フランス領スーダン – Wikipedia

フランス領スーダンの旗

フランス領スーダン(フランス語: Soudan français, 英語: French Sudan)は、1890年-1902年および1920年-1960年の間、西アフリカにあったフランスの植民地。フランス領西アフリカの一部であり、現在のマリ共和国の領域を管轄としていた。

前史[編集]

現在のマリ共和国の地域にフランス植民地政府が置かれたのは1880年のことである。当時はオー・セネガル植民地と呼ばれ、首都はカイに置かれた。

1890年〜1902年[編集]

1890年にはフランス領スーダンと改称され、1899年には首都はカイからバマコへと遷都された。

セネガンビア・ニジェール[編集]

1902年にはセネガルやニジェールと統合され、フランス領セネガンビア・ニジェール植民地英語版植民地となった。

オー・セネガル・ニジェール[編集]

1904年にはフランス領オー・セネガル・ニジェール植民地英語版となった。

1921年〜1960年[編集]

1919年にフランス領オートボルタ英語版(現ブルキナファソ)が分離し、1921年12月1日には再びマリの領域だけで再独立してフランス領スーダンの呼称に戻った。

1933年にフランス領オートボルタ英語版が消滅した際、領土を増やした。

1958年10月4日の国民投票の結果、1958年11月25日にフランス領スーダンはフランス共同体の中で自治権を得た。その後各植民地の完全独立の動きが高まる中、フランス領スーダンの首相であるモディボ・ケイタは同じくフランス領セネガルの首相レオポール・セダール・サンゴールとともに両国の連合を組むことに合意し、1960年6月20日両国はマリ連邦として統一して独立した。しかし、両植民地の意見の食い違いにより、8月20日にセネガルは脱退し、わずか2ヶ月でマリ連邦は崩壊。残されたスーダンはマリ共和国として単独独立することとなった。