1896年アテネオリンピックの陸上競技 – Wikipedia
1896年アテネオリンピックの陸上競技 | |
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競技場に入場するルイスを歓喜して迎える大観衆 |
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日程 | 1896年4月6日 – 4月7日、4月9日 – 4月10日 |
競技場 | パナシナイコスタジアム |
参加国 | 10カ国・地域 |
種目数 | 12 (男子) |
1896年アテネオリンピックの陸上競技(1896ねんアテネオリンピックのりくじょうきょうぎ)は、1896年4月6日、7日、9日、10日の競技日程で実施された。
古代のパンアテナイ競技場の跡地に新設されたパナシナイコスタジアムで行われた。直線が極端に長く、コーナーが急カーブであった同競技場で、現在と異なり、時計回りで競技が行われた[1]。
初めての開催となる今大会では、男子のみ12種目が行われた。
12種目中、9種目でアメリカ選手が優勝、100mで優勝したトーマス・バークのクラウチング・スタートは各国選手の注目を集めた。バークは400mでも優勝した。800m、1500mではイギリスのエドウィン・フラックがコーナーワークの巧みさで優勝した。円盤投では、初めて円盤を手にしたアメリカのロバート・ギャレットが地元ギリシャ期待のパナギオティス・パラスケボポウロスを破り優勝した。
大会最終日には、マラトンの古戦場から競技場までのコースでマラソンが行われた。フランスのアルバン・レムゾーが32キロまでトップを走り、エドウィン・フラックとアメリカのアーサー・ブレイクが2位争いを演じた。23キロでブレイクがリタイア、レムゾーも32キロでリタイアし、フラックが先頭に立った。残り7キロの地点で、無名の牧夫であるギリシャのスピリドン・ルイスが先頭に立ち、そのまま競技場に入った。最後の200mでは、大喜びのコンスタンティノス皇太子、ジョージ親王が伴走した。ピエール・ド・クーベルタンは、「私の生涯のうちで、これほど感激したことはない」と語った。ルイスにはマラソン競技を提唱したパリ大学のミシェル・ブレアル教授から寄贈された高さ15cmの銀製のマラソントロフィーが贈られた[1]。このトロフィーはルイスの孫により、クリスティーズのオークションに出品され、ギリシャの民間財団が約54万ポンド(約7000万円)で落札した[2]。
競技結果[編集]
各国メダル数[編集]
- ^ a b 吉井道郎『オリンピックの事典』三省堂、1984年6月30日、20-23頁。
ISBN 4-385-15530-5。
- ^ “英競売、五輪優勝杯に7千万円 第1回マラソン”. 共同通信 (2012年4月19日). 2012年12月29日閲覧。
- ^ 距離は40km
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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