Month: March 2022

アラスカ州選出のアメリカ合衆国上院議員 – Wikipedia

第2部 第2部の上院議員は2002年, 2008年, 2014年,2020年に改選されている。次の選挙は2026年に予定されている。 議会 第3部 第3部の上院議員は2004年, 2010年,2016年に改選されている。次の選挙は2022年に予定されている。 # 氏名 所属政党 在職期間 選挙歴 任期 任期 選挙歴 在職期間 所属政党 氏名 #

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北海道ハイテクノロジー専門学校 – Wikipedia

北海道ハイテクノロジー専門学校(ほっかいどうハイテクノロジーせんもんがっこう)とは北海道恵庭市恵み野に所在する、滋慶学園グループの学校法人産業技術学園が運営する専門学校である。地元で「ハイテク」と称される。 医療、生物工学、情報技術、などを学ぶ学生数はおよそ1300名でうち社会人は18.9パーセント[1]である。 救急救命士学科、視能訓練士学科、義肢装具士学科、eスポーツプロフェッショナルゲーマー専攻、プロジェクションマッピング専攻、など道内または国内で初設置となる養成過程[2][3]が複数ある。 札幌ドーム1.5個分となる約20,000平方メートルの敷地に、校舎8棟[4]、学生寮4棟、学生食堂、屋内運動施設のハイテクアリーナ、日本初の屋内陸上トラックのインドアスタジアム[4]があり、全校舎と里美ハイムを除く学生寮は外壁が茶色に統一している。これら施設は北海道ハイテクACが練習拠点とするほかに市民も使用可能[5]である。 2016年に恵庭市と包括連携協定を締結[6]するなど「産学官協働教育」[7]を図っている。 空からの北海道ハイテクノロジー専門学校 年表[編集] 学科・コース[編集] ITメディア学科 (2年制) ゲームクリエイター専攻 プログラマ専攻 デザイン・CG専攻 eスポーツプロフェッショナルゲーマー専攻 プロジェクションマッピング専攻 ドローン専攻 AI専攻 ホワイトハッカー専攻 クラブ活動[編集] 現在は廃部となっている

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ノヴァヤゼムリャ – Wikipedia

座標: 北緯74度 東経56度 / 北緯74度 東経56度 / 74; 56 ノヴァヤゼムリャの位置 ノヴァヤゼムリャ(ロシア語: Новая Земля, ラテン文字転写: Novaya Zemlya ノーヴァヤ・ズィムリャー;他のラテン文字表記の例: Novaja Zemlja 直訳すると「新しい大地」)は北極海に浮かぶ列島で、バレンツ海とカラ海を分け、ヨーロッパの最北東端に位置する。ロシア連邦領。アルハンゲリスク州に属する。ノーヴァヤ・ゼムリャーとも書かれる。かつてはカラ島とも呼ばれた。銅、鉛、亜鉛などを産する。

