スペンサー伯爵 – Wikipedia

スペンサー伯爵 (スペンサーはくしゃく、英語: Earl Spencer)は、イギリスの伯爵位。グレートブリテン貴族。
1765年にスペンサー家の分流でホイッグ党所属庶民院議員のジョン・スペンサーがオールトラップ子爵 (Viscount Althorp) [注釈 1]位とともに授爵されたのにはじまる。伯爵家の法定推定相続人は、儀礼称号として従属爵位の一つオールトラップ子爵を名乗る。2017年現在のスペンサー伯爵は第9代スペンサー伯爵チャールズ・スペンサーである。

1822年のオルソープ・ハウス邸内を描いた絵画

初代スペンサー伯に叙されるジョン・スペンサー(1734-1783)は、第3代サンダーランド伯チャールズ・スペンサー(1675–1722)の三男ジョン・スペンサー英語版(1708–1746)の息子であり、ホイッグ党所属の庶民院議員を務めていたが、1761年4月3日にグレートブリテン貴族爵位「オールトラップのスペンサー子爵(Viscount Spencer of Althorp)」及び「オールトラップのスペンサー男爵(Baron Spencer of Althorp)」に叙せられて、貴族院議員に転じ、さらに1765年11月1日にグレートブリテン貴族「スペンサー伯爵(Earl Spencer)」及び「オールトラップ子爵(Viscount Althorp)」に叙せられた[1]。これがスペンサー伯爵家の創始だった。

初代伯爵は政界において庶民院・貴族院議員以上の存在にはならなかったが、その長男である2代伯爵ジョージ(1758-1834)は王璽尚書や海軍大臣英語版、内務大臣などの閣僚職を歴任した。党派は父同様ホイッグ党であったが、トーリー党政権の小ピット内閣にも海相として入閣しており、ネルソン提督を抜擢したのは彼であった[2]

その長男である3代伯爵ジョン(1782-1845)は、襲爵前に庶民院ホイッグ党の幹部として活躍し、1830年から1834年のホイッグ党政権下で庶民院院内総務や大蔵大臣を務め、第一次選挙法改正の実現に貢献した[3]

3代伯爵の弟である4代伯爵フレデリック(1798-1857)は主に海軍軍人として活躍した[4]

4代伯爵の長男である5代伯爵ジョン(1835-1910)は自由党の政治家としてアイルランド総督や枢密院議長や海軍大臣などの閣僚職を歴任した。第3次グラッドストン内閣においてアイルランド自治法案を支持した数少ないホイッグ貴族の一人であった[3]

政界の中枢として活躍した当主は5代伯爵が最後であり、20世紀以降の当主は廷臣や軍人になったり、地主業に専念する例が増えていく[3]。5代伯爵の弟である6代伯爵チャールズ(1857-1922)副宮内長官英語版宮内長官英語版を務めた[5]。彼はスペンサー伯爵位を襲爵する前の1905年12月19日に連合王国貴族爵位「ノーサンプトンシャーのグレート・ブリントンのオールトラップ子爵(Viscount Althorp, of Great Brington in the County of Northampton)」に叙されており[6]、以降この爵位もスペンサー伯爵位の従属爵位に加わった。

その長男である7代伯爵アルバート(1892-1975)は43年にわたって国防義勇軍の軍人として活躍した[7]。彼は自分の屋敷への思い入れが強く、邸宅に飾られている全ての絵画や家具の由来を説明できたので「館長伯爵」と呼ばれていたという[8]

その長男である8代伯爵エドワード(1924-1992)も若い頃、陸軍軍人だった[9]。また王室に侍従として仕えた[10]。彼の三女であるダイアナ(1961-1997)はチャールズ皇太子に嫁いだことで知られる。

2017年現在の当主は8代伯爵の次男(長男は早世)でダイアナ妃の弟にあたる第9代スペンサー伯爵チャールズ・スペンサー(1964-)である[11][12]

