プレイン・ホワイト・ティーズ – Wikipedia

プレイン・ホワイト・ティーズ (英: Plain White T’s) とは、アメリカ合衆国イリノイ州出身の五人組ポップ・ロックバンドである。

メンバーの見た目は若いが、実は結成から15年以上も経つベテランバンドであり、若い世代を中心に高い人気を誇っている。

2007年に発表した彼等の代表曲「ヘイ・ゼア・デリラ」(英: Hey There Delilah)が、全米シングルチャートで1位をとった事から、一気にスターダムへとのし上がった。ちなみに、この曲は2008年に開催された「第50回グラミー賞」にて、「最優秀楽曲賞」と「最優秀ポップ・ディオ/グループ」の2部門にノミネートされている[1]

現在のメンバー[編集]

旧メンバー[編集]

結成:アンダーグランド時代[編集]

1997年に、トム・ヒッゲンソンが高校時代の友人であった、デイヴ・ティリオ、ケン・フレッチャーと共に結成。それから、数年後にスティーヴ・マストもバンドに加わった。バンド名は、「純白のTシャツのような、クールなバンドになりたい」という思いから、「プレイン・ホワイト・ティーズ(純白のTシャツ)」と名付けられた。なお、結成時のメンバー構成は、トム(ヴォーカル)・スティーヴ・マスト(ギター)・ケン・フレッチャー(ベース)・デイヴ(ドラム)であり、現在のメンバーとは大きく異なっている。その後しばらくの間、熱心に地元のイリノイ州でのライヴ活動を行いながら、着実に知名度を上げていった。

しかし、1999年に入ると、トム・ヒッゲンソンが車での交通事故を起こし、腎臓と肺が破裂する重傷を負ってしまう[2]。彼が回復した後に、バンド活動を再開。

そして2001年に、初となる、自主制作音源アルバム「Come on Over」を発表。

写真手前トム、奥はティム。

それから約1年後の2002年には、2枚目となる自主制作音源アルバム「Stop」を発表している。その直後に、デイヴ・ティリオが、ドラム担当からギター担当へと変更。これに続く形で、この後、バンドメンバーの大幅なメンバーチェンジが行われた。まず、スティーヴ・マストがバンドから脱退した為、新たにティム・ロペスが加入。更には、ケン・フレッチャーがバンドから脱退した為に、新たにマイク・レトンドとデマー・ハミルトンが加入している。

その後、まもなくして、アメリカ大手インディーズレーベルのフィアレス・レコードと契約を結び、2004年5月にデビューアルバムの制作を開始した。

そして2005年1月25日に、1stフルアルバム「All That We Needed」を発表。

2006年-2007年:「Hey There Delilah」の世界的大ヒット[編集]

2006年に入ると、モーション・シティ・サウンドトラック等人気バンドとのツアーを経て、大手メジャーレーベルのハリウッド・レコードへと移籍。そして同年9月12日には、2ndアルバム「Every Second Counts」を発表し、全米アルバムチャートにて最高10位を記録。直後に、同アルバムからの1stシングル「Hate (I Really Don’t Like You)」を発表し、全米シングルチャートにて、最高68位を記録した。

2007年に入ると、同アルバムから、2ndシングルとなる「Hey There Delilah」を発表。すると、全米シングルチャートにて、二週連続1位を記録する大ヒットを記録。またドイツ、カナダなど、各国のシングルチャートでも、1位を記録。同年7月には、アメリカの大手ラジオ局で「最も放送された楽曲」にも選ばれた。

この「Hey There Delilah」の大成功を受け、同曲を収録した2ndアルバム「Every Second Counts」の人気が再燃し、結果的に全米で50万枚以上を売り上げるヒットを記録。ゴールド・ディスクに認定された。

2008年-2009年:3rdアルバム「Big Bad World[編集]

2008年2月10日に開催された「第50回グラミー賞」において、Hey There Delilahが「ベスト・ポップ・パフォーマンス・グループ」にノミネートされた。

