池清 – Wikipedia

池 清(いけ きよし、1895年6月10日[1] – 1952年10月17日[2])は、朝鮮総督府官僚。徳山市(現・周南市)市長。

山口県都濃郡徳山町(現在の周南市)出身[3]。1917年、逓信官吏練習所卒[1]。朝鮮総督府逓信局に勤務する[1]。1925年に高等試験行政科に合格した後[3]、朝鮮総督府逓信局副事務官[3]、京城貯金管理所主計課長[3]、朝鮮総督府逓信事務官[3]、逓信局庶務課長[3]、高等海員審判所理事官[1]、新義州税関長などを経て[1]、朝鮮総督府農林局林政課長兼土地改良課長[1]から平壌府尹に勤務し、終戦を迎えた[2]。日本に引揚げた後の1947年、徳山市助役に就任した[2]

1951年の徳山市長選挙に立候補。池は「市政の刷新」「健全財政化」「産業の振興と工場誘致」「学校の建設と充実」などを公約[4]に激しい選挙戦を制して当選、市長に就任した[2]

市町在職中は徳山駅前の区画整理事業が完成[2]。周南都市圏振興協議会の発足[2]。市の出張所の整理統合[2]。1952年には市営大津島刈尾海水浴場の開設[2]。市社会福祉協議会の発足[2]が実施されたが、病気のため8月24日付で市長を辞職[2]。治療に専念したが、10月17日に死去した。

  1. ^ a b c d e f 日本官界情報社編 『日本官界名鑑』、1942年、24頁。NDLJP:1271159 
  2. ^ a b c d e f g h i j 『日本の歴代市長』第3巻、歴代知事編纂会、185頁。
  3. ^ a b c d e f 日本行政学会編 『輓近大日本拓殖史』、1934年、朝鮮編445頁。NDLJP:1452496 
  4. ^ 『防長新聞』1951年4月14日

参考文献[編集]

  • 『輓近大日本拓殖史』、日本行政学会、1934年。
  • 『日本官界名鑑』昭和十七年版、日本官界情報社、1942年。
  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第3巻、歴代知事編纂会、1985年。