喜田哲弘 – Wikipedia

きだ てつひろ

喜田 哲弘

生誕 (1953-06-19) 1953年6月19日(68歳)
日本の旗 日本 大阪府富田林市
出身校 慶應義塾大学法学部
職業 実業家

喜田 哲弘(きだ てつひろ、1953年6月19日 – )は、日本の実業家。生命保険3社を傘下におく金融持株会社のT&Dホールディングス代表取締役会長[1]

大阪府富田林市[2]出身。大阪府立高津高等学校を経て[3]、慶應義塾大学法学部卒業。1976年(昭和51年)大同生命保険入社。1999年(平成11年)企画部長、翌2000年7月、取締役。2003年常務取締役。2010年(平成22年)代表取締役社長。2015年(平成27年)4月、大同生命などの持株会社T&Dホールディングスの代表取締役社長[4]、同年藍綬褒章受章。2018年(平成30年)4月、代表取締役会長。2020年6月、T&Dホールディングス顧問。

経営企画部門、人事関係などを経て、大同生命と太陽生命保険、東京生命保険(現T&Dフィナンシャル生命保険)の3生保の統合(2004年T&Dホールディングス設立)に尽力した。

好きな言葉の一つが、「出迎え三歩、見送り七歩」で、「お客様がお帰りになる際、お迎えした場所よりさらに先までお見送り」し感謝する、「古き良き日本人の心を表した言葉」としている[5]

大同生命の創業者と「あさが来た」の縁[編集]

喜田は期せずして、大同生命の創業者の女性実業家広岡浅子と縁がある。2002年(平成14年)企画部長として大同生命100周年事業を指揮し、社史を編纂の際、浅子と嫁ぎ先の豪商加島屋に着目する。「明治時代にあれほどの実績を残した女性は他にいない」「加島屋をはじめとする江戸時代の大坂商人の『知恵と実力』にもあらためて感銘を受けた」として、110周年事業の際、大同生命社長として、浅子の生涯をまとめた『小説 土佐堀川』(1988年、古川智映子著)を「復刻してもらうのに尽力」[6]したり、浅子と加島屋に関する特別展を大阪本社で開いたりした。

その頃、『産経新聞』で広岡浅子を取り上げた「九転十起の女」が連載されて話題となり、『小説 土佐堀川』を原案としてNHKの連続テレビ小説『あさが来た』の脚本が書かれるなど[7][8]、『あさが来た』ブームとなる。

この縁について、喜田は「浅子と出会った頃の想いがこのような形で実を結び、大変うれしく思っています」と述べている[9]

関連項目[編集]

  • 石野伸子 – 「あさが来た」ブーム火付け役の産経新聞特別記者
先代:
中込賢次
T&Dホールディングス社長
2015年 – 2018年
次代:
上原弘久
先代:
倉持治夫
大同生命保険社長
2010年 – 2015年
次代:
工藤稔