2008年9月23日には、3rdアルバム「Big Bad World」を発表し、全米アルバムチャートにて33位を記録。このアルバムからは、1, 2, 3, 4 と、Natural Disaster の二曲のヒットシングルが生まれている。

2010年以降:4thアルバム「The Wonders Of The Younger[編集]

2010年に入ると、映画アリス・イン・ワンダーランドのサウンドトラック、「オールモスト・アリス」に Welcome to Mystery という楽曲を提供。その後、12月7日には、ニューアルバム「The Wonders Of The Younger」もリリースされた。

ディスコグラフィー[編集]

アルバム[編集]

発売日 アルバムのタイトル 販売レーベル 全米ビルボードアルバムチャート最高位[3]
2005年1月25日 All That We Needed Fearless records
2006年9月12日 Every Second Counts Hollywood Records 10位
2008年9月23日 Big Bad World Hollywood Records 33位
2010年12月7日 The Wonders Of The Younger Hollywood Records 149位

シングル[編集]

発表年 タイトル 収録アルバム 各チャート最高位
Billboard Hot 100
Hot 100
Billboard Pop 100
Pop 100
Modern Rock Tracks
ドイツ
Mainstream Rock Tracks
イギリス
RIANZ
オーストラリア
2004年 All That We Needed All That We Needed N/A N/A N/A N/A N/A
2005年 Take Me Away N/A N/A N/A N/A N/A
2006年 Hey There Delilah N/A N/A N/A N/A N/A
Hate (I Really Don’t Like You) Every Second Counts 68 61 N/A N/A N/A
2007年 Hey There Delilah (再発) 1 1 1 2 3
Our Time Now 90 66 N/A 114 37
2008年 Natural Disaster Big Bad World 125 N/A N/A N/A N/A
1, 2, 3, 4 51 48 N/A N/A N/A

ミニアルバム[編集]

  • Rip Off the Hits (2001年)
  • Hey There Delilah (2007年)

1stアルバムと2ndアルバム[編集]

「マイケミやフォール・アウト・ボーイに続くのは、こいつらだ!」と多くのメディアからも書かれている通り、一般的にはエモやポップ・パンク系バンドだと紹介されることが多い彼等だが、実際には「親しみやすいポップなメロディを全面的に押し出した、ポップなパンク・ロック」であり、敢えてジャンルを述べるなら、いわゆるパワーポップに近い音楽性である。

また、彼らの作詞のセンスには目を見張るものがあり、遠回しな表現を一切せず直接的に感情を表現している所が、同系統のバンド群とは大きく異なる。例えば、「Hate (I Really Don’t Like You)」という曲の、「強い言葉で申し訳ないけど、君のことが大嫌いだ」という意味の一節[4]など。

3rdアルバム「Big Bad World」以降[編集]

2ndアルバムまでは、いわゆるポップ・パンク/エモ系の楽曲を中心に作ってきた彼らだが、3rdアルバム以降は更にポップで落ち着いた楽曲が増えるようになる。同時期にリリースされた楽曲「1, 2, 3, 4」を筆頭に、ポップ・ロック/フォーク・ロック辺りの影響が強く受けたサウンドが多く、以前のような疾走系の楽曲は少し影を潜めるようになる。

トム・ヒッゲンソンの交通事故[編集]

1999年に交通事故を起こし、腎臓と肺が破裂する瀕死の重傷を負ったトムだが、この出来事がバンドの成長に大きく繋がったと、本人は語っている。

「この事故で死ななかったことが、逆に僕に生の強さと尊さを与え、プレイン・ホワイト・ティーズの音楽性を内面から高めた」のだと。

ノミネート歴[編集]

開催年 授賞式名 ノミネートされた部門 結果
2003年 mtvU Woodie Award The Breaking Woodie(最優秀新人賞) 授賞
2007年 Teen Choice Award Choice Summer Song として Hey There Delilah がノミネート。 授賞
2008年 グラミー賞 Best Pop Performance by a Group として Hey There Delilah がノミネート。 ノミネート

外国公演[編集]

外部リンク[編集]