福岡高速5号線 – Wikipedia

福岡高速5号線(福岡市南区曰佐(おさ)付近にて撮影)地上部は福岡外環状道路 福岡高速5号線(ふくおかこうそく5ごうせん、Route 5)は、福岡県福岡市博多区(月隈JCT)から西区(福重JCT)に至る福岡高速道路の路線である。 現在は福岡高速環状線の一部として案内されている(後述)。 目次 1 概要 2 出入口など 3 歴史 4 交通量 5 コスト削減の取り組み 6 乗継制度 7 脚注 8

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パスクワル・セルベラ – Wikipedia

パスクワル・セルベラ提督 パスクアル・セルベーラ・イ・トペーテ(Pascual Cervera y Topete, 1839年2月18日 – 1909年4月3日)は、スペインの海軍軍人。米西戦争では司令官として本国よりキューバまで艦隊を回航することに成功したが、サンチャゴ・デ・キューバ海戦で敗北して捕虜となった。 1839年2月18日、メディナ=シドニアで生まれた。サン・フェルナンドの海軍士官学校を卒業し、1859年スペイン・モロッコ戦争に参戦した[1]。 1892年12月14日から1893年3月23日まで海軍大臣を務めた。要職を歴任してスペイン海軍の行政改革を数多く試みたが、政治家や官僚の妨害に遭い、1896年に一度辞任した。1898年に摂政のマリーア・クリスチナ王太后のとりなしで海軍に復帰し、海軍大臣に転出したメゾッホに代わって大西洋艦隊司令長官を務めた。 米西戦争[編集] セルベラ艦隊の回航[編集] キューバをめぐるアメリカとスペインの関係が悪化する中で1898年に米西戦争が勃発した。セルベラは艦隊を指揮して4月8日に装甲巡洋艦2隻を率いて本国を出港、14日にポルトガル領カーボベルデのサン・ヴィセンテ港へ進出した、同地で更に装甲巡洋艦2隻と駆逐艦3隻を加えた。23日にはアメリカがスペインに宣戦布告を行った。29日に艦隊は出港して大西洋を渡り、5月11日にフランス領マルティニーク島のフォール=ド=フランス近海へ達した。セルベラ艦隊は機関不調の駆逐艦1隻を分離し、更に14日にはベネズエラ北方沖のオランダ領キュラソー島(クラサオ島)へ渡った。アメリカ艦隊がスペイン領のキューバを封鎖したり、プエルトリコのサンフアンを艦砲射撃するなど、迎撃態勢を整える中、19日にはキューバのサンチャゴ・デ・キューバに入港することに成功した。 港の封鎖と閉塞[編集] 劣勢なセルベラ艦隊では陸上側からの催促もあって出撃が何度か検討されたが時期を得ず、ついにアメリカ海軍のサンプソン少将の艦隊はサンチャゴ・デ・キューバ港を封鎖した。5月31日、6月6日、12日、16日には港口要塞へ艦砲射撃があり、更に6月3日払暁には給炭船メリマック号による港口の閉塞作戦が実施され、当初セルベラ艦隊では撃沈の戦果を報告したが、後に湾港を塞ぐ目的の自沈と判明した。 。6月22日、アメリカ陸軍の第五軍団がサンチャゴの東側に上陸し陸側からの圧迫をはじめ、海軍もグァンタナモ港を占領して港の封鎖を厳しくした。 キューバ総督ラモン・ブランコ・イ・エレーナス中将やサンチャーゴ州総督アンセニオ・リナーレス・ポンボ中将からの出港の催促が繰り返され、7月1日にはエル・カネー村とサン・ホアン丘陵で陸戦があり、アメリカ陸軍は両地を確保したが、犠牲が大きく前進を止めた。この戦いには艦隊からも1000人の陸戦隊をエル・カネーに派遣して応戦しており、指揮官のブスタメンテ参謀長が重傷を負っている。リナーレス中将もこの戦いで両足を撃たれ後送中に戦死した。 サンチャゴ・デ・キューバ海戦[編集] 陸戦の見通しは立たなかったが、この間に艦隊はキューバ総督の指揮系統に加えられ、本国およびキューバ総督からの出撃が命令された。セルベラは4隻の装甲巡洋艦と2隻の駆逐艦を率いて脱出を図ったが全艦がアメリカ海軍に捕捉されて沈没し、セルベラは捕虜となった(この時、彼の息子もまた同海戦へ出撃して捕虜となった)。 戦後[編集]

