石川祝男 – Wikipedia

石川 祝男(いしかわ しゅくお、1955年4月15日 – )は、日本の実業家。バンダイナムコホールディングス代表取締役社長、代表取締役会長を務めた。

来歴・人物[編集]

山口県出身。大阪府立登美丘高等学校、関西大学文学部ドイツ文学科卒業[1]

砂利の運送会社を営む家庭に生まれ、へその緒が首に巻きつく危険な状態から助産師に叩かれやっと産声を上げためでたさから祖父により「祝男」と名付けられる[2]。年少期から中学時代までは岩国市で育ち広島市の楽々園遊園地でゲーム機に親しんだ[2]。小学3年頃に採掘市場の低迷から家業が苦境に陥り高校時代には家業を廃業し両親は大阪へ転居し、岩国の親戚宅で1年間過ごしたのち高校2年時に大阪へ移る[1][2]。大学では実家の生活苦から「ボーナスをもらえる職業に就きたい」との思いで教師を志望し、教育実習に出るも単位不足から教師を諦めることになった[1][3]

教師を断念したのち就職情報誌に掲載されていた「遊びをクリエイトする」のキャッチコピーに惹かれ大学卒業後1978年にナムコ(現・バンダイナムコエンターテインメント)に入社[1][3][4]。入社後2年間は営業部に配属され東京都内でセールスマンを行い[3]、1981年に事業課へ異動しロボットの開発やプロモーションを担当[3]、1986年にアーケードゲームを担当する開発二部でゲーム開発に携わり[5][6][7]、『カーニバル』を皮切りに『スウィートランド』や1989年に企画・開発した『ワニワニパニック』が大ヒットしロングセラー商品となり1991年には部長となる[3]

2002年には社内カンパニー制移行に伴いアーケード筐体を担当する「AMカンパニー」の代表に就き2004年にはエグゼクティブ・プロデューサーとして担当した『アイドルマスターシリーズ』が大ヒットを記録、『ドラゴンクロニクル』や『太鼓の達人』のヒットと合わせアーケード部門の業績を回復させた[3]

その後開発担当役員としてナムコとバンダイの経営統合を推進し[3]、2006年の統合により誕生したゲーム事業部門会社であるバンダイナムコゲームス(現・バンダイナムコエンターテインメント)社長に就任[3]。2010年にはバンダイナムコグループの再編計画において知的財産を生かした「IP軸戦略」を業界でいち早く取り入れた[3]。2015年6月22日に会長となり[8]、2018年6月18日に顧問となり、2019年6月に退任[1][8]

会長在任中の2017年には、フランス政府レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受章した[9]

  • 『大ヒット連発のバンダイナムコが大切にしているたった1つの考え方』(サンマーク出版、2016年)

脚注・出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

先代:
鵜之澤伸
バンダイナムコゲームス(旧ナムコ)社長
2010年 – 2012年
次代:
大下聡