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排気温度計 – Wikipedia

航空機に取り付けられている排気温度計 排気温度計(はいきおんどけい)は、内燃機関において排気ガスの温度を指示する計器、測定器である。英語のExhaust Gas Temperature gaugeよりEGTなどと略される。 自動車・オートバイなどの内燃機関を搭載するもののうち、排気ガスの温度が特に重要な意味を持つ車両に装備され、操作者が現在の排気ガス温度を把握するのに用いられる。 以下では特に、自動車、オートバイの排気温度計に関して記述する。また、排気温度警告灯についてもこの項に記述する。 計器としての単位は摂氏である。エンジンにとっては排気ガス温度は排ガス浄化や燃焼効率の多寡を示す要素の一つである。また、空燃比の変化を示す指標の一つともなり、排気ガス温度を把握しないまま走行を続けると、何らかの原因で排気ガス温度が極端に上昇した場合、最悪の場合は触媒やエンジン破損(エンジンブロー)、車両火災を招く場合もある。 走行中の排気ガス温度の急激な変化、特に温度の急上昇は、燃調セッティングの不備などにより空燃比が異常に薄くなった事(希薄燃焼)や点火プラグの熱価不適合に起因する排気ガス自体の温度上昇や、ディストリビューターやプラグコード等の不調や故障に起因した点火プラグの失火に伴う三元触媒への未燃焼ガス(ブローバイ)の流入と再燃焼などによるエキゾーストパイプの白熱化[1]などによって引き起こされる。これらのトラブルは燃料系統若しくは点火系統の重大な異常を示す物であり、エンジンの状態を示す指標ともなった為、かつては多くの車種のメーターパネルに排気温度警告灯が搭載されていた。 排気温度計は航空機に於いては第二次世界大戦当時から一般的な装備であったが、市販自動車に於いては1970年代後半の燃料噴射装置の登場と共に一般的となった。マフラーや触媒に備えられた排気温度センサーの抵抗値の上下動によって、電気式メーターに排気温度を表示する方式が主流である。純正装着されている車両は極めて少なく、ほとんどの場合は排気温度計の代わりに排気の異常高温を示す排気温度警告灯で代用されている。 装備としての排気温度計[編集] 排気温度計は各種計器の中でも純正採用が現在でも殆どされていない計器の一つである。 これは、市販自動車に関しては排気温度そのものは「三元触媒を破損させ、車両火災を誘発する恐れのある異常温度か否か」という事が重要視された項目であり、一部のスポーツ車種を除いて正確な数値を表記する必要性があまり存在しなかったことに起因する。そのため、純正計器ではほとんどが排気温度警告灯のみが装備されていた。 現在でも一部の車種を除いて排気温度計そのものを純正で採用する車種はほとんどなく、排気温度計を利用するには専ら後付けメーターによるところが大きい。主にターボチャージャー装着車両に於いて、エンジンコントロールユニットの燃調データを変更する際に利用される場合が多い[2]。 当然ながら、排気温度計自体は法律上必要な装備とはされておらず、排気温度計の有無や動作状況に関わらず、車検には影響しない。 競技・スポーツ装備としての排気温度計[編集] モータースポーツ競技においては、排気温度の変化はエンジン出力の何らかの異常を示す要素の一つとなる。 また、車両の改造度合い、特に燃調の変更や過給圧の変更などにより極端な変化を示す傾向があるため、キャブレターやエンジンコントロールユニット、燃料噴射装置や過給器の改造を施す者にとっては重要な装備の一つとなっている。 排気温度警告灯[編集] 排気温度警告灯とは、ガソリンエンジンを用いる自動車やオートバイのダッシュボードやメーターパネル上に備え付けられた警告灯の一つであり、三元触媒やエキゾーストマニホールドに取り付けられた温度センサーの動作により、ドライバーに排気温度及びエキゾーストパイプの温度の異常上昇を知らせる装備である。かつては日本国内の保安基準に於いては、エキゾーストパイプへの温度センサーの装着と、高熱となる部位周辺への遮熱板の設置、ブザー若しくはランプによる警告装置の装着、及び警告装置が作動した場合の対処法を示した表示(処置ラベル)[3]が義務付けられていた時期があり、これらの一連の装備の不備または警告装置が作動している状態の場合には車検を通過する事が不可能であった。

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久下田郵便局 – Wikipedia

久下田郵便局(くげたゆうびんきょく)は、栃木県真岡市にある郵便局。民営化前の分類では集配特定郵便局であった。 住所:〒321-4599 栃木県真岡市久下田西4-156 1872年8月4日(明治5年7月1日) – 谷田貝(やたがい)郵便取扱所として開設[1]。 1875年(明治8年)1月1日 – 谷田貝郵便局(五等)となる。 1883年(明治16年)5月16日 – 為替・貯金取扱を開始。 1890年(明治23年)4月1日 – 久下田郵便局に改称。 1955年(昭和30年)1月20日 – 長沼郵便局から電話交換事務の取扱を移管[2]。 1955年(昭和30年)12月1日 –

