稲田堤 – Wikipedia
稲田堤(いなだづつみ)は、神奈川県川崎市多摩区のJR東日本南武線稲田堤駅、京王電鉄相模原線京王稲田堤駅周辺を指す地域名。登戸や向ヶ丘遊園とともに多摩区を代表する街である。ひばりヶ丘、東小金井、飛田給とともに東京駅から約25km、新宿から約18kmに位置する。
町名としては同駅が所在する菅稲田堤(すげいなだづつみ)一 – 三丁目がある。
同地一帯は元旧橘樹郡稲田村大字菅(すげ)であった。1898年(明治31年)、日清戦争戦勝記念として、稲田村が多摩川右岸堤防に桜を植えて評判となり、桜の名所として稲田堤の呼び名が生じた。1927年(昭和2年)に2021年現在の稲田堤駅である南武鉄道線稲田堤停留場が開業して地域名として定着した。
稲田村は稲田町を経て1938年(昭和13年)に川崎市と合併した。同地域周辺は大字菅のままであったが、1984年(昭和59年)、住居表示実施により菅から分離し独立し、稲田堤駅を一丁目1-1として菅稲田堤の町名が誕生した。1971年(昭和46年)に開業した京王電鉄相模原線京王稲田堤駅は旧来の大字名を継承した菅四丁目1-1とされた。
- 旧橘樹郡稲田村大字菅の区域に含まれる現行町名は次のとおり。
- 菅一 – 六丁目
- 菅稲田堤一 – 三丁目
- 菅北浦一 – 五丁目
- 菅野戸呂
- 菅仙谷一 – 四丁目
- 菅馬場一 – 四丁目
- 菅城下
- 寺尾台:1970年(昭和45年)に、区画整理により生田の一部を併せて分離された。
- ※ 「稲田堤」地域として地元で認知される範囲は菅、菅稲田堤、菅北浦、菅野戸呂を中心とし、寺尾台をはじめ菅馬場などは最寄り駅を小田急小田原線読売ランド前駅とする生田地域として認知される。
- 1931年(昭和6年)にレコード化された歌謡曲『丘を越えて』の曲は、古賀政男が稲田堤の桜見物に来たことをきっかけに生まれたもので、同名の菓子も存在する[1]。
- 多摩川梨とも呼ばれる長十郎種のナシと、のらぼう菜と呼ばれるセイヨウアブラナの産地である。
- 菅仙谷には多摩丘陵の南山から続く里山が残っている。
地価[編集]
住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば、菅稲田堤三丁目5-35の地点で22万9000円/m2となっている。[2]
主な店舗[編集]
神社・仏閣[編集]
菅地区は古い寺社が多数ある。
- 寿福寺
- 薬師堂(9月の第2日曜日の「菅の獅子舞」は、神奈川県無形民俗文化財に指定されている)
- 子之神社
- 八雲神社
- 玉林寺
- 菅の六地蔵
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- 南武線 :稲田堤駅
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- 相模原線 : 京王稲田堤駅
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関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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