三木鶏郎グループ – Wikipedia

三木鶏郎グループ
Miki Toriro Group
別名 前身 コメディアン・ハーモニスト
前身 ミッキートリオ
出身地 日本 東京都
ジャンル 冗談音楽、ミュージカル
活動期間 1946年 – 1951年
メンバー 繁田裕司(三木鶏郎)
朝川賞郎
秋元喜雄(河井坊茶)
神田千鶴子
三木鮎郎
丹下キヨ子
千葉信男
小野田勇
旭輝子
有島一郎
楠トシエ
旧メンバー ジョージ川口
小野満
鈴木章治
三木のり平
浅草オペラ
新宿ムーランルージュ

三木鶏郎グループ(みきとりろう-、1946年 – 1951年)は、かつて存在した日本のコーラスグループ、楽団付劇団である。三木鶏郎、河井坊茶を中心に結成された。

略歴・概要[編集]

1946年(昭和21年)1月29日、三木鶏郎(当時本名の繁田裕司)が、NHKラジオ(現在のNHKラジオ第1放送)の新番組『歌の新聞』第1回放送に出演するにあたって、朝川賞郎、秋元喜雄(河井坊茶)とともに、「コメディアン・ハーモニスト」名義で出演した[1]のがさいしょのきっかけで、2週後の同年2月10日、第3回『歌の新聞』から、三木が「三木鶏郎」と名乗り、三木・朝川・秋元(河井)は、「ミッキートリオ」名義でレギュラー出演することになる[1]

同トリオに、神田千鶴子、三木鮎郎、同年4月にジョージ川口、小野満、鈴木章治らジャズミュージシャンで結成する「三木鶏郎楽団」を加えて「三木鶏郎グループ」となった[1]。同年6月6日、同グループに三木のり平が加入した[1]。同年10月には、丹下キヨ子、千葉信男、小野田勇らが「三木鶏郎グループ」に加わっている[1]

1947年(昭和27年)10月5日、NHKラジオの番組『日曜娯楽版』が放送開始され、2週目の同月12日から、「三木鶏郎グループ」は出演を開始する[1]。翌1948年(昭和23年)2月1日、「三木鶏郎グループ」が池袋文化劇場を経営を開始、旭輝子、有島一郎らが加入している[1]。同年3月1日、楽器が焼失し、「三木鶏郎楽団」が解散した[1]

1950年(昭和25年)、新宿ムーランルージュ出身の小崎政房らが、吉本興業資本の東京の映画会社太泉映画(現在の東映の前身のひとつ)で製作した映画『なやまし五人男』と『オオ!! 細君三日天下』、大映京都撮影所が製作した『狸銀座を歩く』に「三木鶏郎グループ」が出演した[1]。同年春、三木のり平が脱退する[1]

1951年(昭和26年)8月31日、三越名人会に出演後に、「三木鶏郎グループ」は解散した[1]

おもなテアトログラフィ[編集]

  • 『笑う東京』、日本劇場、1946年6月6日
  • 『三木鶏郎ショウ』、飛行館劇場、1946年10月15日 – 1947年9月
  • 『毒殺魔脱獄す』、浅草国際劇場、1948年11月26日
  • 『毒殺魔脱獄す』、松竹大阪劇場、1948年12月13日
  • 『冗談カルメン』、浅草国際劇場、1949年3月18日
  • 『冗談カルメン』、大阪梅田劇場、1949年4月
  • 『冗談大騒動=カンカン帽子』、日本劇場、1949年6月20日 (以後、地方巡演)
  • 三越名人会、三越劇場、1951年8月31日

フィルモグラフィ[編集]

出演
  • 『結婚狂時代』、脚本斎藤良輔、監督佐々木康、松竹、1949年
  • 『なやまし五人男』、原作阿木翁助、脚本小崎政房、監督小杉勇、太泉映画 / 東京映画配給、1950年1月10日
  • 『オオ!! 細君三日天下』、原作中野実、脚本小崎政房、監督大谷俊夫、太泉映画 / 東京映画配給、1950年4月2日
  • 『狸銀座を歩く』、原作八尋不二、脚本民門敏雄、監督加戸敏、大映京都撮影所、1950年4月23日

ラジオ出演[編集]

  • 『歌の新聞』、NHKラジオ、1946年1月29日 – 8月4日
  • 『日曜娯楽版』、NHKラジオ、1947年10月12日 – 1952年8月 (解散)

関連事項[編集]

  • 三木鶏郎文芸部
  • トリローグループ
  • 日曜娯楽版
  1. ^ a b c d e f g h i j k 三木鶏郎公式サイト「三木鶏郎資料館」内の「三木鶏郎史」の項の記述を参照。