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名古屋高速都心環状線 – Wikipedia

名古屋高速都心環状線(なごやこうそくとしんかんじょうせん)は、愛知県名古屋市の、中区、東区、昭和区、中川区、中村区、西区を環状に回る名古屋高速道路の路線である。 各放射線同士を接続する役割を担う時計回りの一方通行路線である[2]。また、都心部との流出入の役割も担うことから愛知県庁、名古屋市役所等の官公庁街をはじめ栄、金山、名古屋駅付近に出入口を設置している。車線は概ね3車線で、一部区間で4車線も存在する。ただし、ジャンクションのカーブ区間では山王JCTを除いて2車線に減少する。路線は日本における他の都市高速道路の環状線と異なり[注釈 1]、すべて既存の平面街路の上部に施工されている。 路線番号はC1、英語表記はCircle 1である[6]。「Circle」は環状線の円を意味する[6]。開通当初の路線番号はR、英語表記はRingであったが、高速道路ナンバリングの制定に伴い、中京圏を取り巻く高速道路網との整合性からC1に変更された[8]。高速道路ナンバリングにおける「C」は環状道路を示しており[9]、都心環状線を名古屋における環状高速道路の1番目に数え、より外周の環状高速道路である名古屋第二環状自動車道(名二環)にはC2を、さらに外周の東海環状自動車道(東海環状)にはC3を割り振っている[6][注釈 2]。 上空から見た場合の路線形状は四角に近く、これは都心環状線が直線と急カーブの両極端の組み合わせであることの反映である[11]。このため、直線感覚のまま急カーブのジャンクションに高速進入して事故に至るケースが多発しているが、これについてはジャンクションカーブ節で後述する。 朝夕は錦橋出口付近の渋滞が慢性化しており、この打開策として新洲崎JCT付近に名古屋駅方面に連絡するための新たな出入口を設置する予定である。この計画は2027年に予定されているリニア中央新幹線の名古屋乗入れによるアクセス向上の一環である[12][13]。また、渋滞は丸田町JCTや明道町JCT付近でも発生しており、理由はジャンクションで都心環状線に合流した直後に別のジャンクションまたは出口で分流があることから、合流した車両と分岐しようとする車両が交差する『織り込み交通』が生じることである(下図)[14]。 道路法上は、愛知県道高速名古屋朝日線(中村区名駅四丁目 – 清須市朝日)・愛知県道高速名古屋新宝線(中村区名駅四丁目 – 東海市新宝町)・名古屋市道高速2号(北区大我麻町 – 緑区大高町)の各一部と、名古屋市道高速分岐2号(西区那古野二丁目 – 東区泉二丁目)・名古屋市道高速分岐3号(中川区山王三丁目 – 昭和区御器所一丁目)のそれぞれ全部からなる[15]。 路線データ[編集]

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大小姐 – Wikipedia

大小姐(ダ シャオ ジェー)は、ハロー!プロジェクト(以下ハロプロ)初の海外オーディション番組「早安家族New Star」にて特別賞を受賞したメンバーによって結成された女性アイドルグループ(その後ハロプロを離脱している)。 メンバー[編集] フランシスと藍愛子とは同じ台中市に住み、家族ぐるみの付き合いをしている。 地元(台湾)のイベントに多数出演している 大小姐の名前の由来[編集] プロデューサーの黃舒駿はフランシス&愛子の新たな名前をいろいろと考えていた。しかし、「泡泡糖(風船ガム)」、「元氣鬧鬧(元気いっぱい)」、などの70以上の名前を考えてみたがどれも納得いかずに悩んでいた。あるとき張小燕が訪れた際に、フランシスと愛子は自分たちのことを「大姐(ダーヂエ:大きなお姉さん)」です、「小姐(シャオヂエ:お姉さん)」です、と自己紹介したことから大小姐の名前がひらめいたという。「大小姐」とはお金持ちのお嬢さんという意味もあるが、大姐と小姐で無邪気に大小姐だというのがいいということになった。 ハロー!プロジェクト初の海外オーディション「早安家族NEW STAR」における候補者の最年少組。同オーディション[1]では「早安幼幼組」と呼ばれていた。 2009年1月、ハロプロコンサートに出演、3月にハロプロメンバー入り。 2009年9月14日、ユニット名「大小姐」として台湾で2009年9月15日に正式デビューすることが発表された。(それまでのユニット名はフランシス&愛子(中文表記:兆絃&愛子)であった)[2] 2012年5月、公式サイトのアーティスト一覧から削除され、ハロー!プロジェクトを離脱した。 ディスコグラフィ[編集] アルバム(台湾)[編集] 我是大小姐(2009年9月15日) 我是大小姐虎虎生風賀年版(2010年2月3日) 加加油 大小姐(2011年1月26日)

