賀谷與吉 – Wikipedia

賀谷 與吉
生誕 1899年5月20日
日本 山口県佐波郡牟礼村
(現・防府市牟礼)
死没 (1945-06-10) 1945年6月10日(46歳没)
所属組織 大日本帝国陸軍
軍歴 1918 – 1945
最終階級 陸軍少将
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賀谷 與吉 / 与吉(かや よきち、1899年(明治32年)5月20日[1] – 1945年(昭和20年)6月10日)は、日本の陸軍軍人。生前の最終階級は中佐(戦死後、特進により少将)。沖縄戦において第62師団歩兵第63旅団独立歩兵第12大隊(通称:賀谷支隊)を率いた事跡で知られる。

山口県佐波郡牟礼村(現・防府市)生まれ。広島幼年学校を卒業。陸軍士官学校第33期生。1942年6月26日第3軍第1国境守備隊第4地区隊長。1944年1月13日第62師団独立歩兵第12大隊長。同年8月、沖縄県中頭郡北中城村の島袋地区で陣地構築に携わる。

1945年(昭和20年)4月1日、アイスバーグ作戦により嘉手納海岸に上陸した第7師団、第96師団を相手に独立歩兵第12大隊(総員1,233名)で4日間の遅滞戦闘を行い、日本軍が待ち構える嘉数陣地まで米軍を誘導することに成功した。この際に被った損害は戦死将校11名、下士官兵231名。負傷数不明[2]。その後も各地で抵抗を続けたが、6月10日の戦闘で部隊が全滅した際に戦死したとみられる。同日付で陸軍大佐[3]。6月29日付で陸軍少将[1]

注釈・脚注[編集]

  1. ^ a b 『日本陸軍将官辞典』226頁。
  2. ^ 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 沖縄方面陸軍作戦』朝雲新聞社、1968年、p.281
  3. ^ 松木謙治郎 『松木一等兵の沖縄捕虜記』恒文社、1974年(2012年に現代書館より復刊)[要ページ番号]

参考文献[編集]

  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。

関連項目[編集]

  • 嘉数の戦い
  • 松木謙治郎 – 独立歩兵第十二大隊の炊事兵として生還している。
  • 高橋悦史 – 映画『激動の昭和史 沖縄決戦』で賀谷中佐役を演じた。「本島西海岸一帯は米艦艇のため海の色が見えない!」「船が7分に海が3分だ!わかったか!」のセリフで有名。