高槻市 – Wikipedia
高槻市(たかつきし)は、大阪府の北摂三島地域に位置する市。中核市に指定されている。
京都市と大阪市との中間に位置し[注釈 1]
、二大都市のベッドタウンとして発展している。市章も、大阪市と京都市の市章を融合させたデザインとなっている[注釈 2]。高槻藩時代には内藤家、土岐家、松平家、岡部家藩主が変わり、徳川将軍家と近しい譜代大名の直清流永井家が幕末まで222年間藩主を治めることになる。平地では工業地帯が広がり、山間部では農業が盛んである。中心部の都会的な街並みと、原や堅田の農村風景を併せ持つ町として「とかいなか」を自称している[1]。
地名の由来[編集]
「高槻」の地名の由来は、2つの説がある。
- 『古事記』や『日本書紀』にある神武東征の時に、大和で長髄彦一族に苦しめられた。そこで道臣命と可美真手命を東征軍の長に任じ、征伐に成功したことから天皇は三島の土地を与えた。その軍隊の旗印が月をかたどっていたので、褒美に貰った土地を「高月」と呼ぶようになったという説。
- 安満庄にあった天月弓杜(あめのつきゆみのやしろ)が高月読杜(たかのつきよみのやしろ)とも呼ばれ、そこからその一帯は「高月」と呼ばれたという説。
「高月」が「高槻」に転じた理由は、槻(欅の古称)の大木があり、戦国時代に槻の近くに本陣が立てられたことから、月を槻に変えたとされる[2]。
大阪府の北東部に位置し、東西10.4km・南北22.7kmと、市域は東西に狭く、南北に広い。北端を北摂連山・南端を淀川で区切られ、地勢は北高南低になっている。市内最高標高はポンポン山の678.7m、最低標高は柱本の淀川河川敷で3.3m。
大阪から21.2km、京都から21.6km[注釈 3]と、京都大阪間のほぼ中央に位置する。市域面積は105.31km2、広さは府内第4位[注釈 4]で、大阪府の5.6%を占める。市域の33.29km2 (31.6%) が市街化区域となり、残りの72.02km2 (68.4%) が市街化調整区域として開発が制限されている。市街化率は北摂7市の中で最も低く[注釈 5]、山林や農地が多く残されている。主な市街化調整区域は、保安林や近郊緑地保全区域に指定され、市域の48%を占める北部の山林[注釈 6]、南部の三箇牧地域、東部の五領地域、郡家や土室などがあり、三箇牧地区、五領地区、樫田地区は農用地区域としても農地が保全されている[注釈 7]。
山裾には大小500基以上の古墳を有する三島古墳群が拡がり、古代・山陽道(西国街道)が市内中央部を東西に通り、交通の要所として街道沿いに発展し、郡衙や宿場などが作られた。古代・河内湾により高槻付近まで海が迫っていたことから、津之江の地名が残り、筑紫津が作られ、九州へ出発する港が整備されていた。淀川では、淀川三十石舟など水運の要所にもなり、前島浜・唐崎浜・三島江浜などの河港が整備され、柱本でくらわんか舟が誕生した。鵜殿は奈良時代には都の牧場として使われており、鵜殿や大塚には対岸の枚方市との渡し場があった。六玉川のひとつ三島の玉川や三島江、芥川などは歌枕として有名。
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北部森林地帯
原で撮影 -
北部山麓の農業地帯
原で撮影 -
高槻駅北側の再開発地区
古曽部町で撮影
広袤(こうぼう)[編集]
東西10.4km・南北22.7km。市域面積は105.31km2。市内最高標高はポンポン山の678.7m、最低標高は柱本の淀川河川敷で3.3m。
極地[編集]
- 東端 淀の原町地先の淀川 北緯34度52分、東経135度40分
- 西端 大字二科小字院ノ馬場12番地の1 北緯34度56分、東経135度33分
- 北端 大字杉生小字西谷17番地 北緯34度58分、東経135度35分
- 南端 柱本町地先の淀川 北緯34度47分、東経135度36分
- 市役所 桃園町2-1番地 北緯34度51分、北緯135度37分
地勢[編集]
北部は北摂山系になり、主な山には、ポンポン山、三好山(みよしやま)、黒柄岳(くろがらだけ)、明神ヶ岳(みょうじんがだけ)、高ヶ尾山(たかおさん)、阿武山(あぶやま)がある。主な川には、南東から市の南端に沿って流れる淀川をはじめ、北から南へ市内中央部を流れる芥川や、女瀬川(にょぜがわ)、桧尾川など12の一級河川があり、新川など5つの準用河川がある。
JR京都線と阪急京都本線を中心に市内中央部から周辺部へと市街地が拡がっている。北部は大半が山間地で、南部は大阪平野北部を形成する三島平野の低地が広がる。北から、700m以下の山間部、山地に囲まれた田能盆地や原盆地、服部谷、成合谷等の農村部、高槻丘陵や奈佐原丘陵といった丘陵地に広がる日吉台、安岡寺、南平台、奈佐原等の住宅地、歴史的な街なみが残る標高10 – 30m程の富田台地と続き、大阪平野を形成する標高10m以下の沖積低地が広がる。市内には国道170号線と国道171号線が走り、丘陵部を東西に名神高速道路が貫通している。市北部には新名神高速道路の高槻インターチェンジがある。
地形[編集]
高槻市の地形的特色としては、山地、谷底平野、丘陵地、台地、沖積低地の5つに区分される[3]。
高槻市を上から見ると、北半分は丹波高地に連なる北摂山地へ楔形に食い込んだ形をしており、市北部の北摂山地は、堅く固結した古生代の堆積物である丹波層群でできている。山地は標高700m以下の低山性山地で、大阪平野に面する斜面は急だが、山頂部は定高性[注釈 8]が強く、高原状の地形を形成している。
北摂山地の川や谷に沿って形成されている谷底平野は、小低地で、芥川の源流部にある田能盆地、中流の原盆地や服部谷、桧尾川中流の成合谷などがあたる。田能盆地は樫田地区を中心とする地域で、標高は330 – 360m、周りをさらに150mほど高い山地に囲まれている。原盆地・成合谷は、ポンポン山の山裾と高槻丘陵との間に挟まれた谷底平野で、標高は、原盆地で100 – 130m、成合谷で20 – 50m、河川に沿って南北に長い平面型となっている。服部谷は、摂津峡の南端から南南東に伸びる谷で、谷の両側を丘陵地に挟まれ、面積のほとんどが扇状地となっている。