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水曜シアター9 – Wikipedia

『水曜シアター9』(すいようシアターナイン)は、テレビ東京系列で、2009年4月8日から2010年9月29日まで、毎週水曜日の21:00 – 22:54[2](JST)に放送されていた日本の映画番組。 2009年度(開始から1年間)は、映画番組枠と2時間ドラマ枠を兼ね合わせていた。 「総合ストーリーコンテンツ枠」として発足。1968年2月8日から41年間放送された長寿の映画番組枠『木曜洋画劇場』と同じ時間帯の前番組であるサスペンスやミステリーもののドラマ枠『水曜ミステリー9』の後継番組に当たる。タイトルおよび番組ロゴはほぼ『水曜ミステリー9』を踏襲したもの。『木曜洋画劇場』内では「“映画”が動く!」[3] というキャッチフレーズを使用し、「木曜夜9時から水曜夜9時へ」という番組宣伝を行っていた。 第1回放送(2009年4月8日放送分)は、ジャッキー・チェンとクリス・タッカーが主演した『ラッシュアワー2』(2001/米)。『水曜ミステリー9』での放送を前提に撮影が行われていたサスペンス作品の放送も不定期に実施され(後述)、2010年4月より映画専用枠に正式移行した(テレビ東京の番組公式サイトにその旨を掲載)。 『いい旅・夢気分』の特番が放送される際、当番組は休止する。 地上波デジタル放送では映画・ドラマ共に16:9のハイビジョン画質で、聴覚障害者向けの字幕放送も実施。2種類の音声(日本語/英語など)が収録されている吹き替え版の洋画作品は、デジタル対応の受信機器に付属しているリモコンで音声の切り替え操作を行うが、「デュアルステレオ方式」の採用により、アナログ方式の「2カ国語放送」では解決できなかった「モノステレオ化」の問題が克服された。サスペンス作品は原則的にステレオ放送となっているが、視覚障害者向けの解説放送が実施されることは無かった。 水曜プライムタイムの2時間枠・レギュラー映画番組枠の終了[編集] 2010年10月改編により、同年9月29日のドラマ『雪冤』の放送を以って終了(ただし同番組の放送時は最終回という扱いではなく、一ドラマスペシャルという扱いであった。)、9年9カ月にわたるテレビ東京の水曜日の21・22時台の2時間枠が、ミニ番組を挟んで1時間枠ずつの2番組へと分割されることになる(21時台は『料理の怪人』が開始(2011年2月9日で打ち切り)、22時台は『やりすぎコージー』が月曜21時から移動)。これと同時に『木曜洋画劇場』以来42年半続いてきたテレビ東京系列におけるレギュラーの映画番組枠も、一旦廃枠する形となる。映画放送の最終作品(2010年9月22日放送分)はジェット・リーと2代目中村獅童が主演した『SPIRIT』(2006/香港・米)。 2010年10月からは、月曜20・21時台の2時間の単発特別番組枠『月曜プレミア!』が放送されることが決まっており、映画番組枠としてはそちらに移行する形となるが、こちらはバラエティ中心の内容となっており、映画番組は不定期に行われている[4]。 水曜プライムタイムの2時間枠の復活[編集] 2011年秋の改編で、同年4月から始まった水曜21時台の『シアターGOLD』は9月21日、22時台の『やりすぎコージー』が9月14日をもって打ち切られた。10月5日からは前番組の『水曜ミステリー9』が2年半ぶりに再開することが決定、これにより、テレビ東京の水曜日の21・22時台の2時間枠が1年ぶりに復活した[5]。2015年10月から『水曜エンタ』になった。『水曜エンタ』ではバラエティや映画も放送されているが、『水曜ミステリー9』も『水曜エンタ』の一企画として放送されている。 ドラマ作品[編集] 旧水曜ミステリー9枠で放送されていたシリーズの続編及び映画枠との統合に伴う混乱で、長期間「お蔵入り」扱いになっていた作品がメインであり、OPのCGアニメーションはバラの花をモチーフにしたデザインに変更されていた(BSジャパンでの時差放送も同様だがタイトルのみ「BSミステリー」に差し替え)。これらのドラマの放送時間は水曜ミステリー9枠と同様22:48分までで、22:48からの6分間は、他曜日の別時間帯で放送されているミニ番組の振替放送や番組宣伝が入った[6]。映画作品との間で放送スケジュールの調整が必要となった結果、劇中の季節感が実際(初回放送時)のそれと大きく食い違うケースも一部の作品で発生していた。 サスペンス作品に関しては今後新規の撮影は原則的に行わない方針であり、2001年1月より8年3ヶ月に渡ってサスペンス作品の時差(再)放送が実施されていたBSジャパンの日曜21時枠も2010年春の改編を機に廃枠、長編紀行番組枠『世界絶景シリーズ』に生まれ変わる(2010年4月 – 2012年3月)。但し、廃枠後に地上波でドラマSPとして放送された「雪冤」の遅れネットは日曜21時枠で実施されている(2010年10月24日/字幕放送は無し)。 ネット局[編集]

