2000年シドニーオリンピックの野球競技・日本代表 – Wikipedia

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2000年シドニーオリンピックの野球競技・日本代表(2000ねんシドニーオリンピックのやきゅうきょうぎ・にっぽんだいひょう)は、2000年にシドニーで開催されたシドニーオリンピックの野球競技に出場する野球日本代表選手を編成したチームのことである。

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国際オリンピック委員会(IOC)の方針でプロ野球選手の出場が解禁となったことから、プロ野球選手をどの程度選出するか議論が起こり、パシフィック・リーグは1球団1人を選出することで合意が得られたが、セントラル・リーグからは6球団で2人しか選出されなかった。オリンピックに対する選手の受け止めも様々で、出場に前向きな選手がいた反面、イチローは、「興味がない」と発言していた[1]

また、予選では選出されていた古田敦也の扱いをめぐって、日本野球機構側と日本野球連盟側との間に軋轢が生じるなどの混乱が生じた。全員が顔を合わせたのはシドニーに入ってからであり[2]、さらにオールアマ時代には当たり前であった代表合宿は行われず、大会中もアマ選手は選手村、プロ選手はホテル暮らしの区別があり、練習と試合の時しか顔を合わせない状況が生まれ、結果としてチームの一体感が生まれなかった。

選手24人のうち大学生は5人、社会人は11人、プロは8人の構成であり、オリンピック代表チームとしては唯一のプロ・アマ混合チームとなった。

日本は、初戦の対アメリカ合衆国戦でサヨナラ負けし、続いてキューバと韓国に敗れるなど予選リーグから苦戦し、予選を通過したものの4勝3敗の4位だった。準決勝ではキューバの前に完封負けを喫し、ロサンゼルスから続いた連続メダル獲得を賭けた3位決定戦では、韓国のエース具臺晟と松坂大輔の投げ合いで0-0の均衡が続いていたが、終盤に松坂が韓国の主砲イ・スンヨプに決勝タイムリーを打たれて1-3で敗れた[3][4][5]。野球が盛んな国には全敗し、五輪では初めてメダルを逃す大会となった。試合後には、涙を流す選手もいた[2][5][6][7]

代表メンバー[編集]

所属は選出当時。

シドニーオリンピックの戦績[編集]

シドニーオリンピックアジア地区予選兼第20回アジア野球選手権の戦績[編集]

※会場は蚕室総合運動場野球場。1999年9月11日から16日にかけて開催。

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予選時に選出されていたプロ野球選手[編集]

シドニー五輪アジア地区予選を兼ねた第20回アジア野球選手権大会に、初めてプロ野球選手が日本代表に選出された。このうち松坂と松中は本大会でも代表に選出されている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]


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