北摂山地と淀川低地とが接する市中央部には、鮮新世末期 – 更新世前期の堆積物である大阪層群で構成される丘陵部があり、日吉台、安岡寺、南平台、奈佐原といった住宅地が形成されている。高槻丘陵は、ポンポン山の山裾から南側に広がる丘陵地で、北部の標高は100m以上で自然が残され、南部は50 – 110m、比較的起伏が小さく住宅街が広がる。高槻丘陵の西には、標高50 – 100m奈佐原丘陵があり、さらに奈佐原と南平台に分けることができる。
更新世後期の富田礫層に覆われた富田台地が、丘陵部から南方へ突き出た形に伸びている。富田台地は、標高10 – 30mの舌状台地で、北西端が継体天皇陵、南西端に総持寺、南東部に富田寺内町といったものを有する。
市域の南半分が、大阪平野の北部を形成する淀川低地にあたり、その全域が沖積層である。
大部分が標高10m以下の低湿地で占められ、排水が悪い低湿な後背湿地や氾濫平野が広がり、小規模な島状の高台が散在している。
市内北部を有馬-高槻断層帯が東西方向に通過し、山地部にも「大沢」や「萩谷」などの推定活断層が通る。
自然[編集]
山岳[編集]
- 山系: ポンポン山、三好山、黒柄岳、明神ヶ岳、高ヶ尾山、阿武山 等
- 丘: 高槻丘陵、奈佐原丘陵 等
河川[編集]
湖沼[編集]
- 池: 古曽部新池、荒内池、氷室河池、新池、長池 等
その他[編集]
- 峠: 地獄谷峠、川久保峠
- 盆地: 田能盆地、原盆地
- 谷: 摂津峡、服部谷、成合谷、川久保渓谷 等
気候[編集]
平野部を中心としたほとんどの地域が、夏や冬に降水量の少ない瀬戸内海気候の周辺部に位置し、北部の山間部は日本海側気候の影響を受け、冬には降雪が見られる。年間平均気温は、16℃前後で、湿度は67%前後。ポンポン山などの山間部では平均風速6m/sを超える地域があるが、市内の年間平均風速は3.1m/sで、異常気象を除き、年間を通じてあまり大差がない。風向きは概ね、春は北から西、夏から秋にかけては東から北、冬は西ないし北から吹く。1970 – 2007年までの降水量の年平均は1,318mm。平均気温の推移をみると、市街地の形成に伴い、ヒートアイランド現象等もあり、1980年代以降上昇傾向にある。
高槻市消防本部の観測による2009年の年間気象は、気温が年平均16.5℃、最高35.4℃、最低-0.5℃。降水量は年間1,259.1mm、降水日数121日。湿度は年平均70.1%、最高100%、最低13%。風速は年平均3.1m/s、最大風速17.9m/s。表は2009年のもの。
古代[編集]
高槻に人が住み始めたのは、約2万年前の旧石器時代で、郡家今城遺跡で生活跡が発見されている。その後弥生時代になり、安満遺跡では三島地方で最初の米作が開始された。古墳古代は摂津国嶋上郡にあたる。
日本でも有数の古墳群地帯で、真の継体天皇陵とされる今城塚古墳など古墳時代初期から末期までの各時代の古墳が現存している。
新池遺跡(今城塚古墳附(つけたり)新池埴輪製作遺跡として国の史跡に指定)は日本最古(5 – 6世紀)最大級の埴輪工場で新池遺跡ハニワ公園として保存・公開されている。
7世紀末に役小角により神峯山寺が開創され、修験霊場七高山の一角とされるほど栄えた。
中世[編集]
「たかつき」の地名が初めて史料に出てきたのは、鎌倉時代にあたる14世紀ごろ、奈良の春日神社の荘園であった「安満庄」の耕地目録の中に、「麦下地 高月二町十歩」「野畠 高月七反半」とみえる[4]。
室町時代には、富田が一向宗(浄土真宗)北摂布教の拠点として栄える。この頃の史料には「高槻」の地名が見られる。
戦国時代には、三好長慶や高山右近が拠点とする。
安土桃山時代には、高槻領主高山右近がキリシタン大名だった影響でキリスト教が広がり、1581年には日本で最初の復活祭がいとなまれた[5]。
近世[編集]
江戸時代には山陽道の流れをくむ西国街道が参勤交代などに利用され、芥川宿は六宿駅の一つとして栄える。江戸時代初期には内藤家、土岐家、松平家、岡部家と、共に数年単位で高槻城主が変貌していったが、1649年より永井直清を初代とした直清流永井家が13代、222年にわたり幕末まで高槻藩主を務めた。現在の高槻駅南部の旧城下町の町割り都市構造に大きく携わった。
富田は8,000石余りを醸造する酒蔵として栄える(高槻藩を参照)。富田は酒所として栄えた。江戸時代に日本を欧州に初めて体系的に紹介したオランダ商館付医師エンゲルベルト・ケンペルは、1691年2月28日、長崎から江戸に行く途中、大阪から守口、枚方、橋本、淀、京都の順に旅をし、昼食をとった枚方から高槻を望み、そこに「左側のほうに、地元の君主の白い城が大変美しく際立って見えた」と記録している[6]。
近代[編集]
明治時代には隠れキリシタンの里として発展した。
1939年(昭和14年)3月1日、淀川をへだてた枚方市の陸軍禁野火薬庫で大爆発が発生。現在の高槻市一帯の家屋の窓ガラス、戸障子などが壊れるなど被害が及んだ[7]。
現代[編集]
1970年代以降、大阪市及び京都市のベッドタウンとして宅地開発が進み人口が急増、1975年には30万人の大台に到達した。
その後も順調に増加を続け、1995年には362,270人と統計上過去最高を記録した。
しかしその後少子高齢化の進展や都心回帰などの影響により人口は減少に転じ、2005年には351,802人となった。
ただ大阪府の調査・推計では2004年初頭を境として高槻市の人口動態は社会減から社会増に転じており、人口は概ね横ばいである。
これはJR高槻駅周辺の再開発によって市中心部の商業機能が向上し、市内の生活がより便利になったため周辺地区からの流入が増えたことが理由と見られる。
なお市内の人口動態については、主に居住用のマンション建設が相次いでいる摂津富田駅、高槻駅周辺では増加、市北部の山際に広がる団地群や市南部の淀川近くに広がる旧来の市街地においては減少という形になっている。
市への流入者は多くが近畿圏内から来るが、近年は東京など首都圏からの移住も見られるようになった。
行政区域の変遷[編集]
市長[編集]
- 歴代市長
行政機構[編集]
<市議会>
<市長部局>
- 市長公室
- 総務部
- 財務部
- 市民協働部
- 福祉部
- 健康部