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銀錠 – Wikipedia

銀錠(ぎんじょう、中国語:银锭、満州語: ᡧᠣᡤᡝ 転写:šoge)とは、20世紀前期まで中国において用いられていた秤量貨幣の形態を取る銀貨。日本では馬蹄銀。古くは、銀鋌。元朝以降は元宝(元寶)とも呼ばれた。 古くは、銀鋌(ぎんてい)と呼ばれ分銅形もしくは長方形であったが、後に独特のおわん型もしくは馬蹄に似た形状に徐々に形状が変化し、それに伴い銀錠と呼ばれるように変化した[1]。納税や大型取引に使用される際に、上に何重にも積み重ねるため、倒れにくいようにおわん型(あるいは馬蹄型)の独特な形状に変化していった可能性が高い。 「錠」と呼ばれた所以は、現代と錠前の形が違っており、当時は錠前は完全に覆われて居ないものも多く、鍵穴に刺すのではなく上記写真にある小型銀錠と似た形のV字型錠前に開いている物があったからである。日本においても特に清王朝以降に知られたが、すでに当時の錠前は形状が変化していたため銀錠の名前は定着せず、当時の人々が身近だった馬の蹄の形と似ていたことから、馬蹄銀(ばていぎん)と呼ばれ、この名称が広く用いられているが、この名称は明治期の日本人が名づけたものとされ、中国においても馬蹄銀の名称はほとんど用いられてはいなかった。また、馬蹄形状以外にも、実際には多種多様の形式の銀錠が存在していた。秤量貨幣である事から、形状の細部には重視されず重量さえ一致すれば細部の小さな造形にはこだわらなかった事も多種多様な形状の銀錠が生まれた原因だが、広大な中国でもあり制作が地方各地で作られた事も形状の多様性を生んだ。元朝以降に入ると細部の造形にこだわったものも現れ、縁起の良い文言が刻まれたり、また、金で作られたものも作られ、実用通貨ではなくなんらかの贈答用にも使われた可能性がある。 単位は重量単位と同じ両(「銀両」、満州語: ᠶᠠᠨ 転写:yan)であり、その英語表記よりテール(tael)と呼ばれる事もあった。材質は南鐐(なんりょう)と呼ばれる純銀に近い良質の灰吹銀であり、量目は1両(37グラム)から50両(1865グラム)程度と大小様々なものが存在する。また、時代により様々な形状があり、文字刻印が施されたものも多い。なお、中国で1両の重みは王朝時代により若干変化しているので、唐代、元時代、清時代で重量は微差があるため注意が必要である。元朝以降には、金で作られたものも存在しており、金錠と呼ばれた。 紋銀と呼ばれた元朝時代の銀錠 ヨハン・ジョイコブ・ウェイバーが1843年に描いた銀錠 金で作られた元宝。細かな龍の模様や福を招く縁起の良い文言が刻まれている 元では、貨幣通貨を元寶(元宝)と呼び刻印したため、銀錠も元寶もしくは元宝と呼ばれた。この際、銀錠以外のコイン形状の銀貨も元宝と呼んでおり、当時は通貨全般を指していたと思われる。それ以前から唐時代の開元通宝も対読(上・下・右・左の順に読む)と「開元通寳」となるが、右回りに読む廻読では開通元寳と読める事から、銅貨を俗称として元宝と呼ばれた可能性はあるが、銀錠が元宝と呼ばれ始めたのは元朝以降からである。清朝以降の元宝か形状が若干変化し、おわん(あるいは馬蹄)中央部のくぼみが球状に盛り上がる形態を見せている。 日本での輸出用の製造[編集] 灰吹法の導入により16世紀中頃より南米のポトシ銀山、日本の石見銀山などで銀の産出が著しく増大し、ポトシ銀山の銀はヨーロッパを通じて、日本の銀は生糸貿易の対価として中国に多量に輸入されるようになった[2]。日本では産銀は一旦丁銀に鋳造され、長崎において銀錠に吹き直されて多量に中国へ流出した[3]。 現在では、貨幣としての銀錠は廃れたが、中国では富の象徴、縁起物として使われており、めでたい席で絵に描かれたり模造品が飾られたりする事がある。この際は、銀錠の名称ではなく元宝の名前で呼ばれる事が多く、また飾られるものも金色のものが多い。なお、餃子の形状自体が、財運を招くために銀錠の形を模した、とする伝承があり、中国では新年に財運向上を願って餃子を大食いする風習がある地域がある。現代では銀錠(元宝)形状のお菓子を作って売りだしたり風水アイテムなどの触れ込みで売りに出されている事も多い。 春節に飾られた元宝のレプリカ 葬儀の際に天国で金銭に困らぬよう、紙で作られた銀錠等を燃やしている様子 店先に展示された元宝 香港で展示されている元宝。財神に扮した人物も持ち、それに布施しようとしている。 バンコクで売られている元宝 関連項目[編集] ウィキメディア・コモンズには、銀錠に関連するカテゴリがあります。

