五行大義 – Wikipedia

五行大義』(ごぎょうたいぎ)は、隋の蕭吉(しょう きつ)によって撰述された、五行に関する古今の説の集大成。全5巻より構成される。

中国では早く滅び、日本にのみ残った佚存書である。

著者の蕭吉は梁の武帝の兄である蕭懿の孫にあたるが、西魏が江陵を陥落させて以来北朝に帰した。隋の文帝に取り入って寵愛を受け[1]、煬帝にも信頼された[2]。大業10年か11年ごろ(614年-615年)没した[2]

『隋書』芸術伝に載せる蕭吉の著書のうちに『五行大義』は見えない。中村璋八は伝に「古今の陰陽書を考定す」[3]とあることから、この陰陽書が『五行大義』であったと推測できるという[4]

『五行大義』の書名は『旧唐書』経籍志[5]、『新唐書』芸文志[6]、『宋史』芸文志[7]に見えるが、その後の目録に見えず、中国では滅んだと考えられる[8]。いっぽう日本では『続日本紀』天平宝字元年(757年)の勅で陰陽生の必読の教科書の中に『五行大義』が見えており、早くから重視されていたことがわかる[9]。江戸時代には刊本も現れ、庶民の間にも広く読まれるようになった[10]

中村璋八は、「中国では五行書が余りにも多かった為に、その存在が忘れられて散逸してしまったのに対し、日本では、この書は陰陽五行説を最も要領よく記していた為に、陰陽家等に重用され」たと推測している[11]

『五行大義』は5巻からなり、全体を24段に分ける。ひとつの段がさらに複数の段に細分されている場合があり、それらをすべて合わせると40段になる。

  • 巻第一:釈名、論支干名、論数
  • 巻第二:論相生、論配支干、論五行相雑、論徳、論合、論扶抑、論相剋、論刑、論害、論沖破
  • 巻第三:論雑配
  • 巻第四:論律呂、論七政、論八卦八風、論情性、論治政
  • 巻第五:論諸神、論五帝、論諸官、論諸人、論禽蟲

テクスト[編集]

元弘3年(1333年)と天文年間の写本が完本として残る。

元禄12年(1699年)にはじめて刊行され[12]、その後に林述斎『佚存叢書』(1799)にも収録された。中国へは『佚存叢書』本が逆輸入され、『知不足斎叢書』にも収録された。

阮元は、『五行大義』の中に緯書などの逸書を多数引用していることに注目している[13]

ジョゼフ・ニーダムは、『五行大義』を五行についての最も重要な中世の書物とし、どの書物よりも科学的事項を多く扱い、推命などの疑似科学を扱うことが少ないとして、高く評価している[14]

参考書籍[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]