- 環境部
- 建設部
- 都市産業部
- 会計室
<行政委員会>
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<水道事業>
<自動車運送事業>
<消防>
市役所庁舎[編集]
1971年に国鉄高槻駅南隣より現在地(桃園町)へ新築移転した。庁舎は第13回BCS賞を受賞している。現庁舎が手狭になったため、1994年にホール・図書館を併設した「高槻市総合センター」を現庁舎北隣に建設した。
市役所支所[編集]
- 富田支所
- 三箇牧支所
- 樫田支所
財政[編集]
国の行政機関[編集]
- 国土交通省近畿地方整備局大阪国道事務所高槻維持出張所
- 国土交通省近畿地方整備局淀川工事事務所高槻出張所
- ハローワーク、法務局、税務署、簡易裁判所、区検察庁、労働基準監督署は隣接する茨木市にある。(大阪法務局高槻出張所は2003年に廃止統合された)
府の行政機関[編集]
- 茨木土木事務所 高槻工区
- 大阪府高槻警察署
- 府税事務所、府民センターは隣接する茨木市にある。
市議会[編集]
大阪府議会[編集]
- 選挙区:高槻市・三島郡選挙区
- 定数:4人
- 任期:2019年4月30日 – 2023年4月29日
- 投票日:2019年4月7日
- 当日有権者数:318,177人
- 投票率:52.93%
衆議院[編集]
- 選挙区:大阪10区(高槻市、三島郡)
- 任期:2021年10月31日 – 2025年10月30日
- 投票日:2021年10月31日
- 当日有権者数:320,990人
- 投票率:63.32%
市のマスコット[編集]
はにたん
2011年6月に市役所から募った31体の中から選ばれた。
詳細は、はにたんのページを参照。
市のイメージソング[編集]
- 高槻市歌
- 作詞:芳賀武, 作曲:西川得了
- 高槻市市制50周年記念歌「卯の花のように」
- 歌:島田歌穂
- 「テケテケはにたん」
- 作詞:佐奈谷七葉, 作曲:JaaBourBonz, 編曲:本田優一郎(スムルース), 歌:大屋朱里
スポーツ[編集]
大阪府の中でもサッカーの町として力を注いでおり、2012年よりJリーグのガンバ大阪がホームタウンとしている。また、なでしこリーグのスペランツァFC大阪高槻がホームタウンとしている。京都大学大学院農学研究科附属農場移転跡地にサッカー専用スタジアムを建設し、ガンバ大阪を誘致する計画があったが実現しなかった。
音楽[編集]
音楽活動が盛んに行われている市としても知られている。高槻現代劇場では市民の文化・芸術活動の振興を図り、更に充実した地域文化が育まれるようプロ、アマ問わず様々な演奏会が行われている。高槻ジャズストリート(たかつきジャズストリート)は、ゴールデンウィークの2日間(主に5月3日・4日)に市内複数の会場で開催される無料のジャズをメインとした音楽イベントが毎年開かれている。さらに、高槻北部の摂津峡に位置する摂津響Saal (せっつきょうザール)では、スタインウェイのグランドピアノを主に、室内楽の演奏を間近で聴くことができる音楽&芸術サロンがある。
将棋[編集]
高槻市は桐山清澄を始めとして福崎文吾や浦野真彦ら多くの棋士を輩出し、高槻城・三の丸からは江戸時代の将棋駒が発掘されるなど将棋に縁が深いことから「将棋のまち」を謳っている[8]。
2018年には日本将棋連盟と包括連携協定を締結し、2023年度を目処に、現在大阪市内にある大阪将棋会館がJR高槻駅前に移転する予定である[9]。
産業[編集]
第三次産業の割合が多く、大阪府の平均より小売業やサービス業が盛んである。
特にJR高槻駅周辺〜阪急高槻市駅周辺にかけて百貨店が2軒(阪急百貨店[注釈 9]・松坂屋)、映画館(アレックスシネマ)を備えたショッピングセンター(平和堂)などの大型店舗と多数の商店街を有しており、大阪府三島地域最大級の商業集積地となっている。飲食店や服飾関係の店舗も多く、周辺の自治体から多くの若者が集まるエリアとして近年関西でも注目を集めている。上場企業の本社数は3。
その他にも高槻センター街、高槻本通、アクトモール、芥川商店街、阪急高槻南駅前通り、城北通りなどの商店街が多く存在する。
2006年度(2006年4月 – 2007年3月)時点での産業別事業所、就業者数は以下。
事業所数 | 就業者数 | |
---|---|---|
第一次産業 | 7 | 1,018 |
第二次産業 | 1,146 | 39,990 |
第三次産業 | 8,260 | 111,179 |
高槻市に本社を持つ企業[編集]
かつて高槻市に本社を持っていた上場企業など[編集]
高槻市に事業所を置く企業[編集]
特産品[編集]
- 葦簾(よしず)
- 服部越瓜(しろうり)
- トマト(三箇牧)
- イチゴ(氷室)
かつては、山間部において京菓子向けの寒天作りが盛んに行われていたが、市街化が進み平年の気温も上昇したことで、現在は生産している農家はなく、下田部町にある株式会社タニチが田能に工場を持ち一般家庭向け寒天・寒天加工商品の製造・販売を行っているほか、市のサイトで「樫田地区の一部の農家が作っている」と報じられているだけに留まる。鵜殿と呼ばれる淀川河川敷で良質なヨシが採れたことから、簾作りも盛んであったという。かつて、市街地北部の服部地区ではたばこの栽培が行われ「服部煙草」と呼ばれていた。池田、伊丹とならぶ「北摂三銘酒」のひとつに数えられる酒の名産地である市域西部の富田地域には現在2軒の造り酒屋があり、オリジナルブランドで日本酒、また地ビールを生産するほか、北部の原地区においてはどぶろく特区として、どぶろくの生産も行っている。
農林水産業[編集]
農業[編集]
- JA高槻市・高槻市農協
- 戸数 – 1,519戸[10]
- 専業農家 – 110戸[10]
- 耕地面積 – 48,236[10]
- 農業粗生産額
- 特産品
- 花壇苗
- いちご
- しいたけ
- トマト
- 大阪しろな
品目 | a(アール) |
---|---|
総数 | 17,318 |
水稲 | 15,495 |
トマト | 272 |
キャベツ | 196 |
たまねぎ | 96 |
かんしょ | 85 |