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宇賀なつみ – Wikipedia

宇賀 なつみ(うが なつみ、1986年6月20日[1][2][4] – )は、日本のフリーアナウンサー、タレント。元テレビ朝日アナウンサー。 略歴 生い立ち 東京都練馬区出身。東京都立大泉高等学校、立教大学社会学部産業関係学科卒業。 小学校時代はバレーボールとバトン、中学時代は吹奏楽部、高校では応援団の活動をしていた。高校時代には、チアリーダーに憧れて応援団に入ったものの、入団後は学生服姿で応援していた。 テレビ朝日アナウンサー 大学卒業後の2009年4月1日に、アナウンサーとしてテレビ朝日に入社[5]。入社当日に『報道ステーション』の2代目気象キャスターとして、番組デビューを果たした。 同期入社のアナウンサーは、板倉朋希・加藤真輝子・三上大樹。ただし、宇賀と加藤は、入社直後から平日の帯番組へレギュラーで出演していた(加藤の出演番組は『やじうまプラス』)。そのため、通常はテレビ朝日および主要系列局の新人・若手アナウンサーが務める全国高校野球選手権大会中継(朝日放送制作)の「燃えろ!ねったまアルプス」リポーターを経験していない。2009年の中継には、テレビ朝日から男性アナウンサーの板倉と三上が派遣されている。 入社当日から2014年3月28日までの5年間は、レギュラー番組を『報道ステーション』に限定。2011年8月15日から、先輩アナウンサー・武内絵美が出産・育児休暇に入ったことを受けて、武内の後任でスポーツキャスターに就任した[6](武内は2013年からニュースリポーターとして復帰)。また、武内が担当していた「朝日新聞」夕刊の連載企画『戦士のほっとタイム』のインタビュアーも、同年9月20日付の紙面から継承[7]。2013年3月29日には、同企画の内容をまとめた自身初の著書『宇賀なつみ 戦士のほっとタイム』が、朝日新聞出版から刊行された。 2014年3月31日からは、平日早朝の情報番組『グッド!モーニング』のサブキャスターに異動[8]。4月14日からは、『ここがポイント!!池上彰解説塾』(『報道ステーション』月曜日の前枠番組)で、出身高校の先輩・池上彰と共演している。その一方で、同月2日から2015年5月3日まで放送されていた深夜番組『初めて○○やってみた』では、MCとして、入社後初めてバラエティ番組にレギュラーで出演[9]。6月9日発売の『週刊プレイボーイ』(集英社)には、同番組への出演開始にちなんで、「初めてグラビアやってみた」というテーマで撮影されたグラビアが掲載されている。 『ここがポイント!!池上彰解説塾』と後継番組・『池上彰のニュースそうだったのか!!(2015年4月放送開始)において池上のアシスタントを務めている。同年10月改編では、『グッド!モーニング』のサブキャスターから、『羽鳥慎一モーニングショー』のアシスタントに転じている。 2019年3月末で『羽鳥慎一モーニングショー』を降板し、入社から10年の節目をもってテレビ朝日を退社[10][11][12][13]。退社後の活動については「個人でコツコツと活動していく」とし、自身のInstagramを通じて情報発信していくとしている[14][15]。 フリーアナウンサー 2019年4月よりフリーアナウンサーに転身し、同月1日付で公式ウェブサイトを開設[16]。『池上彰のニュースそうだったのか!!』の進行を引き続き担当する一方で、同月より放送予定の初の冠レギュラー番組『川柳居酒屋なつみ』(テレビ朝日)でMCを務める[17][18]。またTBSラジオにて『宇賀なつみ BATON』を[19]、TOKYO FMにて『日本郵便

