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アニメサタデー630 – Wikipedia

前後番組テンプレートの使用に関し、注意喚起しています。詳細はノートを参照願います。(2017年2月) 『アニメサタデー630』(アニメサタデーロクサンマル、Anime Saturday 630)は、毎日放送(MBSテレビ)およびTBSテレビの制作により、TBS系列において、2017年4月15日から2019年6月29日まで毎週土曜日6:30 – 7:30(JST)に放送されていたテレビアニメの放送枠である。略称は『アニサタ』。 2017年4月15日より放送開始。「日5」枠から移行する形となった毎日放送制作枠の第1部(6:30 – 7:00)と、2016年4月23日から2017年3月25日まで全国ネットにてTBS制作土曜7時のアニメ枠で放送された『カミワザ・ワンダ』の後継番組にあたるTBSテレビ制作枠の第2部(7:00 – 7:30)[注 1]からの構成になっていた。 TBS系列の全国ネットで1時間のアニメ枠が設置されるのは、毎日放送制作で1982年10月 – 1983年3月に日曜昼枠で半年間設置されていた『サンデーアニメプレゼント』(前半枠『愛の戦士レインボーマン』、後半枠『超時空要塞マクロス』)以来、34年ぶりのことである。 TBSテレビの菊野浩樹編成局長は「『カミワザ・ワンダ』について視聴率がやや伸び悩んだ」と認めた上で、「前後の関連も流れもよくなかったところもありましたので、MBSさんのアニメと合体して存在感をつくりだしたい。共同でキャンペーンを張っていきたい」と、本枠の編成に至った意図を語っている[1]。 前史[編集] この枠でのアニメ初作品は、それまで土曜19:00枠で1974年から1994年まで、20年間放送されていた毎日放送制作の『まんが日本昔ばなし』が1994年4月にTBSの土曜朝7時枠へ枠移動したのが最初である。当枠移動から約5ヶ月後の1994年9月3日をもって新規制作分は終了するも、その後TBSでは2000年3月まで、CBCテレビでは2003年9月まで過去の傑作選という形で継続した。 TBSではアニメ枠が1年間中断した後の2001年4月に『ゴーゴー五つ子ら・ん・ど』でアニメ枠は再開するも、本作終了後は『みのもんたのサタデーずばッと』などの情報番組放送のため、アニメは長期の中断となる。 アニメ枠の復活と枠名称導入[編集]

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パインソー – Wikipedia

パインソー(英: Paing soe)は、山田マサルが代表を務める日本の劇団、創作ユニットである。2009年に設立された。山田マサルが演出、主に川尻恵太が脚本を手がける。 人間の業と欲望をあらゆる視点から描く、テーマ性の高い作品を上演し続けている。また、「れんぞくきかく」という連続ドラマ仕立てで上演、全7話の作品を3ヶ月にわたり週1回ずつ上演するなど、上演方法に極めて特徴がある[独自研究?]。拠点は札幌だが、2015年3月からは東京公演を重点的に行っている。 過去の作品[編集] 1st「観念してくらさい」[編集] 2nd 「ワタシの好きなぼうりょく」[編集] 脚本:川尻恵太(SUGARBOY) 演出:山田マサル 出演:斉藤麻衣子(エビバイバイ)、赤谷翔次郎(AND)、ツルオカ、吉田奈穂子(AND)、宮田碧(劇団イナダ組)、氏次啓、小林尚史(AND)、重堂元樹(演劇公社ライトマン)、山崎亜莉紗(Massive4tsp.) 3rd れんぞくきかく2011「かせつ×くつがえす試練、10と54乗」[編集] 脚本:川尻恵太(SUGARBOY)、南参(yhs)、ミヤザキカヅヒサ(TBGS)、深浦佑太(ディリバレー・ダイバーズ)、江田由紀浩(劇団イナダ組) 演出:山田マサル 出演:ツルオカ、藤谷真由美(苗穂聖ロイヤル歌劇団)、赤谷翔次郎(AND)、氏次啓、小島達子(劇団イナダ組)、堀内浩水(劇団しろちゃん)、吉田奈穂子(AND)、脇田唯(POST) 4th れんぞくきかく2011「さいだいのしれん」[編集] 脚本:川尻恵太(SUGARBOY) 演出:山田マサル

