ハート・ファウンデーション – Wikipedia
ザ・ハート・ファウンデーション(The Hart Foundation)は、ブレット・ハートを中心にWWF(現・WWE)で活躍したプロレスラーのタッグチーム・ユニットの名称である。メンバーの多くはスチュ・ハートに関連した人物である。
1985年 – 1991年[編集]
1985年、WWFでブレット・ハートとその義兄であるジム・ナイドハートによって結成される。マネージャーはジミー・ハートが務めた(同姓だが、彼はハート・ファミリーとの血縁関係は無い。なお、ジミー・ハートは1983年頃、テネシー州メンフィスのCWAでナイドハートのマネージャーを担当していた)。
当初はヒールのチームとして、ブリティッシュ・ブルドッグス(ダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミス)やキラー・ビーズ(ジム・ブランゼル&ブライアン・ブレアー)と抗争を繰り広げた。その後、悪徳レフェリーのダニー・デービスとも結託、1987年1月26日にはWWF世界タッグ王座をブリティッシュ・ブルドッグスから奪取する[1]。同王座は同年10月26日にストライク・フォース(ティト・サンタナ&リック・マーテル)に敗れるまで保持した[1]。
王座陥落後の1988年からはベビーフェイスに転向し、ジミー・ハートやデービスとも決別。以降はWWFを代表するタッグチームとしてタッグ戦線の中心で活躍し、1990年8月27日のサマースラムにてデモリッション(スマッシュ&クラッシュ)を破り、再びWWF世界タッグ王座を獲得した[2]。王座戴冠後はジミー・ハートがマネージャーを務めるナスティ・ボーイズ(ブライアン・ノッブス&ジェリー・サッグス)と抗争、1991年3月24日のレッスルマニア7で防衛戦を行うが、ジミーの干渉により王座を失う[3]。これを機にハート・ファウンデーションは解散、ブレットはシングルプレイヤーに転向し、ナイドハートはオーエン・ハートとの新チーム “ニュー・ファウンデーション” を経て1992年にWCWへ移籍した。
1997年[編集]
1997年のレッスルマニア13以降、ヒールターンしたブレット・ハートをリーダーにハート・ファウンデーションは再結成される(便宜上、ニュー・ハート・ファウンデーションと呼ばれる場合がある)。この時のメンバーはブレット・ハート以下、WWFに復帰したジム・ナイドハート、ブレットの実弟オーエン・ハート、ブレットの義弟ブリティッシュ・ブルドッグ、そしてハート・ダンジョンでトレーニングを積んだことのあるアメリカ人レスラーのブライアン・ピルマンである。
毎回アメリカを愚弄するマイクパフォーマンスを行い、反米ヒールとしてストーン・コールド・スティーブ・オースチン、D-ジェネレーションXなどと抗争を展開したが、リーダーのブレットとWWFの関係が悪化し、ブレットはWCWへ移籍することとなった。同年11月9日、ブレットのWWFでの最後の試合となったサバイバー・シリーズでのショーン・マイケルズ戦でモントリオール事件が発生し、ナイドハートとブルドッグもブレットと共にWCWへ移籍することが決定。ブライアン・ピルマンは同年10月5日に死去しており、最終的にはオーエンのみがWWFに残り、ハート・ファウンデーションは自然消滅した。なお、WCWにおいても移籍してきたメンバー(ブレット、ナイドハート、ブルドッグ)でハート・ファウンデーションを再編するストーリー案があったとされる。
WWE殿堂[編集]
2019年4月6日、ブレット・ハートとジム・ナイドハートの “オリジナル” ハート・ファウンデーションとしてWWE殿堂に迎えられた[4]。ニューヨーク州ブルックリンのバークレイズ・センターで開催された殿堂入り式典では、ナイドハートの娘のナタリアがインダクターを務めた[5]。
メンバー[編集]
- オリジナル・ハート・ファウンデーション
- ブレット・ハート
- ジム・ナイドハート
- ニュー・ハート・ファウンデーション
- ブレット・ハート
- ジム・ナイドハート
- オーエン・ハート
- ブリティッシュ・ブルドッグ
- ブライアン・ピルマン
ハート・ファウンデーション2.0[編集]
2002年、テディ・ハート、ハリー・スミス、T.J.ウィルソン(現・タイソン・キッド)、ジャック・エバンスによってハート・ファウンデーション2.0が結成された。テディ・ハート、ハリー・スミスの両名は、スチュ・ハートの孫にあたる人物で、ウィルソン、エバンスもハート道場の門下生である。
ハート・ダイナスティ[編集]
オーバー・ザ・リミットではクリス・ジェリコ&ザ・ミズ、フェイタル・4ウェイ、マネー・イン・ザ・バンクではウーソズを相手に防衛を重ねていたが、9月19日のナイト・オブ・チャンピオンズのタッグチーム・ターモイル形式の王座戦でウーソズに敗れ、王座から陥落(試合の結果、コーディ・ローデス&ドリュー・マッキンタイアが新王者となった)。また、この後からナタリヤは統一ディーヴァズ王座をめぐりレイ・クール(ミシェル・マクール&レイラ)と抗争を開始したため、シングルプレイヤーとしての活動が多くなった。スミスとキッドは王座陥落後もタッグ王座戦線に絡むが、敗戦が続いてチームは不和となり、11月15日のジャスティン・ガブリエル&ヒース・スレイター戦で両者は仲間割れ。以後、キッドはヒールターンし、ハート・ダイナスティは解散した。
- ^ a b “History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2010年10月11日閲覧。
- ^ “WWF Summer Slam 1990 Results”. ProWrestling History.com. 2010年10月11日閲覧。
- ^ “WWF WrestleMania VII Results”. ProWrestling History.com. 2010年10月11日閲覧。
- ^ “The Hart Foundation: Bio”. WWE.com. 2019年4月7日閲覧。
- ^ “Natalya honors Jim “The Anvil” Neidhart at WWE Hall of Fame induction”. WWE.com. 2019年4月7日閲覧。
関連項目[編集]
- ハート・ファミリー
- スタンピード・レスリング
外部リンク[編集]
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