ケンリー・ジャンセン – Wikipedia

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  • ケンリー・ヤンセン

ケンリー・ジェロニモ・ジャンセンKenley Geronimo Jansen, 1987年9月30日 – )は、オランダ領アンティルのキュラソー島ウィレムスタット出身のプロ野球選手(投手)。右投両打。MLBのアトランタ・ブレーブス所属。

愛称はカリフォルニアをもじったケンリーフォルニア[1]Ma’montro(怪物の意)など。

プロ入りとドジャース時代[編集]

2004年にアマチュア・フリーエージェントとしてロサンゼルス・ドジャースと契約。ユースチームでは、アンドレルトン・シモンズやディディ・グレゴリウスとチームメイトだった。

2006年まで捕手としてルーキーリーグでプレーした。

2007年途中からA級に昇格した。

2008年には打率.227ながら9本塁打を放った。

2009年はシーズン開幕前の3月に開催された第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のオランダ代表に選出された[2]。一次ラウンド初戦のドミニカ共和国戦では1点リードの9回裏に2008年のナ・リーグ盗塁王ウィリー・タベラスの三盗を刺し、座ったままの状態で二塁に鋭く送球するなど、強肩ぶりを発揮してオランダの躍進に貢献した[3]。シーズンでは、秋から強肩を生かすため投手に転向している。

2010年開幕はA+級インランド・エンパイア・シックスティシクサーズ英語版で迎えたが、シーズン途中からAA級チャタヌーガ・ルックアウツに昇格した。

2010年7月24日のニューヨーク・メッツ戦でメジャーデビューを果たした。

2011年は中継ぎとしてドジャースのブルペンを支えた。

2012年シーズンはハビー・ゲラに代わる抑えに定着した。一方で、不整脈の持病を抱えており、シーズン終了後に手術を受けた[4]

2013年は第3回WBCのオランダ代表の要請を受けたが、当初は前年の不整脈の手術をしたことを考慮し辞退していた。しかし、オランダ代表がベスト4となりサンフランシスコの決勝ラウンドに進出し、2次ラウンドで負傷離脱したジョナタン・イセニアに代わり決勝ラウンドから追加招集された。登板機会はなく、オランダは準決勝でドミニカ共和国に敗れた。レギュラーシーズンでは75試合に登板。4勝3敗28セーブ、防御率1.88だった。

2014年2月11日に430万ドルの単年契約に合意した[5]。シーズンでは、自己最多の44セーブを記録した。

2015年もクローザーとして起用され、54試合に登板。2勝1敗36セーブ、防御率2.41だった。

2016年1月15日に1065万ドルの単年契約に合意[6]。前半戦で40試合に登板し、3勝2敗27セーブ、防御率1.16と好投。7月にはオールスターゲームに初選出された。この年は71試合の登板で、3勝2敗47セーブ、防御率1.83だった。ポストシーズンではディビジョンシリーズ第4戦で4失点した以外は抑え込んだ。オフに最優秀救援投手賞を初受賞。11月3日にFAとなり、球団は単年1720万ドルのQOを提示したが、11月14日に拒否した[7]

2017年1月10日に5年総額8000万ドルで契約を延長した[8]。オプションとして2019年シーズン終了後に契約を破棄できるオプトアウトが含まれており、救援投手ではアロルディス・チャップマンに次ぐ大型契約となった[9]。翌11日に契約延長記者会見が行われ[10]、第4回WBCのオランダ代表へは不参加の意思を表明した[11]。しかし、代表が決勝トーナメントに進出すると撤回し、代表に合流した[12]。レギュラーシーズンでは6月11日のシンシナティ・レッズ戦で通算200セーブに到達。開幕から6月25日まで驚異の無四球三振記録51でMLB新記録を樹立するなどした[13]。65試合登板で5勝無敗41セーブ、防御率1.32と圧倒的な投球を見せ、自身初タイトルとなる最多セーブを受賞した。ポストシーズンではNLCSまで無失点の完璧なリリーフを見せていた。ワールドシリーズでは3試合連続で1失点して敗戦投手になることもあった。2年連続で最優秀救援投手賞を獲得した。

2018年は前年の疲労の蓄積が考慮され、スプリングトレーニングではスロー調整を許されていた。オープン戦もわずか5試合の登板でシーズン開幕に臨んだが、3,4月は防御率5.59と不調で始まった[14]。それでも5月に防御率0.60と復調を見せると、その後も安定して3年連続オールスター選出された。しかし、8月9日のコロラド・ロッキーズ戦後に宿泊ホテルで不整脈を訴え、そのまま病院に搬送され故障者リスト入りした。8月20日のセントルイス・カージナルス戦で復帰するもしばらくは精彩を欠き、その原因を本人は治療薬にあるとして服用を中止した[15]。9月は調子を取り戻し、最終的に69登板で1勝5敗38セーブ、防御率3.01だった。ポストシーズンでは今季もNLCSまで無失点の完璧なリリーフを見せていたが、ワールドシリーズでは2試合連続でセーブ失敗することもあった。オフには2度目の心臓手術を受けた[16]

2019年は62試合に登板して5勝3敗33セーブ、防御率3.71だった。特に後半戦は不調に陥るなど不安定な内容だったがセーブは積み重ね、9月25日のサンディエゴ・パドレス戦でMLB史上30人目、球団史上初の通算300セーブに到達した[17]。10月31日にオプトアウトを行使せず、残留することが発表された[18]

2021年は69試合に登板して4勝4敗38セーブ、防御率2.22だった。オフの11月3日にFAとなった[19]。11月23日にオールMLBセカンドチームの中継ぎ投手の1人に選出された[20]

ブレーブス時代[編集]

2022年3月18日にアトランタ・ブレーブスと1600万ドルの単年契約を結んだ[21]

選手としての特徴[編集]

最速100mph[23](約160.9km/h)、平均92-94mph(約148-151km/h)のカットボールが投球の約6割を占め、このカッターを武器に三振を奪うピッチングスタイル。その他に平均94mph(約151km/h)程度のシンカー、平均82mph(約132km/h)程度のスライダーを使用する[24]
グラウンドボールの割合が3割程度と少なく、フライボールピッチャーである。

元々は強肩で知れられた捕手だったが、球団側からの進言で2009年に投手に転向[25]。翌年にはメジャー初昇格を果たし、2012年から本格的にクローザーを任され、最優秀救援投手賞を受賞するなど球界を代表するクローザーとして活躍している[26]。また、登板数やセーブ数、奪三振率などでドジャースの球団記録を持っている[27]

長らく心臓の異常を経験している。2011年には不整脈と、抗凝固薬の投薬により1か月故障者リスト入り、2012年にはクアーズ・フィールド出場の際に不整脈と息切れを起こし、オフに手術を受けた。2018年8月に宿泊ホテルで不整脈を訴え、そのまま病院に搬送され故障者リスト入りし、オフには2度目の心臓手術を受けた[28]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]

  • 2021年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[編集]



投手(P)



2010 LAD 25 1 1 0 0 1.000
2011 51 2 3 0 1 1.000
2012 65 1 5 1 0 .857
2013 75 3 1 0 0 1.000
2014 68 6 2 1 1 .889
2015 54 0 2 1 0 .667
2016 71 3 1 1 0 .800
2017 65 4 1 0 0 1.000
2018 69 1 4 0 1 1.000
2019 62 7 2 1 0 .900
2020 27 1 0 0 0 1.000
2021 69 4 2 0 0 1.000
MLB 701 33 24 5 3 .919
  • 2021年度シーズン終了時

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

背番号[編集]

  • 74(2010年 – 2021年)

代表歴[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]