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寒い朝 (小説) – Wikipedia

『寒い朝』(さむいあさ)は、石坂洋次郎の中編小説。 1959年4月から7月まで『週刊現代』に連載され、8月に講談社から単行本として刊行された。ほどなく映画化・ドラマ化され、1962年には『赤い蕾と白い花』の題で吉永小百合主演で映画化された。主題歌「寒い朝」を吉永と和田弘とマヒナスターズが歌い、ヒットした。 あらすじ[編集] 小児科医の父を持つ三輪茂夫と、洋裁学校経営者の母を持つ岩淵とみ子は高校の同級生。どちらも片親という家庭環境で次第に恋仲になっていき、その過程で双方の親もまた親しくなる。 1959年版[編集] 1959年に『若い素顔』と題して公開。 1962年版[編集] 上述の通り、1962年6月10日に『赤い蕾と白い花』と題して公開。 日本テレビ版[編集] 1959年11月10日から同年11月24日まで日本テレビ系列局で放送。全3回。放送時間は毎週火曜 20:00 – 20:30 (日本標準時)。 NET版[編集] 1961年10月22日に『若い日』というタイトルで、NET(現:テレビ朝日)の『NECサンデー劇場』(日本電気・新日本電機提供)枠で放送。放送時間は日曜20:00 – 21:00(日本標準時)。 フジテレビ版[編集] 1962年9月18日に『おせっかいな季節』というタイトルで、フジテレビの『シャープ火曜劇場』(早川電機工業一社提供)枠で放送。放送時間は火曜20:00

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アイ語 – Wikipedia

この項目「アイ語」は途中まで翻訳されたものです。(原文:“阿依语” 03:28, 31 March 2017 UTC)翻訳作業に協力して下さる方を求めています。ノートページや履歴、翻訳のガイドラインも参照してください。要約欄への翻訳情報の記入をお忘れなく。(2017年4月) アイ語(A’ingae、スペイン語にちなむ名称はコファン語 (Cofán))は、エクアドル北東部とコロンビア南部のアマゾン川流域の先住民・アイ人の使用する言語である。アイ語は形態的には膠着語に属し、主に数々の文法的機能を果たす様々な接辞に依存している。 アイ語の音節構造は、CV、CVʔあるいはCVNである。つまり言い換えるならば、音節末の子音は声門閉鎖音または鼻音でなければならない。 母音[編集] アイ語の母音は鼻音化したものとそうでないものとに分かれ、いずれも5種類ずつ見られるため、合計で10種類の母音が存在することになる。このほか、音韻論的分析における声門閉鎖音も母音の変異音と見做すことが可能で、5つが存在する。アイ語には後舌の狭母音は見られない。以下の一覧表には、アイ語の10の母音を示しておく。 子音[編集] アイ語の破裂音は無気音、有気音、前鼻音化有声音の三種類に分けられる。破擦音には無声と有声との対立が存在する。摩擦音は無声音のみである。 アイ語の正書法は、ラテン文字に基づくものとなっている。その中でも最も普及しているのは宣教師Borman夫妻の手によるBorman正書法である。この正書法はスペイン語の正書法から非常に大きな影響を受けている。 大文字 小文字 名称 音価(IPA) A a