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サバクゴファーガメ – Wikipedia

サバクゴファーガメ(学名:Gopherus agassizii)は、リクガメ科ゴファーガメ属に分類されるカメ。 アメリカ合衆国(アリゾナ州、カリフォルニア州南部、ネバダ州、ユタ州)、メキシコ(シナロア州、ソノラ州)[1][2][3] 最大甲長38センチメートル[1][3]。背甲の甲板は成長輪が明瞭[1]。椎甲板は第5椎甲板が最も幅広い[2]。後部縁甲板の外縁は鋸状に尖る[1]。背甲や腹甲の色彩は黄褐色や暗褐色、黒で、孵化直後からある甲板(初生甲板)周辺は黄色や橙色[1]。腋下甲板は左右に1枚ずつある[2]。 前肢の第1指の爪から第3指の爪までの間隔は、後肢の第1趾の爪から第3趾の爪までの間隔と等しい[2]。頭部の色彩は黄褐色の個体が多いが、赤褐色の個体もいる[1]。 標高1,000メートル以下にある基底が砂や砂礫の砂漠内の扇状地、枯れた河川、峡谷などに生息する[1]。土手などの周囲よりやや高い場所に長さ2.4-4.6メートルの水平の穴、もしくは深さ約1メートルの傾斜した穴を掘り生活する[1]。昼間や夜間は巣穴の中で生活する[1]。年間を通して12-25個の巣穴を使用するが、複数個体が同じ巣穴に同時に同居する事はないが別々の時期に共有することはある[1]。夏季や冬季になると深い巣穴の中で休眠する[1]。 食性は植物食で、草、低木の花、多肉植物などを食べる[1][2][3]。 繁殖形態は卵生。繁殖期になるとオスは臭線から匂いを出しメスを誘き寄せる[1]。5-7月に1回に4-6個の卵を年に1-3回に分けて産む[1]。卵は90-120日で孵化する[2]。 人間との関係[編集] カリフォルニア州の州爬虫類に指定されている[3]。 開発や放牧による生息地の破壊、交通事故、ペット用の採集などにより生息数が減少している[1][3]。生息地では法的に保護の対象とされ、殺傷や採集、輸出が厳しく制限されているが密猟されることもある[1][3]。飼育下繁殖させた個体を再導入する試みが進められているが、再導入した個体に由来すると考えられている呼吸器系への重篤な感染症の蔓延が問題となっている[1][3]。 参考文献[編集] ^ a b c d e f g

