愛媛汽船 – Wikipedia
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本社が入居する今治港のみなと交流センター |
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種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
日本 〒794-0013 愛媛県今治市片原町1丁目100番地3 |
設立 | 1949年 |
業種 | 不動産業 |
法人番号 | 8500001011269 |
代表者 | 代表取締役社長 赤尾宣宏 |
主要子会社 |
大三島ブルーライン(66.5%) 芸予汽船(40.7%) |
愛媛汽船株式会社(えひめきせん)は、愛媛県今治市の海運会社。
1942年12月、海運統制令に基づく企業統合として、今治周辺の海運業者により、愛媛汽船統制組合が結成された。1946年に愛媛汽船組合と改称、1949年7月、海上運送法の公布に合わせて愛媛汽船株式会社が設立された。終戦直後は木造船のみで運航していたが、1959年に初の鋼船である「うきしろ」(111総トン)を建造、1965年にはフェリー化第一船として「みしま丸」(107総トン)を建造、以後毎年のように新船を導入した[1]。
1983年12月に因島大橋の開通により、尾道 – 因島間が廃止となった後、1988年の伯方・大島大橋開通による航路再編で、芸予観光フェリー(現在の芸予汽船)・大三島ブルーラインに航路と船舶を譲渡して運航を終えたが、2社の株主のほか、所有する「愛媛汽船松山ビル」のテナント業などで存続している。
- 今治 – 友浦(大島) – 木浦(伯方島) – 岩城 – 佐島 – 弓削 – 土生(因島) – 田熊(因島) – 重井(因島) – 尾道
- 今治 – 大三島 – 木江
- 今治 – 熊口 – 瀬戸
1983年12月の因島大橋開通による尾道 – 因島間廃止前は今治 – 尾道航路に「第十六愛媛」「第十二愛媛」「第十愛媛」「第十八愛媛」「第十七愛媛」「第十五愛媛」が、今治 – 大三島 – 木江航路には「第二愛媛 (2代)」「第三愛媛 (2代)」、「第五愛媛」が、今治 – 熊口 – 瀬戸航路には、今治 – 尾道航路の6隻のうち1隻がローテーションで配船されていた。このほか、「第八愛媛」が予備船として在籍した。
- 第一愛媛
- 1968年竣工、松浦造船鉄工建造、1977年に興居島汽船に売船、1996年にフィリピンへ売却
- 第二愛媛 (初代)
- 1968年竣工、松島観光汽船へ売却「松島」として就航
- 第七愛媛
- 1969年竣工、九島農協フェリーへ売却「第三十一くしま」として就航
- 第八愛媛
- 1969年竣工、1983年売却、三和商船で就航
- 第三愛媛 (初代)
- 1970年竣工、備南船舶工業建造
- 第五愛媛
- 1971年竣工、備南船舶工業建造、1988年売却、松島観光汽船「フェリーまつしま (初代)」として就航
- 第十五愛媛
- 1972年竣工、備南船舶工業建造、1988年売却
- 第十七愛媛
- 1974年竣工、備南船舶工業建造、1988年売却、天草フェリーライン「フェリーくま川」として就航
- 第十八愛媛
- 1975年竣工、1988年売却、九島農協フェリー「第三十八くしま」として就航
- 第十愛媛
- 1977年竣工、1988年に芸予観光フェリーへ移籍、1990年に江崎海陸運送へ売却「フェリー第八江崎」となる
- 第十二愛媛
- 1978年竣工、大浦船渠建造、1988年に大三島ブルーラインへ移籍「みしま丸」となる。1990年に九島農協フェリーに売却「第八くしま」となる
- 第十六愛媛
- 1979年竣工、中谷造船建造、1988年に大三島ブルーラインへ移籍「きのえ丸」となる。1999年に松島観光汽船へ売却「フェリーまつしま (2代)」となる
- 第三愛媛 (2代)
- 1981年竣工、中谷造船建造、1988年に芸予観光フェリーへ移籍、1999年に海外売船
- 第二愛媛 (2代)
- 1981年竣工、神原造船建造、1988年に芸予観光フェリーへ移籍、1999年に海外売船
- ^ 愛媛県 (1986年3月31日). “愛媛県史 社会経済3 商工”. データベース『えひめの記憶』. 愛媛県生涯学習センター. 2017年7月20日閲覧。
関連項目[編集]
- 愛媛海運
外部リンク[編集]
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