橋本実斐 – Wikipedia

橋本実斐

橋本 実斐(實斐、はしもと さねあや、1891年(明治24年)3月5日[1] – 1976年(昭和51年)10月9日[1][2])は、大正から昭和期の農商務官僚、政治家、華族。貴族院伯爵議員。

伯爵・橋本実頴の長男として生まれる[1][3]。父の隠居に伴い1929年(昭和4年)8月15日、伯爵を襲爵した[1][4]

学習院高等科を経て、1917年(大正6年)7月、京都帝国大学法科大学政治学科を卒業し、さらに同法律学科(仏法)で学んだ[2][3][5]。1920年(大正9年)11月、高等試験行政科試験に合格[5]。同年、農商務省に入省し工務局属に任官[5]

以後、特許局事務官、同抗告審判官、農林事務官兼産業組合事務官、兼内閣総理大臣秘書官などを歴任し、1931年(昭和6年)に退官した[2][3][5]

1931年11月21日、貴族院伯爵議員補欠選挙で当選し[6][7]、研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。この間、岡田内閣・内務参与官、鈴木貫太郎内閣・文部政務次官、西園寺公葬儀司祭長、中央失業対策委員会委員などを務めた[2][3]

その後は、神奈川県大磯町長を務めた。1955年(昭和30年)フランス政府から日・仏文化の交流に貢献したとしてレジオンドヌール勲章を受章。1976年10月9日、心臓衰弱のため神奈川県藤沢市の自宅にて死去。85歳[8]

  • 母 橋本敬子(六条有容長女)[1][3]
  • 妻 橋本正子(なおこ、清水谷実英二女)[1]
  1. ^ a b c d e f 『平成新修旧華族家系大成 下巻』357-358頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 – 貴族院・参議院議員名鑑』28頁。
  3. ^ a b c d e 『人事興信録 第14版 下』ハ25頁。
  4. ^ 『官報』第790号、昭和4年8月16日。
  5. ^ a b c d 『日本官僚制総合事典:1868 – 2000』228頁。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、39頁。
  7. ^ 『官報』第1471号、昭和6年11月24日。
  8. ^ 訃報欄 橋本実斐(はしもと・さねあや=日仏会館常務理事)『朝日新聞』1976年(昭和51年)10月10日朝刊、13版、23面

参考文献[編集]

  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 – 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 – 2000』東京大学出版会、2001年。
日本の爵位
先代:
橋本実頴
伯爵
(羽林家)橋本家第3代
1929年 – 1947年
次代:
(華族制度廃止)