クラレンス・ハウス – Wikipedia

クラレンス・ハウス 
2006年撮影

クラレンス・ハウス英: Clarence House)は、イギリス、ロンドン、シティ・オブ・ウェストミンスターのマル通りにある、イギリス王室の邸宅(タウンハウス)である。セント・ジェームズ宮殿に隣接していて、宮殿と庭を共有している。1953年から2002年までの約50年間、エリザベス王太后が住んでいた[1] 。それ以降、チャールズ王太子とカミラ夫人の公邸である。

2003年以降、ウィリアム王子が2011年4月に結婚するまでは彼の公邸でもあり、2003年から2012年まではヘンリー王子の公邸でもあった[2] 。ロンドンに数多くある王室の建物の一つで、毎年通常8月に来訪者向けに公開されている。

2003年以降は「クレランス・ハウス」がチャールズ王太子の公邸を表すメトニミーとしてよく使われている。それ以前は「セント・ジェームズ宮殿」と呼ばれていた。

イギリス指定建造物のグレードIに指定されている[3]

クラレンス・ハウス 1874年

クラレンス・ハウスは、1825年から27年にかけて、クラレンス公ウィリアムの委託を受けたジョン・ナッシュの設計により建てられた[4] 。クラレンス公はその後1830年に、イギリス王ウィリアム4世となった。彼は近くのセント・ジェームズ宮殿より優先してそこに住んだのだが、あまりにも狭かった[5]

邸宅は、ウィリアム4世から彼の妹のオーガスタ・ソフィア王女に譲られ、彼女が1840年に亡くなると、ヴィクトリア女王の母、ケント公爵夫人ヴィクトリアに譲られた。1866年にヴィクトリア女王の第4子で次男のアルフレート王子に譲られ、1900年に亡くなるまで使われた。

次いで、ヴィクトリア女王の三男でアルフレートの弟のアーサー王子が1900年から亡くなる1942年まで使い、その間ロンドン大空襲の爆撃により被害を被った。その後第二次世界大戦終結まで赤十字社とセント・ジョン・アンビュランス [注釈 1] の本部として使われ、次いで王女時代のエリザベスと夫のフィリップに譲られた。1950年にアン王女が生まれた。1952年にジョージ6世が亡くなり、翌1953年にエリザベス王太后とマーガレット王女が移り住んだが、その後二人はケンジントン宮殿へ移った[6]

建物は屋根裏や地下室を除くと4階建てで、淡い色の化粧しっくいに覆われている。第二次世界大戦後が最も顕著であるが、長年にわたる大規模な改装と改築を経て、ナッシュのオリジナルの構造はほとんど残っていない。

2002年にエリザベス王太后が亡くなり、大規模な改修が行われて、翌2003年にチャールズ王太子が移り住んだ[7] 。建物は完全に再構築されており、主要な部屋の大半はインテリア・デザイナーのロバート・カイムによる内装工事が行われていて、外装も直された[5]

近年の出来事[編集]

2013年11月、チャールズ王太子は、クラレンス・ハウスで開催されたレセプションで、2013年ラグビーリーグワールドカップ英語版の全14か国の代表と大会主催者を歓迎した[8]

  1. ^ セント・ジョン・アンビュランス英語版 は1877年にイギリスで設立された、応急処置の教育と練習のためのボランティア団体で、その後その名称は世界中で使われるようになった。
[脚注の使い方]
  1. ^ ロイヤル・コレクション・トラスト Who lived in Clarence House? 2017年5月12日閲覧
  2. ^ CBS NEWS March 28, 2012, 11:36 AM Prince Harry moves into Kensington Palace 2017年5月12日閲覧
  3. ^ ヒストリック・イングランド CLARENCE HOUSE 2017年5月12日閲覧
  4. ^ the Royal Family “Royal residences Clarence House” 2017年5月12日閲覧
  5. ^ a b the Daily Mail “Charles moves into Clarence House” 2017年5月12日閲覧
  6. ^ Tori V. Martínez. “Palaces on the Periphery: Marlborough House and Clarence House” 2017年5月12日閲覧
  7. ^ the Daily Mail “Clarence House opens doors” 2017年5月12日閲覧
  8. ^ the Daily Mail“Prince Charles welcomes World Cup stars with Clarence House reception as England prepare for Ireland in front of sell-out crowd” 2017年5月12日閲覧

外部リンク[編集]

座標:

北緯51度30分14秒 西経0度08分19秒 / 北緯51.5040度 西経0.1385度 / 51.5040; -0.1385