ほうれんそう | 78 |
なす | 76 |
だいこん | 74 |
ばれいしょ | 67 |
ねぎ | 60 |
きゅうり | 52 |
花き類・花木 | 39 |
種苗・種木 | 193 |
- 大阪エコ農産物
- 農薬使用回数、化学肥料使用量を府内の慣行の半分以下に抑えるよう定めた、大阪府の栽培基準に従って栽培されたものを認証。
- じゃがいも
- たまねぎ
- だいこん
林業[編集]
- 大阪府森林組合三島支店
水産業[編集]
工業[編集]
- 事業所 – 251社[12]
- 従業員 – 11,623人[12]
- 製造品出荷額等 – 3536億9745万円[12]
- 食料品 – 22.6%
- 化学工業 – 15.5%
- はん用機械器具 – 14.0%
- 電気機械器具 – 12.9%
- 金属製品 – 5.8%
- プラスチック製品 – 5.6%
- パルプ・紙・紙加工品 – 4.5%
- 窯業・土石製品 – 4.0%
- その他の業種 – 15.1%
- 事業所内訳
- 金属製品 – 15.9%
- プラスチック製品 – 9.9%
- 生産用機械器具 – 7.9%
- パルプ・紙・紙加工品 – 7.6%
- 電気機械器具 – 6.8%
- 印刷・同関連業 – 6.0%
- 食料品 – 5.6%
- 化学工業 – 5.5%
- 窯業・土石製品 – 5.2%
- その他 – 29.5%
商業及び金融[編集]
- 事業所数 – 2,333社[13]
- 従業員 – 20,040人[13]
- 売り場面積 – 293,037m2[13]
- 年間商品販売額 – 5,213億1,600万円[13]
- 卸売業
- 事業所数 – 296社
- 年間商品販売額 – 2,137億800万円
- 小売業
- 事業所数 – 2,037社
- 年間商品販売額 – 3,076億800万円
- 卸売業
大型商業施設[編集]
金融機関[編集]
指定金融機関はりそな銀行(西暦の偶数年10月~奇数年9月)と三井住友銀行(西暦の奇数年10月~偶数年9月)との輪番制[14]。
日本郵政グループ[編集]
※高槻市内の郵便番号は、北部地域(おおむねJR京都線より北側の地域)が「569-10xx」「569-11xx」(高槻北郵便局の管轄)、南部地域(同じく南側の地域)が「569-00xx」「569-08xx」(高槻郵便局の管轄)となっている。
宿泊施設[編集]
- せせらぎの里 きつつき山荘
- 二料山荘
- 摂津峡 青少年キャンプ場
- 花の里温泉 山水館
- 亀屋旅館
- 観音むしぶろ
- ワークホテル高槻
- 高槻サンホテル
- 高槻W&Mホテル
- ホテルアベストグランデ高槻
報道機関[編集]
新聞社[編集]
そのほかには、高槻市民新聞社、きつつき21編集室、北大阪新聞社などのミニコミ誌など。
ケーブルテレビ局[編集]
環境保全[編集]
芥川上流の摂津峡(摂津耶馬渓とも呼ばれている)などは美しい自然環境を残している。
高槻市内ではホタルが鑑賞でき、日本で確認されている44種類のホタルのうち、ゲンジボタル、ヘイケボタル、ヒメボタル、オバボタル、クロマドボタル、ムネクリイロボタルの6種類が住んでいる。
姉妹都市・提携都市[編集]
国内[編集]
- 高槻市の委員で、過疎問題を研究していた松島大阪大学教授が、1970年(昭和45年)に島根県匹見町へ調査に訪れたことを始まりにして、当時、人口の増加に悩んでいた高槻市と、過疎に悩んでいた匹見町、都市と山村、相反する都市問題を抱える両都市が補い合って、新しい街づくりに役立てようというユニークな発想から姉妹都市提携が実現した。その後、2004年(平成16年)に市町村合併により匹見町が益田市に合併されたが、交流は引き継がれ、2008年(平成20年)に新たに提携再調印された[15]。
- 1983年(昭和58年)に、福井県三方町が高槻市で物産展を開催したことから始まり、その後、農林業祭や高槻まつりへ参加したことから友好関係が深まり、交流が盛んになる。1992年(平成4年)に市民から、姉妹都市提携の請願が提出されるなど機運が高まり、1993年(平成5年)に、高槻市の市制50周年と、三方町の町制40周年を機に、姉妹都市提携を調印した。その後、2005年(平成17年)に三方町が合併により若狭町になるが、交流事業を引き継ぎ、2008年(平成20年)に提携再調印を行った[16]。
国外[編集]
方言[編集]
同地域で古くから話されている言葉は、一般的な大阪弁であるが、京都府に隣接し、西国街道を通じて京都との交流が多いためか、京言葉の影響を多分に受けたものとなっている。ただし高度経済成長期以降、大阪府内で建設されたニュータウンと同様に、関西の他の地域は勿論、それ以外の地域からも転入者が急激に増えたため、標準語により近い関西共通語が主流となっている。
また、「高槻」は地元古来の発音では「た」にアクセントを置いた頭高型の発音をするが(「埼玉」などと同じ)、JR西日本などは「か」にアクセントを置いた共通語風の発音を採用しており、近年では他地域からの転入者や若年層を中心にこちらの発音をする市民も増えている。
人口[編集]
高槻市の人口は1994年度の363,000 人をピークに減少傾向にあったが、2003年度以降は概ね横ばいとなっている。高槻市の約半分は森林になっており可住地面積は57.37km2、可住地人口密度は6,133人/km2。2005年度の人口集中地区 (DID) の人口が338,236人、DID面積は33.19km2、DID人口密度が1,0259.6人/km2、総数に占めるDID人口が96.1%、面積は31.5%。日本の市の人口順位によると、高槻市は2010年の法定人口で56位となっている。
平成22年(2010年)国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、1.57%増の357,359人であり、増減率は府下43市町村中8位、72行政区域中25位。
高槻市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 高槻市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 高槻市 |
