ウリノキ – Wikipedia

ウリノキ(瓜の木、学名:Alangium platanifolium (Siebold et Zucc.) Harms var. trilobatum (Miq.) Ohwi[1])は、ミズキ科ウリノキ属に分類される落葉小高木-低木[2]の1種[3]。和名は、葉の形態がウリに似ていることに由来する[4]。中国名は、八角楓[4]。 樹高は2-4 m[2]。幹はほぼ直立し、樹皮に裂け目はない[2]。葉は大型で互生し、長さ10-20 cmで浅く3-5裂し稀に不分裂、裂片の先は長く伸び、葉身基部は深く湾入する[2]。葉の質は薄く[3]、表面は軟毛が散在し、裏面は軟毛がやや多い[2]。葉柄は4-10 cm、葉柄が冬芽を包み込む葉柄内芽で、葉がある時は冬芽が見えない[2]。葉にフラボノイド化合物が含まれている[5]。葉の脇に集散花序で白色の花を数個吊り下げる[3]。蕾は細長い円柱形で長さ約3 cm[4]。花弁は長さ3-3.5 cmの線形で6個あり、強く反り返る[3]。葯は黄色で細長い[3]。花期は5-6月[3]。核果[4]は長さ7-8 mmの楕円球形で、熟すと藍色になる[3]。 分布と生育環境[編集] 中国の中部と東北部、朝鮮半島と日本の温帯から暖帯にかけて分布する[4]。 日本では、北海道、本州、四国、九州にやや普通に分布する[2]。

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出逢い (安全地帯の曲) – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “出逢い” 安全地帯の曲 – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2017年11月) 「出逢い」(であい)は、日本のロックバンドである安全地帯の24枚目のシングル。 2002年7月10日にSony Music Recordsからリリースされた。作詞は松井五郎および玉置浩二、作曲は玉置および安藤さと子、編曲は安全地帯および星勝、プロデューサーは星が担当している。 活動休止前にリリースされたシングル「ひとりぼっちのエール」(1993年)より9年5ヶ月振りの新曲となり、またバンド初のマキシシングルとなった。本作から26thシングル「雨のち晴れ」まではSony Music Recordsからの発売となっている。安全地帯の曲としては初となる玉置が他者と共作した曲であり、安藤が1997年頃に録音したデモテープを元に制作された。また作詞家の松井と玉置が久しぶりに邂逅した事から「出逢い」と名付けられた。 日本テレビ系テレビドラマ『火曜サスペンス劇場』(1981年 – 2005年)の主題歌として使用され[1][2]、オリコンチャートでは最高位20位となった。 アルバム『安全地帯VIII〜太陽』(1991年)リリース後、安全地帯はデビュー10周年を記念してコンサートツアー「10th

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山崎釼二 – Wikipedia

山崎釼二 山崎 釼二(やまざき けんじ、1902年9月19日[1] – 1958年1月31日[1][2])は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 目次 1 経歴 2 脚注 2.1 注釈 2.2 出典 3 参考文献 静岡県駿東郡御厨町(現:御殿場市)出身[1]。1915年御殿場実業学校卒[注 1][2]。卒業後は満洲に渡り、満鉄に入るが[1]、社会主義に関心を寄せ、満鉄を退職し、帰国した[1]。帰国後は東京帝国大学に聴講生として通い[1]、帰郷。以後、農民運動の指導者になる[1]。この間、看護婦の藤原道子と結婚した[3]。 その後、労働農民党、社会大衆党に入り[1][2]。沼津市議、静岡県議を経て[1][2]。1936年の第19回衆議院議員総選挙において静岡2区(当時)から社会大衆党で立候補して初当選する。翌年の第20回衆議院議員総選挙でも再選。1942年の第21回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。同年、日本占領中のインドネシアに渡り、州知事となる[1]。

