山の宿 – Wikipedia

山の宿』(やまのやど)は日本ルーテル・アワーの企画・製作でNET(現:テレビ朝日)他にて放送されたテレビドラマ。モノクロ作品。正式タイトルはテレビ・ルーテル・アワー「山の宿」である。
また、本項ではラジオ番組「ルーテル・アワー『この人を見よ』」にて放送されたラジオドラマ版についても記述する。

ラジオ番組「ルーテル・アワー『この人を見よ』」(1965年10月24日放送、第187(729[1])回、TBSラジオほか)にて放送された同名のラジオドラマをテレビドラマ化したもので、ルーテル・アワー初のテレビドラマであった。
なお、ラジオでの放送伝道が中心であった日本ルーテル・アワーは1957年12月24日(25日)にクリスマスイブ礼拝の生中継を日本テレビで放送しているが[2]、本格的なテレビによる放送伝道を開始したのは1965年のクリスマスに放送されたフィルム構成のドキュメント番組「クリスマスは生きている」(NETほか14局ネット)からで翌年(1967年)には同スタッフによるテレビドラマ第2作目「愛と憎しみの間」[3](カラー作品。NET、東京12チャンネルほか8局ネット)、ドキュメント番組「ある異人の100年」(カラー作品。関西テレビとの共同製作。フジテレビほか13局ネット)を製作・放送した。

あらすじ[編集]

750万円の不渡り手形を摑まされた高田は自殺を考え、銀山温泉にやって来る。宿で大量の睡眠薬を飲もうとした時、視覚障害のあんま師・恵子が訪れ、彼女の口からある出来事を話し出すー。
40年前、この宿である「小関屋」の番頭・小関右衛門は温泉街の半分を焼く大火事の「主犯」と根拠もない汚名を着せられたことで、住民から迫害を受け村八分にされる。
そんな絶望の中、遠縁者でキリスト教伝道師の松本安太郎が置いて行った聖書によって右衛門の妻・せつは希望の光を見出す。一方で追い詰められた右衛門は事の元凶である隣家の住谷を滝壺に呼び出して殺し、自分も死ぬと決意し、「この世に神も仏もあるものか!!」と家を飛び出すのだった…

出演(括弧内はラジオ版での出演者)[編集]

※『キリスト新聞』1966年12月25日号および撮影用台本参照。

スタッフ[編集]

ネット局[編集]

  1. ^ 「ルーテルアワー」(1951年10月28日放送開始)からカウントした回数
  2. ^ 「キリスト新聞」昭和32年12月24日付広告欄参照。
  3. ^ 企画段階でのタイトルは『鬼婆』であった。
  4. ^ ラジオ版では小関右衛門とは血縁のない「野菜売り」である。
  5. ^ 『朝日新聞』1966年12月20日付テレビ欄。
  6. ^ 『朝日新聞』1966年12月22日付テレビ欄。
  7. ^ 『福島民報』1966年12月24日付テレビ欄。
  8. ^ 『静岡新聞』1966年12月23日付テレビ欄。
  9. ^ 『静岡新聞』1966年12月24日付テレビ欄。
  10. ^ 『静岡新聞』1968年12月25日付テレビ欄。