■青色 ― 男性 |
高槻市(に相当する地域)の人口の推移
|
|
総務省統計局 国勢調査より |
区分 | 人数(人) | 割合(%) |
---|---|---|
年少人口(14歳以下) | 49,101 | 13.68 |
生産年齢人口(15 – 64歳) | 234,076 | 65.19 |
高齢人口(65歳以上) | 75,863 | 21.13 |
人口の推移[編集]
1925年 | 4,586 |
1930年 | 5,980 |
1935年 | 28,295 |
1940年 | 31,011 |
1947年 | 37,714 |
1950年 | 43,321 |
1955年 | 54,028 |
1960年 | 79,043 |
1965年 | 130,735 |
1970年 | 231,129 |
1975年 | 330,570 |
1980年 | 340,720 |
1985年 | 348,784 |
1990年 | 359,867 |
1995年 | 362,270 |
2000年 | 357,438 |
2005年 | 351,826 |
2010年 | 358,669 |
2015年 | 355,451 |
2020年 | 352,876 |
地区[編集]
都市計画による区域[編集]
1997年(平成9年)に「高槻市都市計画マスタープラン」が策定され、それに則して都市計画が立てられている。市全体構想と共に、市を7つの地域に分けてそれぞれの地域ごとにも都市計画が立てられている。以下はそれぞれの地域と街づくりの重点目標。
- 樫田地域
- 樫田地区を中心とする地域。
- 森林の保全と営農・定住環境の整備
- 観光農林業の振興など
- 高槻北地域
- JR京都線より以北で芥川東部の地域。
- 良質な住環境の保全
- 高槻インターチェンジと道路網整備など
- 高槻南地域
- JR京都線以南で芥川から桧尾川までの地域。
- 公的施設の有効活用と機能充実
- 鉄道駅や高槻城跡周辺の整備など
- 五領地域
- 名神高速道路以南で桧尾川より東部の地域。
- 集落地の生活環境の向上
- 幹線道路の整備と計画的な市街地誘導など
- 高槻西地域
- JR東海道本線以北で芥川より西部の地域。
- 今城塚古墳の保存と史跡公園化
- 大学と地域社会の交流など
- 如是・富田地域
- JR京都線から番田井路までで芥川より西部の地域。
- 道路整備と定住環境の向上
- 市民プール・複合施設の整備など
- 三箇牧地域
- 番田井路以南で芥川より西部の地域。
- 集落地の生活環境の向上
- 農地の保全と都市的活用など
日常生活圏域別町名一覧[編集]
第4次高槻市総合計画において、土地の利用状況・生活圏としてのまとまり、地区行政の経緯などを考慮して、地区生活圏を7つに区分している。なお、この区分けは生活圏としてのまとまり等に重点を置いており、
川西町、真上町、緑ヶ丘は、上記の理由による区分けのため、丁目によっては地区が異なる。
高槻北地区
- 安満御所の町
- 安岡寺町一丁目 – 六丁目
- 樫田地区
- 浦堂一丁目 – 三丁目
- 浦堂本町
- 花林苑
- 大字川久保
- 黄金の里一丁目
- 芝谷町
- 清水台一丁目 – 二丁目
- 高見台
- 大蔵司二 – 三丁目
- 塚脇一丁目 – 五丁目
- 寺谷町
- 大字成合
- 成合北の町
- 成合中の町
- 成合西の町
- 成合東の町
- 成合南の町
- 西之川原一丁目 – 二丁目
- 大字原
- 東城山町
- 日吉台一番町 – 七番町
- 真上町六丁目
- 松が丘一丁目 – 四丁目
- 緑が丘二 – 三丁目
- 宮が谷町
- 宮之川原一丁目 – 五丁目
- 宮之川原元町
- 弥生が丘町
高槻中地区
- 芥川町一丁目 – 四丁目
- 安満磐手町
- 安満北の町
- 安満新町
- 安満中の町
- 安満西の町
- 安満東の町
- 美しが丘一丁目 – 二丁目
- 奥天神町一丁目 – 三丁目
- 古曽部町一丁目 – 五丁目
- 大蔵司1丁目
- 月見町
- 天神町一丁目 – 二丁目
- 殿町
- 西真上一丁目 – 二丁目
- 白梅町
- 別所新町
- 別所中の町
- 別所本町
- 紅茸町
- 真上町一丁目 – 五丁目
- 緑が丘一丁目
- 南芥川町
- 紫町
- 名神町
- 山手町一丁目 – 二丁目
高槻・五領地区
- 明田町
- 明野町
- 天川新町
- 天川町
- 井尻一丁目 – 二丁目
- 永楽町
- 大手町
- 梶原一丁目 – 六丁目
- 梶原中村町
- 上田辺町
- 上本町
- 大字上牧
- 上牧山手町
- 上牧北駅前町
- 上牧南駅前町
- 上牧町一丁目 – 五丁目
- 北園町
- 京口町
- 大字神内
- 神内一丁目 – 二丁目
- 紺屋町
- 五領町
- 桜町
- 沢良木町
- 城西町
- 城東町
- 城内町
- 城北町一丁目 – 二丁目
- 須賀町
- 高垣町
- 高槻町
- 大学町
- 千代田町
- 天王町
- 出丸町
- 桃園町
- 道鵜町一丁目 – 六丁目
- 土橋町
- 中川町
- 野田一丁目 – 四丁目
- 野田東一丁目 – 二丁目
- 野見町
- 大字萩之庄
- 萩之庄一丁目 – 五丁目
- 八丁畷町
- 八丁西町
- 東天川一丁目 – 五丁目
- 東上牧一丁目 – 三丁目
- 日向町
- 藤の里町
- 本町
- 前島一丁目 – 五丁目
- 松原町
- 緑町
- 南松原町
- 宮野町
- 八幡町
- 淀の原町
高槻南地区
- 大冠町一丁目 – 三丁目
- 大字大塚
- 大塚町一丁目 – 五丁目
- 春日町
- 北大樋町
- 高西町
- 下田部町一丁目 – 二丁目
- 庄所町
- 城南町一丁目 – 四丁目
- 辻子一丁目 – 三丁目
- 竹の内町
- 堤町
- 東和町
- 西大樋町
- 西冠一丁目 – 三丁目
- 登町
- 番田一丁目 – 二丁目
- 深沢町一丁目 – 二丁目
- 深沢本町
- 松川町
- 南大樋町
- 南庄所町
- 若松町
富田南・三箇牧地区
- 大字唐崎
- 唐崎北一丁目 – 三丁目
- 唐崎中一丁目 – 四丁目
- 唐崎西一丁目 – 二丁目
- 唐崎南一丁目 – 三丁目
- 川添一丁目 – 二丁目
