サミュエル・デ・マレ – Wikipedia

サミュエル・デ・マレ (1599-1673) (Jacob van Meurs, 1655)

サミュエル・デ・マレ(仏:Samuel Des Marets ないしは Desmarets、ラテン語:Samuel Maresius、1599年 – 1673年) は、フランスに生まれ、主としてオランダで活動したプロテスタント神学者である[1][2][3]。日本語表記では「サミュエル・デ・マレ[4]」あるいは「サムエル・マレシウス[5]」と呼ばれる。

サミュエル・デ・マレは、北フランスのピカルディに生まれた。パリで学び、その後ソミュール・アカデミーでフランシスクス・ゴマルスの指導下に入った。ドルト会議の時にはジュネーヴに滞在していた。1620年に聖職者に任じられ、ランで司牧活動にあたった。カトリック教会の宣教師たちとの論争の結果、身の危険を感じ、1624年にランを後にした。この行動は批判を招くことになる。

1625年にスダン・アカデミーの教授、1632年にマーストリヒトの牧師、1636年にスヘルトーヘンボススの牧師・教授、そして1643年にフローニンゲン大学の教授になった。その名声のために、ソミュール、マールブルク、ローザンヌ、ライデンの各地から招聘を受けることになった。フローニンゲンにて1673年3月18日になくなった。

デ・マレは100冊以上の書物を著した。『神学体系』(フローニンゲン、1645年;第4版、1673年。デ・マレの著作リストが付録となっている)はスコラ学的な作法で書かれており、教科書として広く利用された。著述家としてのデ・マレの活動は、主に論争に費やされた。攻撃の対象は、カトリック教会、ソッツィーニ派、アルミニウス主義、ジャン・ダイエらアミロー主義者、千年王国主義などであった。

  1. ^ Emile Haag La France protestante, 1853, p. 250: “réformée, la famille Des Marets n’avait pas cessé un instant de se montrer fort attachée aux doctrines évangéliques. Lambert, homme … avoir été jamais malade. Dès son enfance, Samuel Des Marets montra une forte inclination pour l’étude.”
  2. ^ Bettye Thomas Chambers Bibliography of French Bibles, 1994, p. 486: “Samuel Des Marets (1599-1673), professor of theology at Groningen,”
  3. ^ Louis Mayeul Chaudon, Dictionnaire universel, historique, critique, et bibliographique, volume 11, 1810, p. 125: “MARÉTS (Samuel des), né à Oismond en Picardie l’an 1599, avec des dispositions heureuses, étudia à Paris, à Saumur et à Genève.”
  4. ^ W・J・ファン・アッセルト『改革派正統主義の神学一ースコラ的方法論と歴史的展開』青木義紀訳、教文館、2016年、163頁。
  5. ^ 加藤喜之「スキャンダラスな神の概念:スピノザ哲学とネーデルラントの神学者たち」ヒロ・ヒライ、小澤実編『知のミクロコスモス:中世・ルネサンスのインテレクチュアル・ヒストリー』中央公論新社、2014年、234頁。

参考文献[編集]