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山下航平 – Wikipedia

この項目では、三段跳選手について記述しています。俳優の同名の人物については「山下航平 (俳優)」をご覧ください。 山下 航平(やました こうへい、1994年9月6日[2] – )は、福島県出身[2] の陸上競技選手。専門は三段跳で、自己ベストは日本歴代7位の16m85。2016年リオデジャネイロオリンピックの日本代表。スプリント力もあり、100mでは10秒51の自己ベストを持つ。ANAアスナビ採用社員アスリート[4]。父の山下訓史は三段跳の日本記録保持者。 中学時代まで[編集] 陸上競技は小学4年生の時に始めたが、その前は2年ほどスイミングスクールにも通っていた。小学6年生の時はハードルに取り組むも、当時は身長が低かったため中学生になるとハードルの高さに対応できなくなり、中学からは走幅跳に取り組んだ。福島大学附属中学校[2] 時代は県大会の7位が最高成績で、自己ベストは6m11だった。また、4×100mリレーでは県大会で3位に入っている[5]。 高校時代[編集] 福島県立橘高等学校[2] に進学後は、中学の時からやろうと決めていた三段跳に取り組むと、1年時にインターハイ福島県大会で優勝。2年時にはインターハイ、国民体育大会、日本ユース選手権と全国大会で入賞を経験し、自己ベストも前年の14m25から15m09まで引き上げた。3年時はインターハイこそ予選落ちに終わったが、国民体育大会では大会前の自己ベスト(15m09)を大幅に更新する15m50(-0.4)で優勝を飾り、初の全国タイトルを獲得した。また、父の高校時代の自己ベストを1cm上回った[5][6]。 大学時代[編集] 大学は父の母校でもある筑波大学[2](体育専門学群)に進学すると、1年目から関東インカレ三段跳で3位入賞を果たすも、高校時代からたまにあったという腰の痛みに悩まされ、その後は思うような結果を残せなかった。しかし、3年時の春に腰椎分離症と判明してからは、同じ症状を患っていた先輩からアドバイスを受けるなどしてトレーニングを積むと、5月の関東インカレ三段跳では日本選手権の参加標準記録A(15m90)に迫る15m74(+0.9)の自己ベスト(当時)をマーク。最終的に日本選手権出場は逃したものの、今シーズンは自己ベストを16m台(16m06)まで引き上げ、日本インカレ三段跳でも2位に入った[5]。 2016年5月、関東インカレの4×100mリレーで1走を務めて優勝に貢献し、インカレ初優勝を達成。専門種目の三段跳では、4回目の跳躍で大会前の自己ベスト(16m06)を更新する16m22(-1.2)をマークすると、最終跳躍の6回目には日本歴代6位・日本学生歴代3位(ともに当時)の16m85(-1.1)をマーク。2001年大会の渡邉容史と今大会の山本凌雅が作った16m67の大会記録を塗り替えるとともに、リオデジャネイロオリンピックの参加標準記録(16m85)を破っての優勝を成し遂げ、4×100mリレーとの大会2冠を達成した[7]。 同年6月、リオデジャネイロオリンピック日本代表の座を賭けて初の日本選手権三段跳に臨むと、1回目と2回目の跳躍は踏切線を超えてファウルに終わったが、後がなくなった3回目の跳躍では16m付近に着地。4回目以降の跳躍ができる上位8位以内に残ったかと思われたが、着地場所を離れる際に後方へ足を踏み出してしまうというルール違反を犯し、3回目の跳躍もファウルに終わり大会を終えた[8]。なお、1回目と2回目の時もファウルとはいえ、着地場所から不正に離れたので審判員は注意したが、本人の耳には届いていなかったという[9]。 同年7月、リオデジャネイロオリンピック日本代表に選出されるための最後のアピールの場となった南部記念三段跳では、悪天候の影響もあり16m18 (+2.1)と低調な記録に終わったものの、日本選手権チャンピオンの山本凌馬とリオデジャネイロオリンピック日本代表の長谷川大悟を抑えて優勝した。この結果、日本陸上競技連盟強化委員会の推薦でリオデジャネイロオリンピック日本代表に選出され、陸上競技では室伏親子(重信と広治&由佳)に次いで史上2組目の親子オリンピアンとなった[8]。初の国際大会となった8月のリオデジャネイロオリンピック三段跳では本来の実力を発揮できず、自己ベストにはほど遠い15m71(+0.3)で予選敗退に終わった。

