太陽のない街 – Wikipedia

太陽のない街』(たいようのないまち)は、徳永直による1929年の日本の小説。1930年に藤田満雄、小野宮吉脚色、村山知義演出で舞台化。1954年6月には日高澄子主演で、山本薩夫監督によって映画化された。

小説の概要[編集]

1929年6月号から雑誌『戦旗』に連載された。作者の徳永が経験した1926年の東京市小石川区にある共同印刷(作中では「大同印刷」となっている)のストライキ、いわゆる「共同印刷争議」を題材とした作品である。舞台は白山御殿町など、印刷工場の周囲に立地した「不良住宅地区」と呼ばれた貧民居住地で、台地と台地の間の水田や湿地が埋め立てられ、貧民居住地が形成されていく様子が示されている[1]

あらすじ[編集]

評価[編集]

作品は、ストライキの実態や、労働者側が敗北に追いこまれるという、労働者のたたかいをリアルに描いたことから、発表直後から文壇でも評判になり、蔵原惟人や川端康成が賞賛、連載完結を待たずに、1929年12月に戦旗社から単行本が刊行された。徳永は、この作品で一躍プロレタリア文学の新進作家として認められ、『中央公論』などの総合雑誌にも作品を発表し、専業作家への道を進むことになった。

今日でも、表現の斬新さ、争議を扱った長編としての目新しさが注目される反面、「虚構性」、人物像の形象などで成功していない点があるとの指摘もある[2]

絶版をめぐって[編集]

戦時体制が厳しくなってきた1937年12月、徳永はこの小説の絶版を表明する。その翌日、中野重治・宮本百合子たちが執筆禁止になったことを見ると、この絶版声明が徳永を執筆禁止から逃れさせたと、浦西和彦は指摘している。戦後、この絶版声明は撤回された。

1950年、岩波文庫に収録の際に、作者による「解説」が付され、当時の状況が回想された。[3]

翻訳と海外への紹介[編集]

1930年にドイツ語版、1932年ロシア語版、1940年にチェコ語版、1954年にルーマニア語版が出版されている。ミシガン大学のヘザー・ボゥエン=ストライク教授らも「The Sunless Street」として研究している。

関連文献[編集]

  • 徳永直「『太陽のない街』のころ–弾圧の近代化」『世界春秋』(世界出版社、1949年12月)
  • 日本共産党東京都中部地区氷川下細胞「”太陽のない街”の伝統の旗」『前衛』1955年8月)
  • 浦西和彦「徳永直『太陽のない街』発表年月・共同印刷争議・設定年月・絶版について」『国文学』(関西大学国文学会、1973年12月)
  • 国岡彬一「『太陽のない街』–文体と労働者作家 (プロレタリア文学<特集>)」『日本文学』(日本文学協会編、1976年6月)
  • 小田実「小説世界のなかで-6-『人びと(デモス)』を描くということ–徳永直『太陽のない街』」『文芸』(河出書房新社)1978年10月)
  • 海野弘「日本の一九二〇年代–都市と文学-10-徳永直『太陽のない街』」『海』(中央公論社)1982年10月)
  • 岩渕剛「徳永直–『太陽のない街』とその周辺」『國文學 解釈と教材の研究』(學燈社)2009年1月)

関連文献[編集]

  • 正木喜勝「東京左翼劇場の理論と実践−『全線』と『太陽のない街』の上演分析−」『演劇学論叢』5号(2002年12月)

スタッフ[編集]

キャスト[編集]

  1. ^ 『東京大学が文京区になかったら: 「文化のまち」はいかに生まれたか』伊藤毅、 樺山紘一、 初田香成、 橋元貴、 森朋久、 松山恵、 赤松加寿江、 勝田俊輔、NTT出版, 2018, p101
  2. ^ 批評を考える会/2009年4月 徳永直『太陽のない街』とその周辺
  3. ^ なお、2018年の新字・新かな版への改版の際、徳永執筆の文章は「作品について」と改題され、あらたに鎌田慧による「解説」が付された。
  4. ^ 『太陽のない街』ポスター 法政大学大原社研_OISR.ORG20世紀ポスター展
  5. ^ 法政大学大原社研_OISR.ORG20世紀ポスター展〔諸運動ポスター117〕諸運動ポスター 左翼劇場『太陽のない街』九州地方公演