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アンサンブルカルマンフィルタ – Wikipedia

アンサンブルカルマンフィルタ(Ensemble Kalman Filter;EnKF)とは、逐次型データ同化手法の一つである。シミュレーションモデル内の状態を表す確率変数について、その分布を実現値集合(アンサンブルと称す)によって保持し、観測を得るごとに、観測モデルをもとにしたカルマンフィルターによる推定により、2次モーメントまでが一致するよう、アンサンブルを修正することを繰り返す方法である。 まず、時刻kにおけるシミュレーションモデル(状態方程式)は以下である。 xk=fk(xk−1,vk){displaystyle {boldsymbol {x}}_{k}={boldsymbol {f}}_{k}({boldsymbol {x}}_{k-1},{boldsymbol {v}}_{k})} ここで、 xk{displaystyle {boldsymbol {x}}_{k}} は状態ベクトル、 vk{displaystyle {boldsymbol {v}}_{k}} はシステムノイズである。 また、観測モデル(観測方程式)は、以下である。

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アルコス・デ・ラ・フロンテーラ – Wikipedia

アルコス・デ・ラ・フロンテーラ(Arcos de la Frontera)は、スペイン・アンダルシア州カディス県のムニシピオ(基礎自治体)。名前は「国境のアーチ」の意[2]。 グアダレーテ川右岸に位置する。砂岩の尾根の上に広がる市街からは、グアダレーテ川を見渡すことができる。 カディス県の他の自治体と同じように、先史時代から人が定住していた。ローマ人は別荘をつくった。アラブ人はさらに顕著な存在であった。彼らは町の通り、軍事要塞、市壁といった構成を組み立てたのである。ウマイヤ朝から独立し太守国となった時期(711年-757年)には、シドニアのコラ(郡に相当)に属した。11世紀に独立を果たし、カルセナのエミールがコルドバ太守国の影響から脱して町を掌握した。ベルベル人の太守が治める王国となったのである。13世紀、カスティーリャ王アルフォンソ10世のアンダルシア遠征の際、アルコス・デ・ラ・フロンテーラも征服された。 後に市壁は拡張され、カトリックの修道会が15世紀から18世紀までやってきて町へ定着した。 現在、アルコス・デ・ラ・フロンテーラは、歴史保存地区に指定されたプエブロス・ブランコス街道(スペイン語版)、白い町の街道)の玄関口となっている。それらの壮大な景観とともにカディス県有数の観光地となっている。自治体の主な収入源は観光である。 自治体首長はアンダルシーア国民党(Partido Popular Andaluz、略称PP-A)のホセ・ルイス・ヌーニェス・オルドニェス(José Luis Núñez Ordóñez)[5]で、自治体評議員は、アンダルシーア国民党:7、A.I.PRO(Alternativa Independiente – Progresistas):7、アンダルシーア社会労働党(Partido Socialista Obrero Español

