ドック・リバース – Wikipedia

ドック・リバース
Doc Rivers
Doc Rivers.jpg

ボストン・セルティックスHC時のリバース (2011年)
フィラデルフィア・76ers HC
ポジション PG
役職 ヘッドコーチ
基本情報
愛称 Doc
生年月日 (1961-10-13) 1961年10月13日(60歳)
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 イリノイ州の旗 イリノイ州シカゴ
身長(現役時) 193cm (6 ft 4 in)
体重(現役時) 84kg (185 lb)
キャリア情報
出身 マーケット大学
ドラフト 1983年 31位
選手経歴
1983-1991
1991-1992
1992-1994
1994-1996
アトランタ・ホークス
ロサンゼルス・クリッパーズ
ニューヨーク・ニックス
サンアントニオ・スパーズ
指導者経歴
1999-2003
2004-2013
2013-2020
2020-
オーランド・マジック
ボストン・セルティックス
ロサンゼルス・クリッパーズ
フィラデルフィア・セブンティシクサーズ
受賞歴

選手時代

  • NBAオールスターゲーム出場:1988
  • USAバスケットボール男子年間最優秀選手:1982

コーチ時代

  • NBAチャンピオン:2008
  • NBA最優秀コーチ賞:2000
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

獲得メダル

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
FIBAバスケットボール・ワールドカップ
1982 コロンビア

ドック・リバース (Doc Rivers) ことグレン・アントン・リバースGlenn Anton Rivers,1961年10月13日 – )はアメリカ合衆国・イリノイ州シカゴ出身のバスケットボール選手、指導者。2020-21シーズンより、NBAのフィラデルフィア・セブンティシクサーズでヘッドコーチを務める。

「ドック」は愛称であり、彼がジュリアス・” ドクターJ”・アービングのTシャツを着てプレーしたことに由来する。NBA選手のオースティン・リバースは、彼の息子である。

プレーヤー[編集]

1982年、バスケットボール世界選手権のアメリカ代表として出場して大会、マーケット大学を卒業し、1983年のNBAドラフトでアトランタ・ホークスから2巡目31位で指名されてNBA入り。ルーキーシーズンから先発を任され、その後の7年間、怪我による離脱を除いてアトランタの先発ポイントガードの座を守り抜いた。リバースとドミニク・ウィルキンスのコンビは上手く機能してチームは好調を維持し、1986-87シーズンにはリバース個人としても平均12.4得点10.0アシストの好成績を残した。その後、ロサンゼルス・クリッパーズ、ニューヨーク・ニックス、サンアントニオ・スパーズなどを転々とし、現役を引退した。

ヘッドコーチ[編集]

オーランド・マジック[編集]

1999年、リバースの監督としてのキャリアはオーランド・マジックで始まった。最初の年の好成績を受けて2000年のNBA最優秀コーチ賞を受賞する。その後3シーズンをオーランドのヘッドコーチとして過ごしたが、2003年、シーズン序盤の19連敗の責任を取る形で解任された。

ボストン・セルティックス[編集]

NBAのコメンテーターを務めた後、2004年からボストン・セルティックスにヘッドコーチとして招聘された。2008年、セルティックスはエースのポール・ピアースにケビン・ガーネット、レイ・アレンを加えて強力なビッグスリーを結成し、チームは大躍進を遂げる。シーズンを終わってみれば66勝16敗の好成績で勝率.805はチーム歴代最高勝率となり、ファイナルでは宿敵ロサンゼルス・レイカーズを下し、リバースは選手時代も含めて初めてNBAチャンピオンとなった[1]。また、黒人ヘッドコーチとしては、同じくセルティックスを率いていたK・C・ジョーンズ以来22年ぶりの優勝コーチとなった。

ロサンゼルス・クリッパーズ[編集]

2013年、ドラフト指名権とのトレードでロサンゼルス・クリッパーズのヘッドコーチに転身[2]、ヘッドコーチ、球団副社長に就任した。レギュラーシーズンを57勝のフランチャイズ記録で乗り切り、第3シードでプレーオフに進み、1stラウンドを4勝3敗でゴールデンステート・ウォリアーズを倒し、オクラホマシティ・サンダーとのカンファレンスセミファイナルへと駒を進めた。第5戦で逆転負けを決定づける判定に関わり、審判を批判するコメントを発表し、リーグから25000ドルの制裁金を課され、チームは第6戦で力尽きた。
2015年1月15日、リバースは副社長として戦力補強に乗り出し、フェニックス・サンズ、ボストン・セルティックスを相手に三角トレードを敢行。ニューオーリンズ・ペリカンズからセルティックスに放出されていた実の息子オースティン・リバースを獲得し、周囲を驚かせた。因みにNBA初の親子鷹になる。

フィラデルフィア・セブンティシクサーズ[編集]

[脚注の使い方]

外部リンク[編集]