- 北柳川町
- 寿町一丁目 – 三丁目
- 大字西面
- 西面北一丁目 – 二丁目
- 西面中一丁目 – 二丁目
- 西面南一丁目 – 四丁目
- 栄町一丁目 – 四丁目
- 三箇牧一丁目 – 二丁目
- 芝生町一丁目 – 四丁目(しぼちょう)
- 玉川一丁目 – 四丁目
- 玉川新町
- 西町
- 大字柱本
- 柱本一丁目 – 七丁目
- 柱本新町
- 柱本南町
- 牧田町
- 大字三島江
- 三島江一丁目 – 四丁目
- 南総持寺町
- 柳川町一丁目 – 二丁目
富田地区
- 川西町3丁目
- 北昭和台町
- 桜ケ丘北町
- 桜ケ丘南町
- 昭和台町一丁目 – 二丁目
- 津之江北町
- 津之江町一丁目 – 三丁目
- 登美の里町
- 富田町一丁目 – 六丁目
- 西五百住町
- 如是町
- 東五百住町一丁目 – 三丁目
高槻西地区
- 赤大路町
- 朝日町
- 阿武野一丁目 – 二丁目
- 今城町
- 大畑町
- 岡本町
- 上土室一丁目 – 六丁目
- 川西町一丁目 – 二丁目
- 郡家新町
- 郡家本町
- 幸町
- 清福寺町
- 大和一丁目 – 二丁目
- 塚原一丁目 – 六丁目
- 富田丘町
- 大字奈佐原
- 奈佐原一丁目 – 四丁目
- 奈佐原元町
- 南平台一丁目 – 五丁目
- 大字萩谷
- 萩谷月見台
- 土室町
- 氷室町一丁目 – 六丁目
- 宮田町一丁目 – 三丁目
- 霊仙寺町一丁目 – 二丁目
隣接している自治体・行政区[編集]
- 大阪府
- 京都府
医療施設[編集]
- 特定機能病院
- 救命救急センター
高槻市消防本部特別救急隊と連携し、ドクターカーの本格運用(365日24時間)を行っている。2002年10月に試行運用を開始、2006年10月より本格運用開始。本格運用を行っているのは国内で5市のみ。(2008年現在)
- その他
救急医療体制は周辺他市と比較して充実しており、他地域の救急車が救急患者を搬送して来ることが多く見られる。
学校教育[編集]
かつて中学教師が地元集中と呼ばれる教育を行っていた。国道171号沿いの防音版の設置棟とプレハブ校舎へのエアコン設置は全国でも珍しい試みであった。2007年度から2学期制を導入した。
小学校[編集]
中学校[編集]
公立[編集]
私立[編集]
高等学校[編集]
府立[編集]
私立[編集]
特別支援学校[編集]
大学・短期大学[編集]
- かつてあった大学・短期大学
大学の研究機関[編集]
- 京都大学防災研究所附属地震予知研究センター阿武山観測所
統廃合により廃校となった学校[編集]
- 高槻市立庄所小学校(1977年西大冠小学校より分離創立、2005年4月桃園小学校と統合)
- 高槻市立堤小学校(1975年桜台小学校から分離創立、2004年4月桜台小学校と再統合)
- 高槻市立牧田小学校(1977年玉川小学校より分離創立、2001年4月玉川小学校と再統合)
- 高槻市立第五中学校(1958年に旧樫田村を併合した際に、亀岡中学校樫田分校を高槻市立第五中学校として再発足。1995年4月に高槻市立第九中学校に統合)
- 大阪府立島上高等学校(2005年に大阪府立高槻南高等学校と統合により廃校・統合校の大阪府立槻の木高等学校は島上高等学校の校地を使用している)
- 大阪府立高槻南高等学校(2005年に大阪府立島上高等学校と統合により廃校)
- 高槻市立養護学校(2005年3月廃校)
鉄道[編集]
バス路線[編集]
かつては近鉄バスも富田地区と柱本地区に路線があったが、前者は2008年、後者は2017年に廃止となった。
道路[編集]
東西を走る大動脈的な国道171号線は、かつて右折レーンが少なく渋滞が頻発していた。しかし近年、道幅の拡幅などにより大畑町・八丁畷・今城町交差点などにおいて右折レーンが新設され、渋滞回数は減少している。
かつては市内を通過する名神高速道路にインターチェンジがなく市内を素通りするのみであったが、2017年に新名神高速道路の高槻JCT・IC – 川西IC間が開通(翌2018年に川西IC – 神戸JCT間が開通して山陽自動車道・中国自動車道と接続)したことで市内に同JCTを介して接続する新名神・名神両高速道路の出入口が設置された。
高速道路・有料道路[編集]
- 最寄りのインターチェンジ
一般国道[編集]
大阪外環状線として整備された2路線がある。
※171号線は170号線の起点となる八丁畷交差点以東の区間も含めて「イナイチ」と呼称されるのが一般的で、「外環(ソトカン)」と呼称されるのは170号線のみである。
主要地方道[編集]
一般府道[編集]
文化施設・名所・旧跡・祭事・催事[編集]
ホール・公民館[編集]
- 高槻現代劇場
- 高槻市教育センター
- 生涯学習センター
- 総合市民交流センター
- 高槻市立富田ふれあい文化センター(旧高槻市立富田解放会館)
- 障がい者福祉センター(ゆう・あいセンター)
図書館[編集]
博物館・美術館・史料館[編集]
体育施設[編集]
スタジアム[編集]
- 古曽部防災公園野球場
- 陸上競技場(総合スポーツセンター)
- 萩谷総合公園野球場
プール[編集]
- 市民プール(芝生町4丁目)
- クリンピア前島(前島熱利用センター)
- 芥川緑地プール「ぷーるぴあ」 →2016年閉館
- 番田温水プール(番田熱利用センター)
体育館[編集]
- 総合体育館(総合スポーツセンター)
- 古曽部防災公園体育館
テニスコート[編集]
- スポーツセンターテニスコート(総合スポーツセンター)
- 西大樋テニスコート
- 郡家テニスコート
- 萩谷総合公園テニスコート
- 芥川緑地テニスコート
グランド[編集]
- 青少年運動広場(総合スポーツセンター)
- 南大樋運動広場
- 津之江公園運動広場
- 堤運動広場
- 牧田運動広場
- 庄所運動広場
- 城跡公園野球場(野見町)
- 桃園小学校
- 阿武山小学校
福祉施設[編集]
公園[編集]
- 自然公園
- 国営公園
- 総合公園
- 風致公園
- 歴史公園
- 高槻城公園(旧 城跡公園) – 城内町、野見町 (4.44ha)
- 安満遺跡公園 – 八丁畷町 (15ha)
- 史跡今城塚古墳 – 郡家新町 (8.5ha)
