大稲埕駅 – Wikipedia

大稻埕駅(だいとうていえき、ダーダオチェンえき)はかつて台湾台北市大同区(大稲埕地区)にあった台湾総督府鉄道淡水線の駅。

清朝時代の初代台北駅

清朝統治時代[編集]

  • 1887年(光緒13年)6月9日 – 台北基隆間起工式[2](p76)。この日は第二次世界大戦後鉄路節となる。
  • 1888年(光緒14年)
  • 1891年(光緒17年)
    • 10月20日 – 台北基隆線開通に伴い「台北火車票房」正式開業[2](p76)
  • 1893年(光緒19年)11月30日 – 当駅を起点に新竹駅までの路線が開業[2](p76)
  • 1894年(光緒20年)1月23日 – 開業式典開催[3]

日本統治時代[編集]

  • 1896年(明治29年)7月5日 – 臨時台湾鉄道隊の復旧を経て一般旅客を対象とした営業が再開される[4]
  • 1901年(明治34年)
    • 8月25日 – 淡水線の起点かつ、樹林駅経由の現縦貫線の駅として現在地に台北駅(2代目駅舎)が移転開業[2](p77)。構内に「淡水河岸貨物取扱所」を設置[5]
    • 10月25日 – 縦貫線基隆~桃仔園間および淡水線開業式典。
    • 10月 – 初代駅舎が日本の汽車会社の工場として使われる(その後1908年に撤去)[2](p16)
  • 1902年(明治35年)
    • 2月1日 – 淡水河岸貨物取扱所を「大稲埕乗降場」(新・台北駅より0マイル39チェーン=約0.78km)として旅客扱いを開始[6]
    • 6月1日 – 「大稲埕停車場」に改称[7]
  • 1903年(明治36年)10月10日 – 淡水線の始発駅となる[8]
  • 1915年(大正4年)8月17日 – 旅客駅としての起点は同日に新設された北門乗降場に変更し、貨物駅となる[9]
  • 1918年 – 初代駅舎撤去[2](p9)
  • 1937年12月1日 – 新たな貨物駅として樺山驛が開設されたことに伴い廃止[10]

戦後[編集]

台北捷運民生汐止線の起点駅としての計画があるが、当駅とは北に離れた現在の大稲埕碼頭付近に設置される。

廃止前の利用状況[編集]

年別利用客数推移
年間 1日平均
乗車 下車 乗降車計 出典 乗車 乗降車
台北駅時代
資料なし
1897年度 96,493 91,920 188,413 [注 1] 264 516
1898年度 93,152 95,835 188,987 [12] 255 518
1899年度 103,502 104,397 207,899 [13] 283 568
1900年度 261,433 261,433 522,866 [14] 716 1,433
1901年度 3,596 2,579 6,175 [15] 15 26
大稲埕駅時代
1902年度 26,384 25,861 52,245 [16] 447 886
1903年度 33,361 32,138 65,499 [17] 91 179
1904年度 35,506 36,683 72,189 [18] 97 198
1905年度 39,076 40,938 80,014 [19] 107 219
1906年度 41,339 42,616 83,955 [20] 113 230
1907年度 39,531 41,376 80,907 [21] 108 221
1908年度 42,702 45,340 88,042 [22] 117 241
1909年度 42,687 44,990 87,677 [23] 117 240
1910年度 41,534 37,683 79,217 [24] 114 217
1911年度 50,629 50,677 101,306 [25] 138 277
1912年度 71,217 67,869 139,086 [26] 195 381
1913年度 77,669 81,255 158,924 [27] 213 435
1914年度 69,486 73,773 143,259 [28] 190 392
1913年度 77,669 81,255 158,924 [29] 213 435
1914年度 69,486 73,773 143,259 [30] 190 392
1915年度 25,037 29,779 54,816 [31] 181 397
全台鉄路商務総局鉄道(劉銘伝鉄道)
台北基隆線(廃止)
台北駅(初代)錫口駅
台北新竹線(廃止)
台北駅(初代)大橋頭駅
総督府鉄道
淡水線(廃止)
大稻埕駅北門駅

註釈[編集]

  1. ^ 檢索→『臺灣總督府』+『鐵道』[11]

出典[編集]

外部リンク[編集]