金子新 – Wikipedia

かねこ しん
金子 新
本名 金子 金太郎 (かねこ きんたろう)
別名義 實川 若之助 (じつかわ じゃくのすけ)
金子 庸之助 (かねこ ようのすけ)
金子 伸
生年月日 (1905-03-26) 1905年3月26日
没年月日 不詳年
出生地 日本の旗 日本 東京府東京市浅草区浅草新吉原(現在の東京都台東区千束3-4丁目辺り)
身長 159.1cm
職業 俳優、元歌舞伎役者
ジャンル 歌舞伎、劇映画(時代劇・現代劇、剣戟映画、サイレント映画)
活動期間 1912年 – 1932年
主な作品
『浪人地獄』
『倶利加羅峠 愛怨篇』
『万花地獄 第四篇』
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金子 新(かねこ しん、1905年3月26日 – 没年不詳)は、日本の俳優、元歌舞伎役者である[1][2][3][4]。本名は金子 金太郎(かねこ きんたろう)[1][2][3][4]。旧芸名は實川 若之助(じつかわ じゃくのすけ)[1][2][3][4]金子 庸之助(かねこ ようのすけ)[3][4]金子 伸と表記に揺れがある。マキノ・プロダクションの主要人物の一人である[1][2]

来歴・人物[編集]

1905年(明治38年)3月26日、東京府東京市浅草区浅草新吉原(現在の東京都台東区千束3-4丁目辺り)に生まれる[1][2][3][4]。1912年(明治45年)、7歳で實川延若(1877年 – 1951年)の一座に加わり、浪花座で初舞台を踏む[1][2][3][4]。1917年(大正6年)には正式に延若の門下となり、實川若之助と改名する[1][2][3][4]

1925年(大正14年)、実川延松プロダクションに入社し、同年10月4日公開の勝見正義監督映画『目明し佐吉の死』で映画デビューを果たすが、諸事情により間も無く退社[1][2][3]。1926年(大正15年)9月、マキノ・プロダクションに入社[1][2][3][4]。芸名も金子新と改名し、以後、同社の主要人物の一人として多数の作品に出演する[1][2][3][4]。1928年(昭和3年)に発行された『日本映画俳優名鑑 昭和四年版』(映画世界社)など一部の資料によれば、京都府葛野郡花園村上谷口龍安寺斎宮町(現在の同府京都市右京区龍安寺斎宮町)に住み、身長は5尺2寸5分(約159.1センチメートル)、体重は13貫300匁(約49.9キログラム)、趣味は長唄、三味線、浄瑠璃、投扇興であり、鰻、洋食、甘味の物が嗜好であるという[1][2]

1931年(昭和6年)のマキノ・プロダクション解散後は、同社の監督であった金森萬象(1893年 – 1982年)が設立した協立映画プロダクションに参加[3][4]。2本の作品に出演した後、1932年(昭和7年)、金子庸之助と改名して嵐寛寿郎プロダクションへ移籍[3][4]。しかし、同年8月12日に公開された並木鏡太郎監督映画『浪人笠五十三次』以降の出演作品が見当たらず、以後の消息は不明である[3][4]。トーキー作品への出演は1作もなく、出演作品はすべてサイレント映画であった。没年不詳。金子の来歴について記載されている資料はほとんど存在しない。

出演作品[編集]

マキノ・プロダクション御室撮影所[編集]

