片倉氏 – Wikipedia

片倉氏(かたくらうじ、かたくらし)は、戦国時代から江戸時代まで伊達氏に仕えた武士の一族である。仙台藩にあって白石城を預けられ刈田郡の大部分、1万8000石を領した。江戸時代の代々の当主は初代片倉景綱にならって片倉小十郎を名乗り、藩の内外の人々は通常この名で呼んだ。

片倉氏の先祖は信濃国伊奈から陸奥国に来て伊達氏に仕え、伊達氏に従って出羽国置賜郡小松郷(現・山形県川西町)に移り住んだと伝える。天文の乱後の天文22年(1553年)に伊達晴宗が「晴宗公采地下賜録」で定めた重臣35家には含まれておらず、政宗の時代に中村氏(新田氏)と並んで新たに重臣に列した家柄であった。「小十郎」は、景綱の母方の一族の武勇の士・飯田小十郎にちなんだとされる。

山形県川西町上小松の塩ノ沢地区には、片倉氏の産土神社の由緒を持つ八幡宮片倉前社や、文正年間片倉氏が起こしたと伝わる片倉山神社があったが、明治に入り諏訪神社に合祀され消失した。居館跡と伝わる片倉館跡の土塁も開田によって消失したが、現在も片倉氏に関する地名が残っている。片倉館や神社が存在した頃の塩ノ沢地区の有様は「塩ノ沢全図」に明確に描かれ、神職でも武士でもあった片倉氏を窺える貴重な史料となっている。

伊達家中での家格は、最高の「一門」ではなく二番目の「一家」であり、石高も最多ではない。仙台藩では奉行(他藩の家老)を中堅クラスの家臣から登用したので、家格でも役職でも片倉氏は数ある重臣の一人にすぎなかった。

しかし片倉氏は外から特別な待遇を受け、内でも特別な信任を受けていた。景綱は豊臣秀吉に知られて独立した大名に取り立てられかけたことがあり、他の大名家からは政宗の第一の重臣とみなされていた。外部からの特別視は江戸時代初めにも続き、江戸幕府は江戸城下で片倉氏に屋敷を割り当て、大名に準じる扱いをした。片倉氏の居城、白石城は幕府が一国一城令の例外として認めた正式の城である。仙台藩は相馬氏に対する南東の境や南部氏に対する北の境には複数の重臣を配置して各々に要害を任せたが、正面と言うべき南西方面には片倉氏を置いただけであった。また、片倉氏が仙台で与えられた屋敷は大手門に通じる大橋の南西のたもと、広瀬川を堀にみたてて石で護岸したところで、仙台城の外郭防衛の要であった。

2代重長は男子に恵まれなかったために、外孫である景長が後を継いだ。景長は松前氏の出身で、初代松前藩主の松前慶広の孫にあたる。

12代邦憲の時に戊辰戦争に敗れ、白石城を没収されて領地をわずか数百分の一に縮小された。邦憲は一時北海道胆振国幌別郡(現・登別市)を開拓のために領有したが、明治4年(1871年)に北海道の分領支配の制度が廃止されて失った。旧臣の一部は磐城国から北海道に移住し、石狩国札幌郡内に位置する札幌本府の東郊外に「白石村」を開拓した[2]。これは今の札幌市白石区に相当する。明治31年(1898年)に男爵として華族に列した[1]。片倉氏の当主は幌別と白石で開拓に参与したが、明治の末には宮城県の白石に引きあげた。

戦後、華族制度はなくなった。片倉氏は代々神職の家系でもあり、現在は政宗を祭神とする青葉神社の宮司の職を継いでいる。

3人の片倉小十郎[編集]

  • 初代景綱が、主君・政宗に秀吉の小田原征伐に参陣するように諫言して伊達氏討伐を回避させたこと。
  • 2代重長が、大坂夏の陣で真田信繁と互角に戦い後藤基次を討ち取ったことで伊達氏の武名を守ったこと。
  • 3代景長が、伊達騒動の際に幼君・綱村の傍にいて藩内の混乱を鎮め、伊達氏改易の危機を免れさせたこと。

伊達騒動の後、ある藩士が3人の片倉小十郎を「家中の美談」として紹介したところ、伊達家中皆が納得して片倉家を皆が重んじるようになったと言われている。

歴代当主[編集]

  1. 片倉景綱
  2. 片倉重長
  3. 片倉景長
  4. 片倉村長
  5. 片倉村休
  6. 片倉村信
  7. 片倉村定
  8. 片倉村廉
  9. 片倉村典
  10. 片倉景貞
  11. 片倉宗景
  12. 片倉邦憲
  13. 片倉景範
  14. 片倉景光
  15. 片倉健吉
  16. 片倉信光
  17. 片倉重信 

参考文献[編集]

  • オープンアクセス太田亮国立国会図書館デジタルコレクション 「片倉 カタクラ」 『姓氏家系大辞典』 第1巻、上田萬年、三上参次監修 姓氏家系大辞典刊行会、1934年、1516-1517頁。

    NCID BN05000207OCLC 673726070。全国書誌番号:47004572https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1130845/832 国立国会図書館デジタルコレクション 

  • 武家家伝_片倉氏”. 風雲戦国史-戦国武将の家紋-. 播磨屋. 2017年4月20日閲覧。