伯爵家の本宅は、ノーサンプトンシャーのオルソープ(ノーサンプトンの北西8キロ)にあるオルソープ・ハウスである。同屋敷は1508年に建築されたが、摂政皇太子ジョージの時代に建築家ヘンリー・ホランドによる改築で現在の姿となった。伯爵家はその屋敷を中心にノーサンプトンシャーに1万3000エーカーもの土地を所有する大地主である[13]。ノーフォークのノース・クリーク村も伯爵家が所有する。

8代伯爵の代からオルソープの屋敷の維持費の捻出に苦しむようになり、屋敷内に飾られていた様々な美術品の売却を行うようになった。こうした傾向は現在の9代伯爵の代も続いている[14]

伯爵家のロンドンの邸宅スペンサー・ハウスも維持困難になったため、1985年から96年契約で第4代ロスチャイルド男爵ジェイコブ・ロスチャイルドの経営するRIT・キャピタル・パートナーズ英語版に賃貸している。ロスチャイルド卿は2000万ポンドもの巨費を投じてその内装を18世紀の状態に復元した[15]。この修復作業はダイアナ妃からも高く評価された[16]

現当主の全保有爵位[編集]

現当主である第9代スペンサー伯爵チャールズ・スペンサーは以下の爵位を保有している[11][12]

  • 第9代スペンサー伯爵 (9th Earl Spencer)
    (1765年11月1日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • ノーサンプトン州におけるオールトラップの第9代スペンサー子爵 (9th Viscount Spencer, of Althorp in the County of Northampton)
    (1761年4月3日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • ノーサンプトン州におけるオールトラップの第9代オールトラップ子爵 (9th Viscount Althorp, of Althorp in the County of Northampton)
    (1765年11月3日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • ノーサンプトン州におけるグレート・ブリントンの第4代オールトラップ子爵 (4th Viscount Althorp, of Great Brington in the County of Northampton)
    (1905年12月19日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • ノーサンプトン州におけるオールトラップのオールトラップの第9代スペンサー男爵 (9th Baron Spencer of Althorp, of Althorp in the County of Northampton)
    (1761年4月3日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)

スペンサー子爵(1761年)[編集]

スペンサー伯爵(1765年)[編集]

法定推定相続人は、第9代スペンサー伯の長男、オールトラップ子爵ルイス・フレデリック・ジョン・スペンサー英語版(1994年 – )である。

スペンサー伯爵スペンサー家系図

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ Lundy, Darryl. “John Spencer, 1st Earl Spencer” (英語). thepeerage.com. 2014年12月3日閲覧。
  2. ^ 海保(1999) p.21-22
  3. ^ a b c 海保(1999) p.22
  4. ^ Lundy, Darryl. “Vice-Admiral Frederick Spencer, 4th Earl Spencer” (英語). thepeerage.com. 2014年12月3日閲覧。
  5. ^ Lundy, Darryl. “Charles Robert Spencer, 6th Earl Spencer” (英語). thepeerage.com. 2014年12月3日閲覧。
  6. ^ “No. 27868”. The London Gazette (英語). 29 December 1905. p. 9319.
  7. ^ Albert Edward John Seventh Earl Spencer” (英語). Spencer of Althorp. 2014年12月3日閲覧。
  8. ^ モートン(1992) p.41
  9. ^ 海保(1999) p.23
  10. ^ Lundy, Darryl. “Edward John Spencer, 8th Earl Spencer” (英語). thepeerage.com. 2014年12月3日閲覧。
  11. ^ a b Heraldic Media Limited. “Spencer, Earl (GB, 1765)” (英語). Cracroft’s Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年2月21日閲覧。
  12. ^ a b Lundy, Darryl. “Charles Edward Maurice Spencer, 9th Earl Spencer” (英語). thepeerage.com. 2013年12月1日閲覧。
  13. ^ キャンベル(1998) p.14
  14. ^ キャンベル(1998) p.50
  15. ^ 横山(1995) p.23
  16. ^ モートン(1992) p.291

参考文献[編集]

関連項目[編集]