横内タケ – Wikipedia

横内 タケ
別名 横内 健亨(よこうち たけひろ)[1]
生誕 (1954-02-22) 1954年2月22日(68歳)
出身地 日本の旗 日本 東京都千代田区神田
ジャンル ロック
グラムロック
職業 ギタリスト
担当楽器 ギター
活動期間 1973年 –
共同作業者 ハイソサエティー
ウォッカ・コリンズ
TENSAW
レベッカ
TRAUMA

横内 タケ (よこうち タケ、別名:横内 健亨(よこうち たけひろ[1])、1954年2月22日 -) は、日本のギタリスト。

生い立ち[編集]

麻布の病院で生まれ、ひとりっ子として神田に育つ[2]。小学生の頃には、少年合唱団でソプラノを歌っており、レコード吹込みやテレビ出演も経験した[2]。中学時代にギターを手にするも、ドラムに興味をもち演奏を始めたが、やがてギターを本格的に始める[2]。玉川学園高等部のときにジャニー喜多川に誘われてジャニーズ事務所に入り、フォーリーブスのバック・バンドであるハイソサエティーで演奏したが、これは半年ほどでやめている[2]。その後、立教大学へ進む[2]

ウォッカ・コリンズ[編集]

その後、エンジェルというバンドを組み、後の時代のライブハウスにあたる当時のジャズ喫茶で活動していた横内は、大口広司と知り合い、さらにバンド解散後にかまやつひろしと知り合う[2]。大口がアラン・メリルと行なっていたセッションに誘われ、ベースを弾くことになり、これがウォッカ・コリンズの母体となった[2]

横内は、ウォッカ・コリンズの代表作であるのヒット・シングル「Sands Of Time」や「Automatic Pilot」、1973年の東芝EMIから出たアルバム『東京-ニューヨーク (Tokyo – New York)』でベースを弾いている。

ウォッカ・コリンズの活動末期には、メリルが脱退した後を埋めてギターを弾いた[2]

後年の経歴[編集]

ウォッカ・コリンズが1974年に解散した後、横内は再びギターを演奏するようになり、山本達彦らとオレンジを組んで活動し、レコードも出した[2]。その後、かまやつひろしや野口五郎のサポートなどを経て、TENSAWの結成にも参加して[2]、ウォッカ・コリンズの楽曲「Automatic Pilot」のカバーを1980年代に録音するなどして、チャート入りも果たした。理由は明かされていないが、ウォッカ・コリンズが1990年代に再結成された際にはこれに参加せず、代わってザ・ゴールデン・カップスのルイズルイス加部が参加した。

その後は、佐野元春のバック・バンドだった佐野元春 with THE HEARTLANDに参加したほか[2]、矢沢永吉、宇崎竜童などのツアーにギタリストとして参加し[1]、さらにかまやつひろし、佐久間学、白井貴子、レベッカ、山下久美子、渡辺美里などのレコーディングにスタジオ・ミュージシャンとして参加している[2]。 

また。小田原豊、六川正彦とのバンドTRAUMAや、TORII、Bamboo Shuffle などのバンドでもギターを弾いている[1]。 

  1. ^ a b c d 横内健亨”. Guitar☆Man. 2017年5月5日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 横内タケ”. moment/モーメント (2005年6月2日). 2017年5月5日閲覧。

外部リンク[編集]