甘利正 – Wikipedia
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甘利 正 あまり ただし |
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生年月日 | (1916-10-11) 1916年10月11日 |
没年月日 | (1992-10-12) 1992年10月12日(76歳没) |
出身校 | 東京物理学校(現東京理科大学)中退 |
所属政党 |
(自由民主党→) 新自由クラブ |
子女 | 甘利明(衆議院議員) |
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選挙区 | 旧神奈川3区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 |
1976年12月10日 – 1979年9月7日 1980年6月22日 – 1983年11月28日 |
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在任期間 | 1960年6月 – 1961年6月 |
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選挙区 | 愛甲郡選挙区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1951年 – 1969年 |
依知村長
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当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1947年 – 1951年 |
甘利 正(あまり ただし、1916年10月11日 – 1992年10月12日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、神奈川県議会議員(5期)、同議長を歴任した。甘利明衆議院議員の父。
来歴・人物[編集]
東京物理学校(現:東京理科大学)中退。1947年に依知村(現厚木市)村長に当選して1期務めた後、1951年に愛甲郡から神奈川県議会議員に当選(以後5期)。1960年6月から1年間、県議会議長の職にあった[1]。
国政へは、第32回衆議院議員総選挙・第33回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で立候補するもののいずれも落選。その後、1976年の第34回衆議院議員総選挙を前に新自由クラブが結成されるとこれに参加し、同党公認候補として初当選(当選同期に愛知和男・鳩山邦夫・中村喜四郎・中島衛・西田司・池田行彦・堀内光雄・相澤英之・津島雄二・鹿野道彦・塚原俊平・中西啓介・与謝野馨・渡辺秀央・中川秀直など)。その後、途中1回の落選を挟み2期務め、建設委員会委員を歴任。1983年に政界からの引退を表明し、秘書を務めていた子息の明に地盤を譲った。
1992年10月12日死去。76歳没。
- ^ 神奈川県. “神奈川県議会 県議会の歴史 歴代議長・副議長一覧” (日本語). 神奈川県. 2021年5月1日閲覧。
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