小平重吉 – Wikipedia

小平重吉

小平 重吉(こだいら じゅうきち、1886年9月10日 – 1960年4月3日)は、栃木県出身の日本の政治家、実業家。

来歴・人物[編集]

1886年(明治19年)9月10日、栃木県下都賀郡石橋町(現下野市)に生まれる。宇都宮農学校卒業、明治大学予科を中退。1927年(昭和2年)の栃木県会議員選に立候補し当選し3期務める。1930年からは6年間は石橋町長も兼任した[1]

1937年(昭和12年)には第20回衆議院議員総選挙に立候補し当選。1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙(翼賛選挙)では落選した。1947年(昭和22年)4月に初代公選栃木県知事に当選[2]。健康上の理由で2期目任期途中の1955年(昭和30年)2月に辞任した。1960年(昭和35年)4月3日死去。享年73。

実業家として、1919年に石橋自動車商会設立、1923年には関東自動車の設立に関わり、1939年に「小平重工業」(のち小平産業)を設立。栃木貨物自動車や栃木合同タクシーなども設立した[1]

加藤武男(元三菱銀行頭取)と共に、日光カンツリー倶楽部の基を築き、毎年春には小平杯が行われている。

栃木県総合運動公園内の第2陸上競技場南側に、小平の銅像がある。

長男の小平久雄は衆議院議員となり、総理府総務長官、労働大臣、衆議院副議長等を歴任した。

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関連項目[編集]

  • 栃木県
  • 栃木県知事一覧
公職
先代:
新設
Flag of Tochigi.svg 栃木県知事
民選第初-2代:1947年 – 1955年
次代:
小川喜一