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大分市立碩田学園 – Wikipedia

大分市立碩田学園(おおいたしりつせきでんがくえん)は、大分県大分市碩田町[2]にある小中一貫教育を行う公立義務教育学校である。 大分市中心部の大分市立碩田中学校、大分市立荷揚町小学校、大分市立中島小学校及び大分市立住吉小学校の中学校1校、小学校3校を統合して設立された。大分県で初めての義務教育学校であり[3]、大分市で初めての施設一体型小中一貫教育校でもある[4]。 校名は、大分の古名である「碩田国」(おおきたのくに)に由来する[2]。『豊後国風土記』では、この古名は景行天皇が大分を訪れた際に「広大なる哉、この郡は。よろしく碩田国と名づくべし」として名付けたものとされる[5]。 校地は、隣接する旧碩田中学校及び旧住吉小学校の校地を利用しており、このうち旧碩田中学校の校地に校舎及び小グラウンドが設けられる。小グラウンドは2017年度(平成29年度)の2学期から使用される予定で、1学期の体育の授業には校区内の弁天島公園が使用される[6]。また、旧住吉小学校の校地には、大グラウンド、部室棟及び学校管理センターが設けられる。2017年度(平成29年度)に整備し、2018年(平成30年)4月から使用される予定である。敷地面積は、校舎側が21,973m2、大グラウンド側が15,386でm2で、合計37,299m2[2]。 校舎は、校舎棟(S造6階建て)、文化芸術棟(S造3階建て)及びアリーナ棟(RC造3階建て)からなり、校舎棟とアリーナ棟の間にはアトリウムが設けられる。延床面積は21,711m2。6階建ての校舎棟は津波避難ビルの機能を有し、アリーナ棟3階には防災備蓄倉庫が設けられている[2][4][6]。 2012年3月に策定された「大分市立小中学校適正配置基本計画」では、荷揚町小学校、中島小学校、住吉小学校を統合して新設校を建設するとともに、碩田中学校との小中一貫教育の充実を図るという方向性が示された[7]。2014年2月25日には、大分市教育委員会が、3小学校を統合して、隣接する碩田中学校及び住吉小学校の校地に、2017年4月に施設一体型小中一貫校を開校することを決定した[8]。 2016年6月には、この新設校を大分県初の義務教育学校とすること、校名を大分市立碩田学園とすることが決定された[3]。 通学区域[編集] 芦崎、泉町、寿町、城崎町1-3丁目、新川西、新川町1-2丁目、末広町1丁目、住吉町1-2丁目、碩田町1-3丁目、高砂町、中央町1-4丁目、千代町1-4丁目、豊海1-5丁目、中島中央1-3丁目、中島西1-3丁目、中島東1-3丁目、荷揚町、浜町東、府内町2-3丁目、弁天1-3丁目、都町1-4丁目、豊町1-2丁目[9] 関連項目[編集] 外部リンク[編集]

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エーリヒ・ヘーニシュ – Wikipedia

エーリヒ・ヘーニシュ(Erich Haenisch、1880年8月27日 – 1966年12月21日)は、ドイツのモンゴル研究者、中国学者。『元朝秘史』と『蒙古源流』の研究でとくに知られる。 1880年、ベルリンで生まれた。ベルリン大学でヴィルヘルム・グルーベに中国学、モンゴル語、満州語を学び[1]、1904年、『蒙古源流』のモンゴル語から中国語への編集の研究によって博士の学位を得た[2]。 Die chinesische Redaktion des Sanang Setsen: Geschichte der Ostmongolen, im Vergleiche mit dem mongolischen Urtexte.

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上田瞳 – Wikipedia

発売日 商品名 歌 楽曲 備考 2017年 1月25日 ウマ娘 プリティーダービー STARTING GATE 03 ゴールドシップ(上田瞳) 「Goal To My SHIP」 ゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』関連曲 ウオッカ(大橋彩香)、ダイワスカーレット(木村千咲)、ゴールドシップ(上田瞳)