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吉崎金門海峡 – Wikipedia

『吉崎金門海峡』(よしざきゴールデンゲート)は、TBSテレビ・毎日放送がTBS系列で、2009年4月6日から2010年3月18日まで、毎週月曜日から木曜日の23:30 – 23:55(JST)に曜日ごとに制作局を変えて放送した深夜バラエティ番組の放送枠の総称である。ハイビジョン制作(アナログ放送はサイドカット。ただし水曜日と木曜日は額縁放送)。 TBSは2009年春の番組改編で、平日のゴールデンタイム枠に報道番組『総力報道!THE NEWS』を開始することに伴い、ゴールデン・プライム枠の大幅な番組枠の入れ替えを行った。23時台の『NEWS23』(第1期)がストレートニュース中心の30分番組に縮小され、空いた25分の放送枠を全国ネットのバラエティ番組の放送枠とすることになった。このときに創設されたバラエティ枠の名称が「吉崎金門海峡」である。 放送枠は月・水・木曜日はTBS制作、火曜日は毎日放送(MBS)が制作する番組を放送する。毎日放送の制作枠があるのは、『総力報道!THE NEWS』開始により、これまで毎日放送が制作していた金曜日19時台の枠と事実上入れ替えたためによるもの。 題名の「吉崎」はTBSテレビ編成制作本部編成局長(当時)の吉崎隆を、「金門海峡」(きんもんかいきょうは実在する海峡名)になぞらえて「ゴールデンタイムへの門と道のり」を指しており、枠名は「吉崎編成局長のお目に掛かって、ゴールデンタイム進出を目指そう」の意味が込められている。 番組に入る前に「吉崎金門海峡」としての5秒間のオープニングが流れる。なお水曜日はそれまで独自のものに吉崎の顔をフレームインしたものを使用していたが、5月27日放送分(サッカー中継による特別編成のため、放送は翌5月28日に)からの約1カ月半は同一オープニングを使用されていた。 全曜日ハイビジョン制作、字幕放送を実施。ただし字幕放送を実施しない回もある。 タイトルコール担当は掛川裕彦。 なお、2009年10月改編から、タイトルオープニングを省略し、いきなり本編に入るようになった。また各種のテレビ番組表・EPGやTBSのサイト内でも「吉崎金門海峡」の呼称は使われなくなっている。番組のタイトルにも入っていた編成局長の吉崎は、2009年11月4日に社長室付担当局長へ異動した。 バンクーバーオリンピック開催中の2010年2月15日から2月26日までは、『NEWS23』(第1期)がオリンピック情報で10分拡大されたため、10分繰り下げた23:40 – 翌0:05で放送された。 『総力報道!THE NEWS』が、2010年3月26日放送分で終了となることに伴い、『NEWS23』(第1期)が2010年3月29日以後、『NEWS23X(ニュース23クロス)』にリニューアルし、22:54から23:45までの51分に拡大されたため、同年4月から土曜日19時台のゴールデンタイム進出となった『飛び出せ!科学くん』を除き番組を終了、この枠が廃枠となった。 番組編成[編集] 月曜 火曜

