ホテル仙台プラザ – Wikipedia
ホテル仙台プラザ Hotel Sendai Plaza |
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錦町公園からみたホテル(2010年3月)
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ホテル概要 | |
運営 | ホテル仙台プラザ |
所有者 | MRMホテル特定目的会社 |
前身 |
陸奥別館青木ホテル 青木ホテル 仙台セントラルホテル |
階数 | 地下3階 – 地上16階 |
レストラン数 | 6軒 |
部屋数 | 177室=洋室175室+和室2室 |
シングル数 | 83[† 2][1]室 |
ダブル数 | 10[† 3][1]室 |
ツイン数 | 80[† 4][1]室 |
スイート数 | 4[† 1][1]室 |
敷地面積 | 4,740 m² |
延床面積 | 17,530 m² |
駐車場 | 100[1]台 |
開業 | 1888年(明治21年) |
閉業 | 2011年(平成23年)3月13日 |
最寄駅 |
地下鉄南北線・勾当台公園駅より徒歩3分 仙台駅より徒歩13分 |
最寄IC | 東北自動車道・仙台宮城IC |
所在地 |
〒980-0014 宮城県仙台市青葉区本町2丁目20-1 |
位置 |
北緯38度15分57.7秒 東経140度52分27.6秒 / 北緯38.266028度 東経140.874333度座標: 北緯38度15分57.7秒 東経140度52分27.6秒 / 北緯38.266028度 東経140.874333度 |
公式サイト | 公式サイト |
ホテル仙台プラザ(ホテルせんだいプラザ)は、宮城県仙台市青葉区本町にかつてあったホテル。地元では「プラザホテル」とも呼ばれていた。
仙台市都心部北部に位置し、定禅寺通、愛宕上杉通、東二番丁などの幹線道路に近く、錦町公園や勾当台公園に隣接する。また、宮城県庁舎・仙台市役所などの官公庁街に近く、国際会議対応の大宴会場(2,000名収容)を含め複数の宴会場があり[1]、地元政財界の大規模会合にも使われてきた[2]。
斎藤報恩会館(斎藤報恩会自然史博物館、財団法人斎藤報恩会事務所、貸会議室など)が、当ホテルの下層階と外観を統一し、連接して建っていた[† 5]。
跡地は、隣接地も含め、NHK仙台放送局の新社屋(仙台放送会館)として2018年2月に業務開始された。
- 15階
- レストラン「メープル」、鉄板焼「メープル」
- 3階
- 宴会場:松島(東、西、南に区画可能)[1]
- 2階
- 宴会場:けやき(東、西に区画可能)、あおい、花梨、もみ・たけ・はぎ[1]
- 1階
- フロント
- ロビー
- レストラン「セレーナ」、中国餐庁「北京」、和食「万作」、バー「オークルーム」、ティーラウンジ(セレーナ)
1887年(明治20年)12月15日、日本鉄道本線(現・JR東北本線)が仙台区(現・仙台市)に開通するのに合わせ、仙台停車場前(現・仙台駅西口)には、旅館やホテルが次々開業した。開通同年に旅籠「大泉屋」が支店を旧・仙台ホテル(現・EDEN[3])の場所に開業、翌1888年(明治21年)には日本鉄道が「陸奥ホテル」を駅前南町通角[† 6]に創業[4]した。さらに1890年(明治23年)3月19日、仙台停車場構内に日本鉄道が「仙台陸奥館」を開業[5]。1892年(明治25年)7月21日には、仙台駅前広場北側[† 7]に日本鉄道が純和風の旅館を建て、こちらを陸奥ホテルとした[4](以上の旅館・ホテルの開業年や施設名には諸説あり[5])。(旧)陸奥ホテルは、青木助三郎(初代)に売却されて「陸奥別館青木ホテル」となり、現在のホテル仙台プラザの端緒となる[4]。なお、1896年(明治29年)には、同ホテルの北側隣接地に東北地方初の洋式ホテル「仙台ホテル」が開業した。