特筆以外、全て製作は「マキノ・プロダクション御室撮影所」、配給は「マキノ・プロダクション」、全てサイレント映画、全て「金子新」名義である。

  • 『目明し佐吉の死』:総指揮マキノ省三、監督勝見正義、共作実川延松プロダクション、1925年10月4日公開
  • 『浪人地獄』:監督高見貞衛、1926年12月10日公開
  • 『影法師捕物帳 前篇』:監督二川文太郎、1926年12月31日公開 – 旗本次男鼓藤四郎
  • 『鳴門秘帖 第三篇』:指揮マキノ省三、監督沼田紅緑、1927年2月9日公開 – 竹屋三位卿
  • 『影法師捕物帳 後篇』:監督二川文太郎、1927年4月1日公開 – 鼓藤四郎
  • 『鳴門秘帖 第四篇』:監督城戸四郎、1927年5月27日公開 – 竹屋三位卿
  • 『鳴門秘帖 第五篇』:監督城戸四郎、1927年6月3日公開 – 竹屋三位卿
  • 『青春』:総指揮マキノ省三、監督金森萬象、1927年6月24日公開 – 若武者
  • 『鳴門秘帖 第六篇』:監督城戸四郎、1927年7月14日公開 – 竹屋三位卿
  • 『敵討鑓諸共』:監督人見吉之助、1927年7月29日公開 – 元助
  • 『鳴門秘帖 最終篇』:監督城戸四郎、1927年9月15日公開 – 竹屋三位卿
  • 『万花地獄 第四篇』:監督中島寶三、1927年9月23日公開 – 花又三日之助
  • 『盛綱』:監督マキノ省三、1927年10月14日公開 – 信楽太郎
  • 『旅の者心中』:総指揮マキノ省三、監督中島寶三、1927年10月21日公開 – め組の勘太
  • 『砂絵呪縛 終篇』:監督金森萬象、1927年12月15日公開 – 杉生左門
  • 『悪党』:監督富澤進郎、1928年1月29日公開 – 辰馬の友山本良久兵衛
  • 『神州天馬侠 第一篇』:監督曽根純三、1928年2月3日公開 – 木幡民部
  • 『倶利加羅峠 愛怨篇』(『くりから峠』):監督中島寳三、1928年2月3日公開
  • 『忠魂義烈 実録忠臣蔵』:総指揮・監督マキノ省三、1928年3月14日公開 – 院使 高野中納言、潮田又之丞高教(東下り)
  • 『女心紅椿』:監督小石栄一、1928年3月15日公開
  • 『神州天馬侠 第二篇』:監督曽根純三、1928年4月27日公開 – 木幡民部
  • 『雷電』:監督マキノ省三、松田定次、1928年6月29日公開 – 佐竹公
  • 『神州天馬侠 第三篇』:監督吉野二郎、1928年7月27日公開 – 木幡民部
  • 『闇川堤』:監督城戸四郎、1928年8月3日公開
  • 『神州天馬侠 第四篇』:監督吉野二郎、1928年9月21日公開 – 木幡民部
  • 『隼六剣士 前篇』:監督金森萬象、1929年1月5日公開 – 黒鹿毛文吾之助・平宗治
  • 『隼六剣士 後篇』:監督金森萬象、1929年1月10日公開 – 黒鹿毛文吾之助・平宗治
  • 『大化新政』:監督マキノ省三、1929年3月1日公開 – 安孫子宿願
  • 『元和豪侠伝』:監督金森萬象、1929年3月8日公開 – 五百城草之助
  • 『怪異千姫狂乱』:監督中島寶三、1929年7月5日公開 – 小間物与吉
  • 『西南戦争』:総指揮マキノ省三、監督中島寶三、1929年10月4日公開 – 伊丹彦四郎
  • 『彦左漫遊記』:監督吉野二郎、1929年11月28日公開 – 加藤明成
  • 『天保水滸伝』:監督押本七之輔、1930年1月5日公開 – 羽計の勇吉
  • 『人斬伊太郎』:監督並木鏡太郎、1930年2月28日公開 – 田中屋清三郎
  • 『日本巌窟王 前篇』:監督中島寶三、1930年3月14日公開 – 庄五郎
  • 『日本巌窟王 後篇』:監督中島寶三、1930年4月4日公開 – 庄五郎
  • 『吉原百人斬』:総指揮マキノ省三、監督中島寶三、1930年6月6日公開 – 米屋の伜辰造
  • 『恋寝刃 伊勢音頭』:監督勝見正義、1930年8月29日公開 – 今田万次郎
  • 『お化同心』:監督中島寶三、1930年9月5日公開 – 石子伴作
  • 『中山七里』:監督並木鏡太郎、1930年11月21日公開 – 徳之助
  • 『続お洒落狂女』:監督吉野二郎、1930年12月19日公開 – 真田庄五郎
  • 『片手無念流 前篇』:監督根岸東一郎、1931年4月3日公開
  • 『紅蝙蝠 前篇』:監督勝見正義、1931年3月13日公開

協立映画プロダクション[編集]

全て製作・配給は「協立映画プロダクション」、全てサイレント映画、全て「金子新」名義である。

  • 『魔の上海』:監督金森萬象、1932年5月1日公開
  • 『光を仰ぎて』:監督金森萬象、1932年月日不明公開 – 主演

嵐寛寿郎プロダクション[編集]

全て製作は「嵐寛寿郎プロダクション」、配給は「新興キネマ」、全てサイレント映画、全て「金子庸之助」名義である。

  • 『浪人笠五十三次』:監督並木鏡太郎、1932年8月12日公開 – 殿様
  1. ^ a b c d e f g h i j k 『日本映画俳優名鑑 昭和四年版』映画世界社、1928年、45頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 『日本映画俳優名鑑 昭和五年版』映画世界社、1929年、56-57頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m 『日本映画興亡史 マキノ一家』ワイズ出版、2000年、32頁。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l 『日本映画人改名・改称事典』国書刊行会、2004年。

関連項目[編集]

  • マキノ・プロダクション
  • 協立映画プロダクション
  • 嵐寛寿郎プロダクション

外部リンク[編集]