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パラッパラッパー – Wikipedia

『パラッパラッパー』 (PaRappa the Rapper) は、七音社によって制作され、1996年12月6日にソニー・コンピュータエンタテインメントが発売したプレイステーション向けゲームソフトのタイトル、またはこれを原作とするテレビアニメのタイトル。本稿では続編『パラッパラッパー2』、映像化作品も含めて記述する。 「音楽(リズム)に合わせてボタンを押すゲーム」の基礎を築いた、元祖リズムアクションゲーム。世界で初めて『音楽ゲーム』で成功を収めた作品であり「音ゲーの始祖」とも呼ばれる[1][2]。 その斬新かつシンプルなゲーム性と、ポップで明るいグラフィックが話題を呼び、子供から大人まで楽しめる作品として大ブレイクした。本作は70か国以上で販売されており[1]、国内累計出荷本数は148万本を記録[2]。本作発売から12年後の2009年に「リズム天国ゴールド」が記録を更新するまでは「日本で最も売れた音楽ゲームソフト」として、同ジャンルの売り上げ本数1位の座を維持し続けた[2]。 本作の主人公「パラッパ」はプレイステーションを代表するキャラクターの一人として[3]、様々なメディアに出演している。また、本作と同日に発売して大ヒットした「クラッシュ・バンディクー」とは互いに関係の深い作品となっている[3][4]。 本作の関連作品として「ウンジャマ・ラミー」があり、基本的なゲーム性や世界観などを共有している。 シリーズ作品[編集] ゲームシステム[編集] プレイヤーは、主人公である「パラッパ」を操作し、画面に表示される指示通りにボタンを押して「ラップ」を行うことでゲームを進めていく。ゲームの進行は各ステージの先生(お手本キャラクター)とのラップバトル形式で行われ、先に先生による「お手本」が表示された後、続いてプレイヤーがボタン入力に挑戦するという流れになっている。 ラップは正しいボタンを押すだけでなくタイミングの正確さも重要であり、ラップの出来によってスコアが増減する。お手本通りにラップができれば評価(ランク)が上昇して演出も豪華になっていくが、逆にボタンを間違えたり、タイミングがずれたりしてラップを失敗すると下の評価が点滅し、スタート時の「GOOD」から「BAD」、「AWFUL」と下降していき、「AWFUL」が点滅しているだけの状態で失敗するとゲームオーバーになる。ゲームオーバー時はステージ(曲)の初めからやり直しとなり、ゲームオーバーになることなく曲を完奏する時点で「GOOD」以上の評価を得るとステージクリアとなる。 また、本作の隠し要素として、あえてお手本にはないタイミングでボタンを押す「アドリブ」が存在する。アドリブは特定の法則のもとに[3]、プレイヤーがオリジナルのリズム(ラップ)を生み出すことで通常よりも高い評価を得るというシステムであり、高評価を出すには必須のテクニックとなっている。また、アドリブを連続で成功させてランクが「COOL」に到達すると、舞台からお手本の先生が消えてパラッパの独壇場となる「COOLモード[3][6]」に移行する。「COOLモード」中はお手本が一切表示されなくなるため難易度が上昇するが、この状態を維持して評価を下げずにステージをクリアすることで、通常プレイでは発生しない専用の演出を見ることができるようになっている。 企画の始まり ミュージシャンの松浦雅也(元PSY・S)が企画を立案、キャラクターデザインおよびコミカライズをロドニー・アラン・グリーンブラット、ゲームシナリオを伊藤ガビン、セリフなどをMC RYUが手がけた。 松浦は本作の企画は七音社を設立する前に一度ソニー・コンピュータエンタテインメントに持参したものの、様々な条件を突きつけられた末にSCE側から不安がられて却下された[7]。その後、松浦が七音社を立ち上げた後に、SCEIサイドからロドニー・アラン・グリーンブラットをキャラクターデザインに起用するなどのアドバイスもあり、企画が通った[7]。 松浦は、「雑誌の連載記事を書いていたころ、編集スタッフから勧められた『ギターヒーロー』に似たゲームで遊んだものの、なぜだか面白くないと感じ、この点を改善しようという考えが『パラッパラッパー』の企画につながった部分があった。」と述べている[7]。 制作当時のSCEはソニーとCBSソニーの出身者が同じくらい在籍しており、音楽(コンテンツ)をフィーチャーした独創的なゲームの模索を続けていたCBSソニーの出身者たちは、松浦らに接触した[7]。

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