木曽岬町 – Wikipedia

木曽岬町(きそさきちょう)は、三重県の北東端、木曽三川の河口部に位置する町。東は愛知県と接し、西は木曽川を挟んで桑名市長島町と接する。また、南は伊勢湾の最北部に面している。トマトが名産。

桑名郡に属する唯一の自治体である。

三重県の町だが、郵便配達は隣の愛知県弥富市にある弥富郵便局が行う。このため、町内の郵便番号は三重県の51ではなく、愛知県内の49で始まるものが使われる。NTT市外局番は弥富市と同じ(0567)を使用する。

隣接している自治体[編集]

  • 1757年(宝暦7年) – 見入川が締め切られ、見入輪中と加路戸輪中が陸続きになる。
  • 1889年(明治22年)4月1日 – 町村制の施行により、加路戸新田・大新田・外平喜新田・近江島新田・西対海地新田・田代新田・築留新田・雁ヶ地新田・白鷺脇付新田・福崎新田・豊崎新田・川先新田・富田子新田・中和泉新田・見入新田・和泉新田・小和泉新田・小林新田・小林島新田・東対海地新田・源緑新田・源緑山新田・藤里新田・白鷺新田・松永新田の区域をもって木曽岬村が発足。
  • 1891年(明治24年) – 白鷺川が締め切られ、源緑輪中と加路戸輪中が陸続きになる。
  • 1963年(昭和38年) – 鍋田川が締め切られ、町域が愛知県側と陸続きになる。
  • 1989年(平成元年)5月1日 – 木曽岬村が町制施行して木曽岬町となる。

三重県の自治体の中では人口が最も少ない。

Population distribution of Kisosaki, Mie, Japan.svg
木曽岬町と全国の年齢別人口分布(2005年) 木曽岬町の年齢・男女別人口分布(2005年)

紫色 ― 木曽岬町
緑色 ― 日本全国

青色 ― 男性
赤色 ― 女性

木曽岬町(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

木曽岬町役場旧庁舎

木曽岬町役場は2016年(平成28年)11月に新庁舎が供用開始された[1]。津波や高潮の対策として1階部分を地盤から1m高くし、天井高を6mとすることで2階以上が想定津波高よりも高くなるようにしており、屋外には助命壇を設置している[2]。旧庁舎は1972年(昭和47年)に公民館として建設された建物を役場に転用したもので、手狭であった[3]

  • 町長:加藤隆(2009年5月5日より)
  • 町議会:議員定数8名

※なお、衆議院議員選挙の選挙区は「三重県第3区」[4]、三重県議会議員選挙の選挙区は「桑名市・桑名郡選挙区」(定数:4)[5]となっている。

公共施設[編集]

トマト[編集]

個包装された「とまリッチ」

トマトの生産量が三重県で最も多く、三重県の総出荷量の約6割を占める[6]。木曽岬のトマト栽培は1956年(昭和31年)に始まり、品種は桃太郎が中心である[7]。伊勢湾台風(1959年)で大きな被害を受け一時は営農意欲が失われようとしていたが、半促成栽培に取り組む農家が現れ、竹ほろを使った簡易的なビニールハウスで栽培を行うようになった。1970年代には木曽岬村(当時)だけでなく、長島町、多度町、桑名市まで栽培地域が広がっており、185戸が55 haに渡ってトマト栽培を行っていた。2015年(平成27年)の農林業センサスによると、木曽岬町のトマト農家は53経営体で、栽培面積は25 haである[9]

特に水分や肥料を調整した高糖度トマトは「とまリッチ」の名称で販売している[10]。「とまリッチ」の名付け親は三重県知事の鈴木英敬である[11]。またトマトをモチーフにした木曽岬町公式マスコットキャラクター「トマッピー」[12]や、木曽岬町のコミュニティ団体「ボラ倶楽部」のキャラクター「魔法少女トマトちゃん」がいる[13]

本社を置く企業[編集]

工場を置く企業[編集]

鉄道[編集]

町内に鉄道は通っていない。最寄り駅は愛知県弥富市の近鉄弥富駅またはJR・名鉄弥富駅。

バス[編集]

道路[編集]

町内には以下の学校が存在する。町内に高等学校は存在せず、桑名市などにある学校に通学することになる。愛知県内の公立の高等学校には進学できるところもある。

小学校[編集]

中学校[編集]

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

木曽岬町立文化資料館

観光[編集]

旧跡[編集]

催事[編集]

  • 輪中駅伝大会(2月)
  • 産業文化祭(3月)
  • 桜まつり(4月)
  • やろまい夏祭り(8月)
  • 町民体育祭(10月)

町の課題[編集]

木曽岬干拓地問題[編集]

自治体合併問題[編集]

現在、人口1万未満のために単独町制維持には厳しいものがある。木曽岬町は三重県内の他の地域とは木曽川で隔てられている一方で愛知県側とは陸続きになっており、生活圏が一体化している弥富市との越境合併を求める声が強い。

昭和の大合併の際には弥富町との合併を巡って村を2分する激しい対立が起きている。この時には国から「現段階で合併を行う事は適当ではない」との裁定が下った事に加え、1959年(昭和34年)の伊勢湾台風で村民の約1割が犠牲となって対立どころではなくなり、混乱は収束した。

平成の大合併では桑名市を中心とする三重県側の自治体との間で合併協議がもたれたが、弥富市との合併を求める声が多い一方、桑名市との合併を望む声は少なく、結果的に合併協議を離脱して単独町制を選択、越県合併の可能性を残す形となった。しかし、越県合併には両県の同意が必要とされる。昭和の大合併の際は、愛知県議会は合併に賛成したが、三重県議会は反対している。木曽岬干拓地の県境問題ですら解決に26年かかった事からも、合併の実現は現実的には難しいのではないかと言われている。[独自研究?]

年表[編集]

  • 1956年(昭和31年)9月 弥富町と越県合併を議決
  • 1957年(昭和32年)合併問題のもつれから村議会解散
  • 1959年(昭和34年)8月 単独村として合意し越県合併紛争解決
  • 2002年(平成14年)2月 桑名市・多度町・長島町・木曽岬町・東員町任意合併協議会の発足
  • 2002年(平成14年)10月 同任意合併協議会より離脱
  • 2004年(平成16年)4月 桑名市・多度町・長島町の合併により新「桑名市」が誕生、桑名郡唯一の自治体として単独町制を継続。

現況[編集]

行政サービスは桑名警察署(木曽岬駐在所)をはじめ、桑名市消防署長島木曽岬分署、桑名税務署、津地方法務局桑名支局、四日市年金事務所など三重県内の各機関が管轄しており、木曽岬町の農協はJA桑名と合併(その後、他の農協と合併しJAみえきたに)、ケーブルテレビは四日市市にあるシー・ティー・ワイのサービスエリアである。一方、郵便は愛知県の弥富郵便局の担当(郵便番号498)であり、NTTも市外局番は愛知県の津島MAの0567となっており、市内通話区域は弥富市、津島市、愛西市、飛島村(いずれも愛知県)などで、桑名市へは市外通話扱いになる。また、三重県域局のNHK津放送局及び三重テレビ放送が桑名中継局を町内に設置している。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]