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皇室用客車 – Wikipedia

皇室用客車(こうしつようきゃくしゃ)とは、日本の皇族が鉄道で旅行をする時に使用する皇室専用の鉄道車両(客車)のことである。皇室用客車には、皇族が乗車する御料車(ごりょうしゃ)、随伴員が乗車する供奉車(ぐぶしゃ)、天皇、皇后の霊柩を輸送する霊柩車(れいきゅうしゃ)およびご神体である賢所を輸送するための賢所乗御車(かしこどころじょうぎょしゃ)の4種がある。 通常は東日本旅客鉄道(JR東日本)の東京総合車両センター(旧・大井工場)内の御料車庫において厳重に保管されており、お召し列車を運行する際には、入念な事前整備を施した上で用いられる。 お召し専用機EF58 61が牽引する御料車1号編成(1984年) 御料車は、歴代の皇族が乗る車両で、「御料」とは、高貴な人の所有物・利用物の意である。 御料車は、その時代における最高の車両製造技術と工芸美術の粋を結集して製造されており、工芸品としても貴重なものである。また、明治・大正期の一般用客車がほとんど残存していないため、当時の車両製造技術を今に伝えるものとして、鉄道技術史の面でも貴重な資料である。 御料車に番号が付与されたのは、1911年(明治44年)の鉄道院の車両称号規程制定時で、それまでは、単に玉車(ぎょくしゃ)、鳳車(ほうしゃ)と呼ばれていた。この規程により6両が御料車として番号を付与されたが、それ以後12両が製造あるいは入籍されており、計18両の御料車が存在したことになる。しかしそれ以前に、1872年(明治5年)の鉄道開業式で明治天皇の御乗用に供された客車など、番号を付与されなかった複数の御料車、あるいは貴賓車が存在していたのは確実であるが、その詳細はよくわかっていない。 かつては、天皇用とは別に皇后用など複数の御料車が使用されていたこともあったが、1号御料車(3代)の落成後は、同車がもっぱら使用された。しかし、2007年(平成19年)にE655系電車が代替車として落成したことにより、使用可能な御料客車は存在しない。1号の他にも、2号(2代)、3号(3代。旧1号(2代))、及び14号が、御料車として2010年現在もJR東日本に車籍を有するが、全く使用されておらず、検査が行われていないため、いずれも予備車としても使用できる状態にない。 この他に、電車であるクロ157-1やE655-1も同様の用途に供される車両であるが、過去に私鉄に存在した同等の車両、もしくは外国の同種の車両と同様に、貴賓車(きひんしゃ)または特別車両という呼称が用いられる。 日本国有鉄道(国鉄)時代は全国で1号御料車の運転が見られたが、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化後は、皇室用客車がJR東日本に継承されたこともあって、ほぼJR東日本管内での運転に限られている。 番号付与以前[編集] 1872年(明治5年)の京浜間鉄道開業式で明治天皇の御乗用となったのは、鉄道開業時にイギリスから輸入された上等車10両のうちのサロン車と称される「形式A」と推定されている。この客車は、全長25ft、車体長22ft5in、自重約5tで、車内は3室に分かれている。この車両は、新御料車(形式D)の製造にともなって御料車の任を解かれて皇后および皇太后用のお召し車としても使用できる御料車の予備車的存在となり、後に英照皇太后の霊柩車として改造されている。 1893年(明治26年)にまとめられた形式図集「明治26年略図」には、上記の形式Aの外に、形式Dおよび形式AJの2両の「サロン車」が掲載されている。形式Aおよび形式Dは新橋所属、形式AJは神戸の所属で、形式AJは後に1号御料車となった車両である。形式Dの正確な製造時期を知る資料は見当たらないが、1889年(明治22年)10月の文書に、形式Dの製作指示が推測される文言が残っている。この車両は1890年(明治23年)に完成して明治天皇の京都行幸用に使用されており、長距離の移動に備えて厠が設置された。構造的には形式AJとほぼ同一で、御座所を車体中央部に、その前後に侍従室、女官室が設けられており、形式AJのような大型の側面窓は設けられていない。 1880年(明治13年)11月に官営幌内鉄道の手宮 – 幌内間が全通、翌1881年(明治14年)8月に明治天皇が北海道へ行幸した際、8月30日にお召列車が運転された。このときに御料車となったのは、1880年にアメリカのハーラン・アンド・ホリングスワース社で製造された「開拓使号」で、同時に導入された8両中最上級の客車であった。同車は1961年(昭和36年)に鉄道記念物に指定され、交通博物館に保存された。交通博物館閉館後は、2007年(平成19年)10月14日にさいたま市大宮区に開館した鉄道博物館で展示されている。 1911年(明治44年)8月、皇太子(当時。後の大正天皇)が北海道へ行啓することとなり、同年3月、札幌工場で御乗用客車が製造された。この客車は後年ホトク5015となったものであるが、当時の写真によれば、同車には記号番号とも標記されておらず、実質的には御料車として扱われていたようである。全長は14,732mm、幅は2,737mm、高さは3,842mm、屋根は、全長にわたってモニター屋根、定員は21人であった。車体中央に御座所が設けられており、両側には供奉員室が設けられている。御座所の床は絨毯敷きで、大椅子1個、肘掛椅子2個、テーブル1脚が置かれていた。供奉員室は、長手椅子で肘掛が設けられていた。この「御料車」が皇族の御乗用とされたのはこの1度きりで、その後一般用の特別車に転用された際に、形式番号が与えられたものと推定される。同車は1917年(大正6年)に苗穂工場で職用車に改造されホヤ5015となったが、1928年(昭和3年)の形式称号規程改正ではコヤ6610とされ、1951年(昭和26年)12月まで在籍した。 1号御料車(初代)[編集] 1号御料車(初代)の形式図 1号御料車(初代)内部。交通博物館

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