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亜洲新湾区 – Wikipedia

亜洲新湾区(あしゅうしんわんく、繁体字中国語: 亞洲新灣區、英語: Asia New Bay Area[註 1])、またはアジア新湾区(アジアしんわんく)は台湾高雄市の高雄港北部(前鎮区を中心に一部苓雅区・鹽埕区を含む)の総合再開発地区。2000年代から計画、建設が進行中の「高雄多功能経済貿易園区」の核心エリアとして、5大社会インフラを整備する計画が進行している。 前鎮区(一部は苓雅区、鹽埕区)一帯のウォーターフロント再開発地区。2011年に高雄市長陳菊が提唱したもので、高雄市区(県市合併前の旧高雄市域)と高雄港の土地を従来の重工業地区からソフトパワー重視にシフトし、再生させるために総面積234ヘクタール[1]を市と中央政府が総投資額約300億ニュー台湾ドルを投じている[2][3]。 事業の拡大で高雄に国際的な視線を集め、国際都市として国内外の投資家を呼び込んでいる。中でも中国鋼鉄の総本部となった高層ビルは高雄港ベイエリアのスカイラインを一変させ[4]、高雄の新たなランドマークとなった[5]。 エリア内の建築は国際コンペティションでグリーンビルディングの概念を採用し、高雄の映像産業、デジタルコンテンツ、展示会、文創産業、港湾観光業と遊覧船事業の発展を推進している[6]。 高雄多功能経済貿易園区[編集] 多功能経貿園区(または多機能経貿園区)はベイエリア開発事業として2000年代から始動した鼓山区から鹽埕区、苓雅区、前鎮区にわたる総面積587ヘクタールの再開発エリア[7][8]。近年は後発の亜洲新湾区に包括されることが多い。 高雄ライトレール水岸線[編集] 初期計画でのLRT環状線路線図 台湾初のライトレール路線。駅でのキャパシタ充電方式を採用したため、駅間での無架線走行と景観配慮の両立を実現している。 初期計画では環状線はC8高雄展覧館駅からそのまま北上し、愛河を渡河するのはもっと北寄りの内陸部であり、別途水岸線を建設予定だったが、高雄経済貿易園区および新湾区計画推進により、旧高雄臨港線をフル活用したものに統合再編され、哈瑪星駅経由となった。 高雄展覧館[編集] 2014年開館の国際コンベンションセンター。1,500のブースが展開可能で、2,000人収容の大ホール1室、800人収容の中ホール2室、20-40人収容の小ホール10室、付帯マリーナを備えている。 屋外展示も可能。 海洋文化及流行音楽センター(建設中)[編集]

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市府転運站 – Wikipedia

市府転運站(しふてんうんたん、繁体字中国語: 市府轉運站、英語: Taipei City Hall Bus Staion)は台湾台北市信義区にある中長距離バスターミナルの名称。「市府」は「台北市政府」を意味し、バスの案内上は「市政府、台北市政府」と表記される場合もある。 台北市の都市再開発地区である「信義計画区(中国語版)」内、台北市政府大楼(中国語版)北側、 忠孝東路と基隆路の南東角にある敷地面積16,280平方メートル[1]の用地に統一企業およびその傘下の統一国際開発公司や統一超商(台湾セブンイレブン)、太子建設(中国語版)4社の子会社である「統一開発公司」が2004年の使用権獲得後50年間の開発・運営権を保有するBOT方式(英語版)で建設された。 地下5階、地上31階建て、総床面積144,178平方メートル[1]の超高層ビルの地上階にあるバスターミナルの他は統一時代百貨(元統一阪急百貨)とWホテル台北が進出している。バスターミナルは2010年8月5日に[3]、統一阪急は同年10月7日に[4]、Wホテル台北は2011年3月9日(プレオープンは3月4日)に開業した[5]。台北捷運市政府駅や誠品書店信義店などが入居する統一国際ビル(中国語版)、市政府大楼とは地下道で直結している。 構成[編集] 台北市政府観光伝播局旅遊服務中心(観光案内所) 悠遊卡台北旅客服務中心 一卡通台北旅客服務中心 Icash服務中心 セブンイレブン市政府店 他飲食店、トイレ、コインロッカー チケット売り場と一卡通客服中心(サービスセンター) 基隆路の北行き車線から一方通行の出入用レーンがループ状に内部に伸びている。北側と南側にホームがあり、中央(東側)はチケット売り場やIC乗車カードのカスタマーサービスがある。 北側の捷運駅への連絡口にはコンビニもあり、飲食店やトイレ、待合室は各所に配置されている。

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