1945年(昭和20年)7月10日の仙台空襲で陸奥別館青木ホテルは被災したが、翌1946年(昭和21年)に「青木ホテル」として再興された[4]。占領期には、進駐軍のキャンプ・センダイ(旧仙台城二の丸/現東北大学川内キャンパス)、キャンプ・シンメルフェニヒ(旧東京第一陸軍造兵廠仙台製造所/現仙台駐屯地)、キャンプ・ファウラー(旧歩兵第4連隊/現榴岡公園)などがあったこともあり、GHQ/SCAP鉄道司令部 (Railway Transportation Office; RTO) の斜向かいにある[6]当ホテルは全国に8つしかないバイヤーズ・ホテル(貿易庁所轄。外国人客の遊興飲食税が5割引きされるホテル[7])に指定された[4]。1951年(昭和26年)には、東北地方初の国際観光ホテル整備法登録ホテル(政府登録ホテル)となる[4]。
1960年(昭和35年)、鉄筋コンクリート構造9階建てのビルに改築し、その3フロア分に入居。これを機に「仙台セントラルホテル」と改称した。
1975年(昭和50年)に現在地[† 8]に移転新築し、東北初のシティホテル(客室数221室)となる。これを機に「ホテル仙台プラザ」と改称。同年12月27日に政府登録ホテルに再登録された[8]。
2007年(平成19年)2月、ミレアホールディングス(2008年6月以降は東京海上ホールディングス)傘下の東京海上日動火災保険の関連会社であるMRMホテル特定目的会社(東京都)に29億5千万円で土地・建物を売却し、リースバック方式で営業することになった[9]。また、2009年(平成21年)にホテルの建物を取り壊し、ミレアHD関連会社が同地に新築する商業ビルにアップスケールして入居し直し、仙台一番町プロジェクト(現・仙台トラストシティ)に進出する外資系ホテル(現・ウェスティンホテル仙台)などに対抗して営業を続ける計画だった[10]。しかし、2008年9月15日に発生したリーマン・ショック以降の世界同時不況により計画が頓挫[10]。東京海上HDとの間で、賃料や条件面について断続的に協議が続いていた[10]。
2011年(平成23年)3月7日、賃料不払いを理由に債権が差し押さえられたホテル側は、経営悪化などを理由に同年3月25日を以って閉館すると発表[10][2]。宴会など約400件がキャンセルとなり[10]、非正規を含む従業員全180人を4月6日付けで解雇することが決定された[11]。3月11日、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生すると隣接する錦町公園に避難していた保育園児や帰宅困難者等をホテル内に招き入れ、布団・毛布・食事の提供を続けたが、3月13日朝に避難者に退去してもらい、午前10時に前倒しして閉館された[12]。8月1日までに、当該ホテルは仙台地裁に自己破産を申請、倒産した。負債総額は8億円となっている[13]。
ホテルは2012年(平成24年)に解体され、NHK仙台放送局の新社屋(仙台放送会館)が建設された[14]。
- 当ホテル以外に直営レストランを、宮城県美術館内にレストラン「サリックス」[15]、仙台市博物館内にレストラン「三の丸」[15]、ベルギーオルゲールミュージアム内にカフェレストラン「グランプラス」の3店展開していた。
- ブルーノ・タウト
- ドイツの建築家。榴ヶ岡の仙台陸軍幼年学校跡地(現在の仙台市立宮城野中学校や仙台市立仙台大志高等学校などがある地区)にあった商工省工芸指導所(現在の産業技術総合研究所の前身の1つ)に勤務し、「陸奥別館青木ホテル」に投宿していた。著書「日本美の再発見」に、オーナーの青木との交流について記述されている。
- エドマンド・ブランデン
- イギリスの詩人。「青木ホテル」に半年ほど滞在し、”SENDAI” という題の詩をホテルに贈った。その詩は詩碑となり、仙台文学館の庭に設置されている。
- 野村克也
- 東北楽天ゴールデンイーグルス監督時代(2006年 – 2009年)に当ホテルのスイートルームに投宿していた[16]。
- 中国餐庁「北京」のシェフやスタッフはホテル閉鎖後独立し、「中国北京料理 飛天」を開店した。
アクセス[編集]
- 鉄道
- 仙台市地下鉄南北線・勾当台公園駅 公園1または南4出口より徒歩3分