- 墓園
- 安満山墓園 – 安満御所の町 (33ha)
- 主な都市公園
- 高槻市には、190以上の都市公園と360か所を超える児童遊園があり、都市公園の総面積は約164ha、市民一人あたりの公園面積は約4.6m2となっている(2005年度の一人当たりの全国平均公園面積は、9.01m2、大阪府平均は、4.97m2)。しかし、市民一人あたりの公園面積には自然公園や鎮守の森や社寺などの緑地は入っておらず、実際の緑地は数値よりも多く感じられる。
- 芥川公園 – 南芥川町 (1.0ha)
- 芥川緑地 – 南平台5丁目 (8.3ha)
- 上の池公園 – 阿武野2丁目 (2.7ha)
- 南平台中央公園 – 南平台5丁目 (1.2ha)
- 緑が丘公園 – 緑が丘2丁目 (1.9ha)
- 古曽部防災公園 – 古曽部町3丁目ほか (4.5ha)
- 清水池公園(計画) – 川西町三丁目 (2.2ha)
- 津之江公園(計画) – 津之江2丁目 (3.0ha)
レジャー[編集]
景勝地[編集]
高槻八景
- 昭和6年(1931年)に大高槻町が誕生したのを機に、「高槻保勝会」によって選定された。
- 上宮天満宮
- 芥川堤櫻
- 摂津耶馬渓
- 神峰山寺
- 北山本山寺
- 能因塚
- 八丁松原
- 淀川
原八景
- 明治26年(1893年)に神峰山寺の近藤住職が提唱した。
- 川原夕照(芥川)
- 浄圓暮鐘(浄圓寺)
- 横山秋月(横山天神社)
- 宮下落雁(雲谷川)
- 大森晴嵐(大森橋)
- 京坂帰牛(牛地蔵)
- 神峯夜雨(神峯山寺)
- 本山暮雪(本山寺)
富田十勝
- 富田の漢詩人、坂田十松が詠んだ風景「富田十勝詩」による。
- 天神山紅葉(昭和台町)
- 築山紅梅(教行寺)
- 柳川蛍火(柳川)
- 筒井池夕照(筒井池)
- 前野帰牧(柳川町・西町)
- 別院松籟(本照寺)
- 塔前桜花(慶瑞寺)
- 三輪清曉(三輪神社)
- 古墳鳴蛩(清蓮寺)
- 獅林暮鐘(普門寺)
旧跡[編集]
寺院・神社[編集]
古墳・遺跡[編集]
城跡・碑[編集]
祭り・イベント[編集]
- 本山寺・神峯山寺火渡り(1月上旬)
- えびす祭り〔野見神社〕(1月10日)
- 大どんど焼き〔東天川・檜尾川河川敷〕(1月15日)
- 安岡寺火渡り(2月1日)
- 天神祭〔上宮天満宮〕(2月25日 – 26日)
- 盆梅展〔高槻市役所〕(2月下旬)
- 鵜殿のヨシ原焼き(2月または3月)
- たかつき和太鼓フェスティバル〔高槻現代劇場〕(3月中旬)
- たかつき芸能フェスティバル〔高槻現代劇場〕(3月中旬)
- 春祭歩射神事:通称「大蛇祭」〔八阪神社〕(4月第1日曜日)
- 摂津峡さくら祭り(4月上旬)
- レンゲの里〔三島江〕(4月中旬)
- 高槻ジャズストリート〔JR/阪急高槻駅周辺〕(5月3日 – 4日)
- 神輿渡御神事:通称「馬祭」〔磐手杜神社〕(5月5日)
- 春季恒例祭〔三輪神社〕(5月5日)
- こいのぼりフェスタ〔芥川桜堤公園〕(5月上旬)
- みどりのカーニバル〔あくあぴあ芥川〕(5月上旬)
- 大園芸フェア〔植木団地〕(5月上旬)
- 市民フェスタ高槻まつり〔市民グランド〕(8月第1土日曜日)
- 富田まつり〔富田支所前広場〕(8月第2土曜日)
- 市美術展覧会〔高槻現代劇場〕(9月中旬)
- 食の文化祭「ジャズとグルメフェア」〔市民グランド〕(10月上旬)
- 東天川のだんじり祭り〔春日神社〕(10月9-10日)
- 秋季恒例祭〔三輪神社〕(10月10日)
- コスモスロード〔三島江〕(10月中旬)
- 菊花展〔高槻市役所〕(10月下旬-11月上旬)
- 大園芸フェア〔植木団地〕(10月下旬-11月上旬)
- 郡家ひまわりとコスモス鑑賞会(10月下旬-11月上旬)
- 高槻アート展覧会〔高槻センター街〕(11月1日)
- 農林業祭〔市民グランド〕(11月中旬)
- 勤請掛け〔神峰山寺、本山寺、安岡寺〕(12月下旬)
- カルタ会〔伊勢寺〕(12月20日)
スポーツイベント[編集]
- 高槻シティ国際ハーフマラソン(1月)
- 高槻クロスカントリーレース(3月)
- 市民スポーツ祭(10月)
- チャレンジ・ザ・ウォーク(10月)
文化財[編集]
国指定等文化財[編集]
- 国宝・重要文化財一覧
指定区分 | 種別 | 名称 | 所在地 | 所有者又は管理者 | 指定年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
国宝 | 考古資料 | 金銅石川年足墓誌 附:木櫃残欠(銅釘付)一括 | 月見町 | 個人(大阪歴史博物館に寄託) | 昭和27年(1952年)3月29日 | 墓誌は奈良時代の貴族、石川年足(いしかわのとしたり)のもの |
重要文化財 | 建造物 | 普門寺方丈 | 富田町 | 普門寺 | 昭和52年(1977年)1月28日 | 永禄期の建築で、襖絵は狩野安信、直原玉青 |
〃 | 彫刻 | 木造聖観音立像 2躯 | 原 | 神峯山寺 | 明治45年(1912年)2月8日 | 一木造りで平安時代中期と後期の作 |
〃 | 〃 | 木造阿弥陀如来坐像 | 原 | 〃 | 明治45年(1912年)2月8日 | 寄木造りで平安時代後期の作 |
〃 | 〃 | 木造聖観音立像 | 原 | 本山寺(奈良国立博物館に寄託) | 大正2年(1913年)4月14日 | 平安時代後期の作で堅木の一木造 |
〃 | 〃 | 木造毘沙門天立像 | 原 | 本山寺 | 大正2年(1913年)4月14日 | 平安時代後期の作、本山寺本尊。鞍馬山、信貴山とともに日本三毘沙門天の1つともいわれる |
〃 | 〃 | 木造千手観音坐像 | 浦堂本町 | 安岡寺 | 昭和49年(1974年)6月8日 | 10世紀後半の典型的な姿を示す四十二臂の千手観音坐像。木造寄木造 |
〃 | 〃 | 木造菩薩坐像 | 昭和台町 | 慶瑞寺 | 平成元年(1989年)6月12日 | 昭和61年(1986年)に発見。8 – 9世紀頃の作とされる |
〃 | 考古資料 | 安満宮山古墳出土品 | 南平台 | 文化庁(高槻市教育委員会保管) | 平成12年(2000年)6月27日 | 銅鏡5面、鉄製品9点、ガラス小玉一括 附:苧麻布片2点 |