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澤田圭佑 – Wikipedia

この項目では、プロ野球選手について説明しています。俳優については「澤田圭佑 (俳優)」をご覧ください。 この記事の項目名には以下のような表記揺れがあります。 澤田 圭佑(さわだ けいすけ、1994年4月27日 – )は、愛媛県松山市出身[1]のプロ野球選手(投手)。右投左打。オリックス・バファローズ所属。 プロ入り前[編集] 松山市立荏原小学校在学中に「砥部リトル」で硬式野球を始めると、同市立久谷中学校への進学後は、愛媛西シニアに所属した[3]。 愛媛西シニアのエースとして出場した大会を大阪桐蔭高校硬式野球部監督の西谷浩一が視察したことをきっかけに、自身の意思で同校へ進学[4]。3年時には、エース・藤浪晋太郎に次ぐ背番号10の2番手投手として、藤浪や1学年下の森友哉などとともに甲子園球場の全国大会で春夏連覇を経験した[5]。夏の大阪大会では、本調子でなかった藤浪を好救援で支え続けながら、チームの全国大会出場に貢献。「9番・投手」として先発した全国大会の3回戦では、熊本代表の済々黌高校打線を相手に2失点の完投勝利を挙げるとともに、打者としても本塁打も記録している[6]。 大阪桐蔭高校で春夏制覇を達成した後は、プロ志望届を提出せずに立教大学へ進学した。進学後は、1年時の春から東京六大学野球のリーグ戦に登板[6]すると、主に先発投手として活躍。2年時の秋季リーグ戦では、通算65イニングを投げて、6完投、防御率1.11、リーグトップの5勝を記録した[7]。3年時には、春季リーグの開幕戦で完投勝利を記録[6]。夏には、第28回ユニバーシアード競技大会の日本代表に選出されて優勝に貢献し、金メダルを獲得した[8]。4年時には主将を経験し、同部の投手が主将を兼務した事例は、2002年の上重聡以来であった[3]。在学中には、東京六大学野球のリーグ戦に、通算69試合の登板で22勝16敗、防御率2.24、225奪三振という成績を残した[9]。また、通算投球回(300イニング)と通算勝利数(22勝)はいずれも、当時の現役投手で最も多かった[6]。大学の同期には田村伊知郎と田中和基がいる。 大学4年生だった2016年の秋にプロ志望届を日本学生野球協会へ提出したこと[5]を背景に、同年のNPBドラフト会議で、オリックス・バファローズから8巡目で指名[10]。契約金2,000万円、年俸700万円(金額は推定)という条件で入団した[11]。背番号は49。このドラフト会議では、田村も埼玉西武ライオンズからの6巡目指名を経て入団している。 オリックス時代[編集] 2017年には、同期入団の山岡泰輔・黒木優太・小林慶祐と共に春季キャンプを一軍でスタート[12]。一時は二軍キャンプへ回ったが、金田和之の故障で一軍へ昇格したキャンプ終盤[13]から、対外試合[14]で好投を見せた。ワールド・ベースボール・クラシック開幕直前の3月5日には、オリックスと日本代表の強化試合(京セラドーム大阪)に、救援投手として6回表から登板。日本代表の先発だった藤浪が2回2失点で降板した後にマウンドへ上がったため、藤浪との投げ合いは実現しなかったものの[15]、2イニングを投げて日本代表打線を1安打無失点に抑えた[16]。オープン戦でも、救援で登板した5試合(通算4回1/3)を無失点で凌ぎ、チームの新人選手からは黒木とともに開幕一軍入りを果たした[17]。3月31日には、東北楽天ゴールデンイーグルス(京セラドーム大阪)との開幕戦で、救援投手として一軍公式戦にデビュー。4-4の同点で登板した延長11回表にカルロス・ペゲーロにバックスクリーンへ2点本塁打を被弾し、チームがそのまま4-6で敗れたため、澤田が敗戦投手になった。チームはこの敗戦で開幕戦6連敗を喫したものの、一軍監督の福良淳一は試合後に、「(澤田は)よく粘ったんじゃないか。マウンドさばきも大丈夫。本塁打の後はきっちり抑えてくれた」とコメント[18]。翌4月1日の同カードでも救援登板で3失点を喫したが、レギュラーシーズンの序盤は、中継ぎ投手として一軍公式戦での登板を重ねた。その後は、一軍と二軍を2度往復しながら、ウエスタン・リーグの公式戦で先発登板も経験。10月6日には、福岡ソフトバンクホークスの本拠地・福岡ヤフオク!ドームにおけるレギュラーシーズン最終戦で延長12回裏に登板したが、代打の吉村裕基にサヨナラ本塁打を打たれてシーズン2敗目を喫した[19]。一軍公式戦にはオール救援で13試合に登板したが、初勝利を挙げるまでに至らなかった。 2018年には、前年に続いて、公式戦の開幕から一軍の中継ぎ要員に起用。ビハインドの展開での登板が中心で、シーズン初登板からの9試合連続無失点を経て、5月4日の対ソフトバンク戦(福岡ヤフオク!ドーム)で8回裏を三者凡退に抑えて一軍公式戦初勝利を挙げた[20]。一軍公式戦全体では、47試合の登板で、5勝無敗、8ホールド、防御率2.54を記録。シーズン終了後の契約交渉では、「チームの勝利に繋がるピッチングが前年より多く見られた」という評価を背景に、推定年俸2,600万円(前年から1,650万円増)という条件で契約を更改した[21]。 2019年には、「勝利の方程式」を担うセットアッパーとして、一軍公式戦の開幕から22試合に登板。2勝2敗15ホールドを記録したが、5月末に右第5中手骨基部を骨折したため、6月1日付で出場選手登録を抹消された[22]。8月下旬に一軍へ復帰したものの、6試合の登板で2ホールドを挙げただけでシーズンを終了。通算の防御率は4.85ながら、シーズンの終了後に、推定年俸2,700万円(前年から100万円増)という条件で契約を更改した。 2020年には、右肘内側の側副靭帯に炎症が生じたため、レギュラーシーズン中の9月に戦線を離脱。一軍公式戦全体では22試合に登板したものの、前年に続いて故障の影響で本領を十分に発揮できず、2敗を喫しただけに終わった[23]。球団は上記の成績を「チームの勝利に対する貢献度が低い」として、シーズン終了後の契約交渉で、NPBが野球協約で定めている年俸の減額制限(25%)に近い減俸を澤田に提示。澤田はこの提示を保留したうえで、ホールド、救援勝利、ホールドポイント、セーブなどの成績と連動した出来高(インセンティブ)条項を契約へ追加することを球団に提案した。実際には2度目の交渉でも球団からの提示額は変わらなかったが、上記の提案が最高で1,000万円相当のインセンティブ条項として球団へ受け入れられた末に、推定年俸2,100万円(前年から600万円減)という条件で契約を更改した[24]。 選手としての特徴[編集] 身長178cm・体重96kgというふくよかな体格で、打者がスイングのタイミングを取りづらいオーバースローの投球フォーム[25]から、最速152km/hのストレートを主体にスライダー・カットボール・チェンジアップなどの変化球を巧みに投げ分ける本格派投手[要出典][26]。高校時代から投球の安定感とコントロールへの評価が高く、大学時代には、東京六大学野球のリーグ戦で1試合平均の与四死球率を1.99にとどめていた[27]。オリックスでチームメイトだった小谷野栄一は、「投球に大したスピードはないのに、投げる寸前まで球種が分からないので、打者が先に反応してしまう」という意味で、澤田の投球術を「あと出しジャンケン」と表現している[25]。

