仙台味噌 – Wikipedia

仙台味噌(せんだいみそ)は、仙台藩初代藩主伊達政宗が仙台城下に設置した御塩噌蔵(おえんそぐら)と呼ばれる味噌醸造所で作らせた味噌にならって製造されている味噌のこと。米麹と大豆でつくられており、辛口の赤味噌である。風味高く、そのまま食べる事もできるため「なめみそ」とも呼ばれる。

材料や製法に対する名称であるため、仙台城下町(現在の仙台市都心部)以外で作られたものも仙台味噌と呼ぶ。2019年現在は、仙台市を中心に宮城県で主に生産されている。

仙台味噌の由来として「伊達政宗が文禄2年(1593年)の朝鮮出兵の際に持参した味噌が、夏場でも腐敗しなかったため、他の武将に乞われて分け与えたことから仙台味噌が有名となった」という説があるが[1]、当時の伊達政宗の居城は岩出山城であることと、仙台という地名が慶長5年(1600年)に伊達政宗が名づけたものであるため、これは誤りであるとされる[2]

仙台味噌の呼称に関して言えば、仙台藩の味噌御用を勤めていた真壁屋市兵衛が寛永3年(1626年)3月、国分町にて「仙台味噌」の招牌を掲げたのが元祖とされている[3]。その後、伊達政宗の指示により城下に御塩噌蔵が設けられ、真壁屋がその醸造・運営に当たった。真壁屋は100石の扶持を与えられ、武士として古木氏をも名乗った[4]

第2代藩主忠宗の頃より江戸・大井の仙台藩下屋敷において、江戸勤番の士卒に配給するために御塩噌蔵と同様の原料・醸造方法により製造されていた味噌の剰余分が、江戸の味噌問屋へ払い下げられるようになったことから、江戸市中に「仙台味噌」の名が知られるようになった[5]。このことから、大井の仙台藩下屋敷は「味噌屋敷」とも呼ばれるようになった[6]

明治期においては、1872年(明治5年)11月[要検証]に仙台藩下屋敷の味噌醸造所の経営を引き継いだ佐藤素拙によって、仙台味噌の醸造・販売が積極的に行われ、またその製法が東京府内の味噌醸造業者に広まり、「仙台味噌」の名が東京市場を風靡したと伝えられている[7][8]

さらに明治時代末期、日本陸軍糧秣廠に勤めていた河村五郎(日出味噌創業者)が、麹の働きを温度管理で調節する味噌速醸法を考案。醸造時間を年単位から数ヶ月に短縮することが可能となった。この醸造法は、後に特許が開放され、仙台味噌の醸造法とセットで全国に普及したことから他地域にも普及した。また、第二次世界大戦中には、配給味噌の基準製法となったこともあり、関東から東北にかけて圧倒的なシェアを有するに至った[9]。しかし、戦中から戦後にかけてマルマンがさらなる速醸法(中田式速醸法)を開発し、それが信州味噌の製造法とともに関東地方に普及したため、戦前のような市場占有率を維持できなくなった。

主な製造会社[編集]

商品名としては、旧字体の「仙臺」が用いられる場合もある。

  • 阿部幸商店(仙台市、ブランド名「タニカゼ」)
  • 亀兵商店(仙台市)
  • 佐々重(仙台市)
  • 佐藤麹味噌醤油店(仙台市、ブランド名「ヤマシゲ」)
  • 鈴憲味噌醤油醸造株式会社(仙台市)
  • 仙台味噌醤油株式会社(仙台市、ブランド名「ジョウセン」)
  • 高砂長寿味噌本舗(石巻市)
  • ヤマカノ醸造(登米市)
  • 株式会社山田屋(亘理町、ブランド名「マルジン」)
  • 永田醸造株式会社(亘理町、ブランド名「老松」)
  • 川敬醸造株式会社(涌谷町)
  • 鎌田醤油株式会社(美里町、ブランド名「キッコートキワ」)
  1. ^ 全国味噌工業協会編 『味噌沿革史』 全国味噌工業協会 1958年、p.286-287.
  2. ^ 岩本由輝 『東北地域産業史』 刀水書房、2002年3月、p.199.
  3. ^ 「仙台物産沿革」『仙台叢書』別集第2巻、p.372-373. 全国味噌工業協会編 『味噌沿革史』、p.286-287.
  4. ^ 「仙台物産沿革」『仙台叢書』別集第2巻、p.373.
  5. ^ 江戸・東京の中の仙台(財団法人七十七ビジネス振興財団「七十七ビジネス情報第33号」)
  6. ^ 岩本由輝 『東北地域産業史』 刀水書房、2002年3月、p.202.
  7. ^ 岩本由輝 『東北地域産業史』 刀水書房、2002年3月、p.215.
  8. ^ 全国味噌工業協会編 『味噌沿革史』 全国味噌工業協会 1958年、p.287.
  9. ^ 創業秘話(日出味噌醸造元ホームページ)

参考文献[編集]

  • 全国味噌工業協会編 『味噌沿革史』 全国味噌工業協会 1958年
  • 岩本由輝 『東北地域産業史』 刀水書房、2002年3月 ISBN 9784887082922
  • 山田揆一「仙台物産沿革」、『仙台叢書』別集第2巻、仙台叢書刊行会、1925年。成立は1917年。復刻版は宝文堂より1977年発行。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]