種別 | 名称 | 所在地 | 所有者又は管理者 | 認定年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
工芸品 | 石造燈籠 | 天神町 | 上宮天満宮 | 昭和17年(1942年)5月30日 | 旧「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」による認定物件 |
種別 | 名称 | 所在地 | 所有者又は管理者 | 登録年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
建造物 | 大阪医科大学看護専門学校校舎(旧大阪高等医学専門学校別館) | 大学町 | 大阪医科大学 | 平成15年(2003年)7月17日 | ヴォ-リズ建築事務所の設計による医学専門学校の別館。鉄筋コンクリート造3階建 |
〃 | 長谷川家住宅主屋 | 東五百住町 | 個人 | 平成17年(2005年)8月17日 | 木造平屋建、瓦葺、建築面積136m2 |
〃 | 古畑家住宅 主屋他7棟 | 大字中畑 | 個人 | 平成20年(2008年)7月23日 | 江戸期に庄屋を務めた有力農家の屋敷。主屋、長屋門(馬上門)、離れや土蔵など合わせて8棟 |
種別 | 名称 | 所在地 | 所有者又は管理者 | 指定年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
史跡 | 今城塚古墳附新池埴輪製作遺跡 | 郡家新町・上土室 | 高槻市 | 昭和33年(1958年)2月18日 | 附(つけたり)の新池埴輪製作遺跡は平成3年(1991年)7月に追加指定 |
〃 | 嶋上郡衙跡附寺跡 | 清福寺町他 | 〃 | 昭和46年(1971年)5月27日 | 郡寺は飛鳥時代後期、7世紀に創建され、平安時代中頃まで続いたと考えられている |
〃 | 阿武山古墳 | 奈佐原 | 〃 | 昭和58年(1983年)8月30日 | 葬られた人物は、大織冠・中臣鎌足とする説が有力 |
〃 | 安満遺跡 | 八丁畷町 | 〃 | 平成5年(1993年)11月19日 | 弥生時代の環濠集落跡。集落は鎌倉時代まで続いたと考えられている |
〃 | 闘鶏山古墳 | 氷室町・上土室 | 〃 | 平成14年(2002年)12月19日 | 古墳時代前期(4世紀前半)の王墓 |
名勝 | 普門寺庭園 | 富田町 | 〃 | 昭和56年(1981年)8月28日 | 平成12年(2000年)12月13日、境内ほぼ全域が日本の名勝に追加指定(拝観可 志納金要) |
天然記念物 | 冨寿栄黒松 | 富田町 | 本照寺 | 昭和12年(1937年) | 推定樹齢が約700年『富寿栄の松』と呼ばれる。昭和46年(1971年)3月16日、枯死のため指定解除 |
大阪府指定文化財[編集]
有形文化財
- 建造物
- 彫刻
- 考古資料
- 教宗寺石槽
- 八阪神社石槽
- 石塚古墳四霊三瑞鏡
- 郡家今城遺跡出土石器196点 附 チップ・礫一括
民俗文化財
記念物
- 史跡
- 名勝
- 天然記念物
- 出灰素盞嗚神社のカツラ
高槻市指定文化財[編集]
有形文化財
- 建造物
- 旧笹井家住宅
- 清福寺太子堂
- 本照寺本堂
- 永井神社社殿 附 棟札4枚・高槻城絵馬1面
- 永井神社唐門
- 三輪神社社殿 附 棟札2枚・奉加帳序1巻
- 三輪神社絵馬所
- 三輪神社末社春日社 附 玉垣
- 本照寺山門 附 石橋
- 本照寺東門
- 工芸品
- 彫刻
- 木造大日如来坐像
- 木造不動明王立像
- 書跡・典籍
- 三好長慶水論裁決状(永禄弐年五月十九日)及び三好家奉行衆連判裁許井手絵図 2巻
- 芥川宿絵図
- 本山寺文書 2巻
- 葉間家文書 3巻
- 天川水帳2冊(高山帳)
- 富田村文禄検地帳 9冊
- 高槻村文禄検地帳 1冊
- 高槻村元和検地帳 1冊
- 富田村延宝検地帳 3冊
民俗文化財
- 有形民俗文化財
- 無形民俗文化財
記念物
- 史跡
- 下田部高札場
- 伝能因法師墳 附 文塚、不老水、花の井
大阪ミュージアム登録物[編集]
ベストセレクション
- みどり・自然部門 – 摂津峡
- 食・生活部門 – 原のどぶろく
- 祭り・イベント部門 – 高槻ジャズストリート
登録物一覧
- JT生命誌研究館
- こいのぼりフェスタ1000
- コスモスロード・れんげの里
- サッカーのまち高槻
- 鵜殿のヨシ原焼き
- 芥川
- 芥川緑地資料館(あくあぴあ芥川)
- 原のどぶろく
- 原地区の里地里山
- 原八景
- 高槻うどんギョーザ
- 高槻の寒天づくり
- 高槻まつり
- 高槻クロスカントリー大会
- 高槻シティ国際ハーフマラソン
- 高槻ジャズストリート
- 高槻市立しろあと歴史館
- 高槻城跡
- 高槻森林観光センター
- 高槻太鼓
- 今城焼
- 今城塚古墳
- 三箇牧トマト
- 新池ハニワ工場公園
- 西国街道・芥川宿
- 青龍三年の丘 安満宮山古墳
- 摂津峡
- 大阪医科大学歴史資料館
- 富田の酒造り
- 富田町のまちなみ
- 普門寺
- 服部シロウリ
- 八坂神社の春祭歩射神事
- 磐手杜神社の神輿渡御神事
- 淀川三十石船舟唄全国大会
- 大宅壮一顕彰碑
- アートdeわくわくストリート
- 三好達治記念館
- 玉川の里
- 高槻産しいたけ
- 梶原特産「たけの子」
高槻市出身の著名人[編集]
政治・行政[編集]
学者[編集]
芸術・文化[編集]
スポーツ[編集]
芸能[編集]
マスコミ関係[編集]
その他[編集]
ゆかりのある人物[編集]
古典[編集]
小説[編集]
楽曲[編集]
- 『青い山脈』(1949年 西條八十・作詞 服部良一・作曲) – 北摂山脈を見て曲想を得たという都市伝説があるが誤りである。[20]
注釈[編集]
出典[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 行政
- 地域情報
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