カンプ・ノウ – Wikipedia

カンプ・ノウCamp Nouカタルーニャ語発音: [ˌkamˈnɔw])は、スペイン・バルセロナのサッカー専用スタジアム。FCバルセロナのホームスタジアムとして使用されている。

正式名称は2001年までEstadi del Futbol Club Barcelonaだったが、一般的には早い時期から「新しいスタジアム」を意味するカンプ・ノウと呼ばれていた[1]。これはそれまで使用していたカンプ・ダ・ラス・コルツ(Camp de Les Corts)に代わる新しいものであったことから付けられたものである。2000-2001シーズン、クラブはカンプ・ノウを正式名称にするか「ソシオ」に郵便により諮問した結果、クラブに届いた29,102通の68.25%に当たる19,861通が賛成したため、カンプ・ノウ(エスタディオ・カンプ・ノウ Estadio Camp Nou)が正式名称となった。

カンプ・ノウの老朽化に伴いノウ・カンプ・ノウが新たに作られる。ノウ・カンプ・ノウの収容人数は11万人に増えるとされている。ノウ・カンプ・ノウはリーガエスパニョーラ2021-22シーズンに着工して2024-25シーズンに完成する見込み。

1960年代から1970年代にバルセロナの人口は急増し、住宅需要が高まっていた。それに先駆け、FCバルセロナは永代所有財産解放令(メンディサバル法)の適用を受け、旧ホームスタジアムであるカンプ・ダ・ラス・コルツの土地を売却し、ホームスタジアムを郊外に移転し、新しいスタジアムであるカンプ・ノウを建設した。これはスポーツ施設に対する同法適用の第一号である。本拠地の郊外移転でFCバルセロナは莫大な不動産利益を獲得することになり、これがクラブチームの経営の経済基盤となった。またラディスラオ・クバラ、シャーンドル・コチシュ、ラモン・ビジャベルデ、エバリストらの1950年代FCバルセロナ黄金期に、その人気の後押しも新スタジアム建設の後押しとなり、FCバルセロナはカンプ・ノウを中心に周辺にサッカーを中心とした娯楽施設を整備していく[2]

1954年3月28日に6万人のファンの見守る中、当時のバルセロナ市長によって最初の礎石が置かれ、バルセロナ大司教によって祝福された。建設期間は3年に及び予算は当初の3.36倍にも膨れ上がった。1957年9月24日の落成式ではゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルの『ハレルヤ』が演奏された。こけら落しの試合はFCバルセロナとレギア・ワルシャワとの親善試合であり、4対2でFCバルセロナが勝利した。

収容人数は当初93,053人であったが、スペインで開催された1982 FIFAワールドカップ時には120,000人まで増やした。その後、1990年代にFIFAの規則により立見席が禁止されたことにより、1990年代終わりには99,000人が定員となった。クラブのウェブサイトによると現在は99,354人であり、ヨーロッパ最大のスタジアムである。

UEFAが選定するスタジアムのレベルも最高クラスであり、過去には1999年にUEFAチャンピオンズリーグ決勝戦がここで行われた(カンプ・ノウの奇跡)。

スタンドの景観はもとよりピッチの水捌けまで計算されている。ピッチは肉眼では分からない位アンジュレーションが付いていてほんのわずかだけ真ん中が高く、外に行くにつれてだんだん低くなる設計がされており水が流れ出るようになっている。

スタンドについては1階以外はどの角度から見ても全体を見渡せるようになっている。

2014年1月にスタジアムの全面改築が発表され、建て替え・移設はせず、11万人規模の屋根付きスタジアムに改築される[3]。2022年夏に建設を開始し、2025年に完成予定で[4][5]、総工費は6億ユーロとされている。2016年3月に設計競技コンペの結果、日本の日建設計が、決まった。

サッカー以外[編集]

サッカー以外にも、コンサートとしてはフリオ・イグレシアス、U2、マイケル・ジャクソン、ブルース・スプリングスティーン、アムネスティ・インターナショナル主催のチャリティーコンサート、三大テノールらが行った。

またヨハネ・パウロ2世のミサが1982年11月17日に行われた。ラグビーではトップ14決勝会場として2016年に開催。これはラグビーワールドカップ2015の開催によりシーズンの開幕が遅れたことに加えUEFA EURO 2016開催によりスタッド・ド・フランスが使用不可のためであり、フランス国外でトップ14決勝が開催されるのは初のことである。

外部リンク[編集]