と改称される)に入学した。1883年(明治16年)、国分学校を優秀な成績で卒業した中山毎吉(なかやまつねきち)は、そのまま小学校の授業助手を行う補助員となった。その後職を転々としながら初等科教員免許取得に努力し、首尾よく免許を所得した中山は1890年(明治23年)に郷里である海老名の小学校に就職し、その後35年間、海老名で教員生活を続けた。 中山が郷里で小学校に就職した前年の1889年(明治22年)、国分村など9か村が合併して海老名村が成立していた。中山は1909年(明治42年)には海老名村立尋常高等海老名小学校(現海老名市立海老名小学校)の校長となっている。尋常高等海老名小学校の校長となる少し前頃から、中山は仕事の余暇に相模国分寺を始めとする海老名の郷土史研究に没頭するようになる。中山は幼少時から見慣れてきた相模国分寺跡の荒廃に心を痛めていたが、1906年(明治39年)、相模国分寺跡の礎石が海老名村在郷軍人会が建立した日露戦争の戦没者忠魂碑として流用されてしまったことに衝撃を受け、遺跡保存の必要性を強く感じるようになった。
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