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大いなる神秘 – Wikipedia

大いなる神秘(Great Mystery)は、アメリカ・インディアンの創造主、宇宙の真理。アメリカインディアンは、この世の事どもすべては「大いなる神秘」が創造したものであり、この世の中心に創造主である「大いなる神秘」が存在していると考える。しばしば英語でグレート・スピリット(大精神、Great Spirit)と表現されるが、「大いなる神秘」の概念は「宇宙の根本原理」に近く、神様のような人格化された存在ではない。ラコタ族のメディスンマンレイムディアーは、ワカンタンカ(大いなる神秘)について、「髭を生やした老人であるとか、そういう人の姿をしたような存在では決してない」と述べている。 「宇宙の真理」である「大いなる神秘」には始まりも終わりもなく、この「大いなる神秘」のもとでは「二つ足も四つ足も、石も草も木も」すべてが平等である。インディアンの世界では、人間以外のものを呼ぶ際も、「熊のひとたち」、「石のひとたち」、「鳥のひとたち」といったふうに呼ばれ、人間も人間以外のものもはっきりと区別されない。どの部族でも、様々な精神が信仰されているが、これらもすべて「大いなる神秘」のもとにある存在なのである。またインディアンの社会には「上司」や「部下」、「上意下達」といった、主従・上下関係というものがない。すべての事どもは「大いなる神秘」のもとに平等であり、尊重されるべき存在だからである。 インディアンはこの「大いなる神秘」の意のままに生かされている、と考える。よって、「大いなる神秘」のもとに「すべてが繋がっており、すべては共有される」と考えるインディアンにとってその意に逆らう「我欲」や「欲望」、「独占」は軽蔑される。 インディアンの社会では現在でも身内が亡くなれば家財一切を、思わぬ収入があればこれを「ギブアウェイ」として放出する。「富を貯め込むこと」は、インディアンの社会では恥ずべきこととされる。 「大いなる神秘」は、常にインディアンたちと「繋がっている」ものであるから、インディアンたちは部族の平和と発展を祈って、ことあるごとに、常に祈りを捧げる。レイムディアーはこう述べている。「白人のキリスト教は日曜日に教会へ行って祈ればおしまいだ。我々インディアンの宗教はフルタイムで祈りを捧げるものなのだ」 聖なるパイプ・ピースパイプ[編集] 「ネイティブ・アメリカン / 米国先住民」で主にロッキー山脈の東側に広がる大平原に居住していた、ラコタ族などの平原インディアンに分類される部族は、ピースパイプ・セレモニーと呼ばれる儀式に「ピースパイプ」を使ってタバコを喫煙する。ピースパイプは「大いなる神秘」と交流するための道具で、タバコは「大いなる神秘」への神聖な捧げものであり、聖なるパイプから立ち上る煙は、天上の「大いなる神秘」と「交流」するための媒体となる。ピースパイプ・セレモニーは創造主である「大いなる神秘」とインディアン社会を繋ぐなくてはならない儀式であり習慣である。 参考文献[編集] 『Lame Deer Seeker of Visions. Simon and Schuster」(Lame Deer,

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