ソルティー・シュガー – Wikipedia

ソルティー・シュガーは、日本のフォークシンガーグループ。

コミックバンドとも言われるが、本来はカレッジ・フォークに属する。

東京都立日比谷高等学校を中心にステージに出ていた高校生バンド、ワイリット・マンが前身。大学進学の時、メンバーの佐藤敏夫が抜けるに際し、その名前をバンド名に残そうということになり、佐藤敏夫→さとうとしお→砂糖と塩→シュガーアンドソルト→ソルティーシュガーとなった。

1969年(昭和44年)12月に山本・池田・手塚・高橋の幼なじみ大学生4人組グループとして「ああ大学生」でデビューしたが、売れたのはわずか3000枚だった[1]

翌1970年に発表した「走れコウタロー」がミリオンセラーの大ヒット[1]。当初、実在の馬の名前の歌だったが、山本が練習に遅刻してばかりいるので、作詞担当の池田が走れコウタローに変えた。この曲の発表直後の5月10日に池田が21歳で急死(母親より体調不良で急きょ番組収録を休む旨の連絡があり、その後メンバーに訃報が伝えられた)、佐藤が1年間という約束で再加入、1970年第12回日本レコード大賞の新人賞を獲得した。また、「日本国有鉄道5月10日の歌」「ハナゲの唄」などのコミックソングも発表した。約束通りわずか1年後の1971年日本ダービーの季節に解散。

山本はその後武蔵野タンポポ団、ソロ活動を経て、山本コウタローとウィークエンドを結成。1974年には大ヒットソング「岬めぐり」を発表した。また1976年、山本以外の3人で再結成し、ソルティー・シュガーIIの名前でシングルを一枚発表した。

メンバー[編集]

ディスコグラフィー[編集]

シングル[編集]

  • ああ大学生 / 日本国有鉄道5月10日の歌 (1969年12月)
    • B面は1969年5月10日の日本国有鉄道の運賃改定を歌った歌。原曲はアメリカのフォークグループ、キングストン・トリオの「MTA」で、ボストンの地下鉄の運賃値上げの歌である。
  • 走れコウタロー / 橋 (1970年7月5日)
  • ハナゲの唄 / ふるさとをはなれて (1970年12月5日)
    • ひがしのひとしのカバー。別題「ハナゲの伸長度に関する社会科学的考察」。オリコン89位
  • 泣くなゴンベー / 沖縄の願い (1971年)
  • 昭和哀歌 / ワイフをさがして (1976年) ソルティー・シュガーII名義

アルバム[編集]

  • 走れコウタロー/ソルティーシュガー茶歌集 (1970年)
    CD化:1992年9月23日 (ビクター VICL-23052)
  • ソルティー・サヨナラ・コンサート/旅立ち (1971年10月5日)
    • 1971年6月30日、日本青年館ホールにおける解散コンサートのライヴ録音。
    CD化:2006年12月20日 (ビクター VICL-62202)

オムニバス[編集]

  • V.A./ウッド・スモッグ・コンサート (1971年8月5日)
  • V.A./そうるふぃっと CD-4 こんさあと (1972年12月) 4チャンネルレコード
    • 1曲収録「走れコウタロー」。1972年、東京厚生年金会館ホールでのライヴ録音。他の出演者はチェリッシュ、山本コウタロー、黒崎とかずみ、黒い河。ビクターのフォークソングのレーベル、SF(ソウルフィット)に在籍する歌手・グループによるコンサート。既に解散していた時期だがジャケットには4人編成での写真が載っている。グループ名の表記はソルティシュガー

ソノシート[編集]

  • スヤスヤコウタロー
  • 池田謙吉が亡くなった状況について、1973年頃にNHKのルポルタージュ番組で取り上げられた。睡眠時無呼吸症候群だったのではないかと考えられる。
  • 佐藤敏夫は現在陶芸家として活躍している。
  • 高橋隆は1976年にビクター音楽産業に入社。ディレクターとして活躍した。

参考文献[編集]

  • 『1968-1997 オリコン・チャート・ブック』オリコン、1997年
  1. ^ a b 富澤一誠「ソルティー・シュガー 「走れコウタロー」、ongen.net、2007年3月28日。