内山勝 (ロボット研究者) – Wikipedia

内山 勝(うちやま まさる、1949年〈昭和 24年〉9月16日 – )は、日本のロボット研究者。東京大学工学博士、東北大学名誉教授。いち早くロボットの学習制御や動的な制御に取り組み、6軸力センサやパラレルロボット「HEXA」、宇宙ロボットのハイブリッドシミュレータも開発。ETS-VIIの宇宙遠隔操作実験にも参画し、石渡治の漫画『パスポート・ブルー』に登場した東北大学内村研究室のモデルにもなった[要出典][注釈 2]。フレキシブルアームの制御やヒューマノイド、カーロボティクスの研究も手掛け、宇宙科学研究所教授(併任)や東北大学大学院理工学研究科長も歴任した。

生い立ち[編集]

1949年(昭和24年)に福岡県で生まれる。実家のラムネ[要曖昧さ回避]屋にあった様々な機械に影響されるとともに、工作や写真を趣味としていた。工作ではホバークラフトを作ることもあり、写真では現像もしていた。高校時代は理科や数学が好きで、当時から研究者を目指していた。東京大学に進学し、進路は機械工学と化学で迷ったが、ものづくりを優先して工学部産業機械工学科に進む。

東京大学藤井研究室時代[編集]

1972年3月に学部を卒業し、4月から同大学大学院工学系研究科修士課程に進学。東京大学では藤井澄二や吉本堅一のもとで動的なロボット動作の研究に取り組み、ロボットによる釘打ちを実現[5][6]。制御モード切り替えにより、従来とは異なる方法でクランク回しも実現した[6]。1974年3月に修士課程を修了[4]

藤井研究室設計、トキコ製作による6自由度ロボットアーム「D-HAND」[注釈 3]を使用し[5]、繰り返し試行によるロボットの学習制御を初めて実現した[5][16][17]。さらにカメラと画像処理も備え、転がってきたボールを拾ったり、ボールを投げる動作も行えた。バックドライバビリティを持たせた関節の制御や、特異点に対する対処も検討した[5]。1977年3月に博士課程を修了[4]。学位取得後に掲載された3編の論文は日本機械学会の論文賞を受賞した[注釈 4]

東北大学助教授時代[編集]

1977年5月、内山は東北大学工学部精密工学科の助手に着任[4]。同年10月には助教授となる[4]。ロボットの研究を続けつつ、箱守京次郎のもとで流体計測の研究にも取り組む。1982年から翌年までニューカッスル・アポン・タイン大学機械工学科客員研究員。1983年には日本ロボット学会が設立され、内山も貢献した[33]。日立製作所の組み立てロボットに「A-HAND」[注釈 5]と名付け、ヤコビ行列式による機構特性評価とその制御への応用に取り組んだ。実験システム全体は「ARS/A」と呼ばれ、ヤコビ行列式のカラーモニター表示も行った。

1986年から1987年まではカリフォルニア大学サンタバーバラ校機械環境工学科の客員教授。当時金山裕や中村仁彦[36]、遠山茂樹[37]がおり、金山や中村とはロボットコントローラの勉強会を設けた[36]。東北大学では6軸力覚センサの研究にも取り組んでおり、特異値分解で構造評価を行う手法を確立[19]。宇宙ロボットを意識したフレキシブルマニピュレータの研究にも取り組み、可補償性を提案する[19]。3次元で動作するフレキシブルマニピュレータ「FLEBOT II」や双腕フレキシブルロボット「ADAM」[注釈 6]も開発した[40]

東北大学教授時代[編集]

1992年4月、東北大学工学部機械航空工学科の教授に昇進[4]。1997年4月には同大学院工学研究科 航空宇宙工学専攻(スペーステクノロジー講座 宇宙機械学分野[3])に配置換え。宇宙ロボットの研究に取り組み、豊田工機と共同でパラレルロボット「HEXA」も開発[44]。遠隔操作も研究し、ハイブリッドシミュレータにも取り組む。1999年から2002年の間には宇宙科学研究所(宇宙探査工学研究系)の教授も併任し、1999年にはETS-VIIの遠隔操作実験を実施した。

ヒューマノイドロボットの研究開発にも取り組み、「才賀」シリーズを制作するとともに、弾性関節機構や自重補償脚機構などの要素開発も行った。また、2005年の愛地球博ではHRP-2を用いた太鼓敲きを実現した。2009年4月からは東北大学大学院工学研究科長を務め[4]、2011年には大学院工学研究科 機械システムデザイン工学専攻 教授(知的デザイン学講座 知能機械デザイン学分野)に配置換え[4][47])。2015年3月で東北大学を定年退職[47]。同年4月から公益財団法人みやぎ産業振興機構テクニカルアドバイザー(産学連携推進型)に就任[48]。東北大学名誉教授[49]

内山はロボット研究に取り組む上で「人間の動作を機械で実現することに対する興味」が基本にあったと語り[50]、ロボットにさせたい作業をどのようにして実現するか、という研究スタンスをとっていた[51]。また、ロボット研究の醍醐味として、要素を組み上げていってできあがったロボットが整然と動いたときの感動や、その動いたロボットを一人で全て組み上げられる満足感を挙げている。

学生が装置を壊した際には、小言を言ったとしても決して怒らないようにしていたという。これは「学生が実験室で機械を壊しても絶対に怒ってはいけない。なぜなら、怒られるのがいやで、失敗を隠すようになる。隠されたらすべての実験が駄目になるから、どんなダメージに関しても、絶対に怒ってはいけない」という恩師の言葉に影響を受けたためという[52]

なお、東北大学の内山・近野研究室では忘年会などに加えて、春は仙台市の西公園や榴岡公園で花見をしていた。また、新歓は広瀬川河原でバーベキューをし、秋にも河原で芋煮会をしていたという[53]

社会的活動[編集]

ほか、米国航空宇宙学会、日本工学アカデミー、日本工学教育協会、自動車技術会、システム制御情報学会、人工知能学会、日本航空宇宙学会、精密工学会、日本IFToMM会議などの会員。

学位論文[編集]

主な著書[編集]

学会誌など記事[編集]

(解説)

(展望)

(研究紹介)

主な受賞[編集]

事例紹介[編集]

特許[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]

先代:
広瀬茂男
日本機械学会ロボティクス・メカトロニクス部門長
2000年 – 2001年
次代:
水川真