- 仙台市地下鉄南北線・広瀬通駅 西1出口より徒歩6分
- JR仙石線・あおば通駅 出口1より徒歩9分
- JR仙台駅 西口より徒歩13分
- 車
- JR仙台駅からタクシーで5分。
- 駐車場:100台(大型バス5台含む)[1](宿泊者は無料)
車寄せ(ポーチ)および駐車場は定禅寺通側にある[† 9]。
- 錦町公園(直接隣接する)
- 定禅寺通
- 愛宕上杉通
- 東二番丁
- 勾当台公園
- 宮城県庁舎
- 仙台市役所
注釈[編集]
- ^ 57.4m2のジュニアスイートが4室、83.2m2のスイートが1室。
- ^ 14~17m2のシングルが53室、21m2のデラックスシングルが30室。
- ^ 24~40m2。
- ^ 25.8~31m2のツインが77室、40m2のデラックスツインが1室。31.5~32m2の和室が2室。
- ^ 当ホテルと郵便番号が同じで、住所は仙台市青葉区本町2丁目20番2号と、号数のみ異なる。
- ^ 現在、仙台ロフトが核テナントとして入る仙台駅前開発ビルの南東角。
- ^ 現在の仙台マークワン南東角。
- ^ 仙台上町段丘と仙台中町段丘がつくる段丘崖上の大聖寺跡地にあたる。1976年(昭和51年)3月31日に仙台市電が廃止されるまでは、近くにレジャーセンター前駅があった。
- ^ 斎藤報恩会博物館(1933年~1976年)のポーチは東三番丁側(南西側)にあり、上町段丘にある建物全体が段丘崖下の中町段丘にある旧城下町中心部を見下ろす形だった。ホテル仙台プラザ(1975年~2011年)および斎藤報恩会自然史博物館(1976年~2009年)のポーチは、定禅寺通が明治中期に延長された区間側(北側)に変更された。
出典[編集]
- ^ a b c d e f g h i ホテル仙台プラザ (PDF) (公益財団法人 仙台観光コンベンション協会)
- ^ a b ホテル仙台プラザ25日閉館 賃貸契約協議こじれる(河北新報 2011年3月7日)
- ^ EDEN
- ^ a b c d e f ホテル仙台プラザの歴史(ホテル仙台プラザ)
- ^ a b Q. 仙台にはじめて建ったホテルについて知りたい。 (PDF) (仙台市図書館)
- ^ 資料館ノート「なつかし仙台2」(仙台市歴史民俗資料館)
- ^ 第1号 昭和36年12月5日 梶本説明員の発言(第39回国会 衆議院 運輸委員会観光に関する小委員会)
- ^ 登録ホテル・旅館のご案内「宮城県 ホテル」(日本観光協会)
- ^ ホテル仙台プラザ MRM社に売却 リースで営業継続(河北新報 2007年4月21日)
- ^ a b c d e 仙台の老舗ホテル閉館へ 経営悪化、全従業員を解雇(共同通信 2011年3月7日)
- ^ ホテル仙台プラザの解雇従業員(26面)(河北仙販「河北新報ひろいよみ」)
- ^ ホテル仙台プラザが閉館 13日、巨大地震で前倒し(日本経済新聞 2011年3月13日)
- ^ ホテル仙台プラザ、破産を申請 負債8億円(河北新報 2011年8月2日)
- ^ <NHK>仙台局新会館が完成 現地で式典(河北新報)2017年6月6日
- ^ a b 「ゴールデンウィークecoきっぷ2010」発売(仙台市交通局)
- ^ 第336回 名将ノムさんの損得勘定は、いかに? (PDF) (飯島賢二の『恐縮ですが…一言コラム』 2009.11.01)
関連項目[編集]
- 仙台ホテル(仙台駅開業頃から続くホテル。既に廃業)
- 陸奥ホテル(仙台駅開業に合わせて創業した日本鉄道経営の和風ホテル。既に廃業)
- グランドホテル仙台(戦後に電力ビル内に開業した高級ホテル。既に廃業)
- 松島パークホテル(東北初のリゾートホテル。既に廃業)
- 連合軍専用列車
- 旧斎藤報恩会自然史博物館(当ホテルと建物が連接していた)
外部リンク[編集]
- ホテル仙台プラザ(公式ウェブサイト) – ウェイバックマシン(2011年4月11日アーカイブ分)
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