金子有卿 – Wikipedia

金子有卿

金子 有卿(かねこ ありのり、1846年1月18日(弘化2年12月21日[1])- 1923年(大正12年)1月16日[1][2])は、日本の政治家、神職、華族。貴族院男爵議員。有郷と表記される場合がある[3]

石見国安濃郡川合村(現島根県大田市川合町川合)で物部神社社家・金子有久の二男として生まれる[1][3][注 1]。元治元年7月7日(1864年8月8日)父の隠居に伴い家督を相続し第47代石見国造となる[1][3]。1875年(明治8年)9月、華族に列せられ、1884年(明治17年)7月8日、男爵を叙爵した[1][4][5]

明治4年(1871年)物部神社権宮司に就任し、権大講義、大教正、神道大社教副管長などを歴任[2][3]。明治元年(1868年)から川合国漢塾を設け神道教育と共に国漢教育を行い、また、皇典講究所委員にも就任した[2][3]。雅楽管弦、歌道に精通し、御歌所講頌、御歌会参候も務めた[3]

1890年(明治23年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され、1911年(明治44年)7月9日まで3期在任した[2]

  • 『年中拝辞略』西橋忠昭、1885年。
  • 福羽美静答、金子有卿 問、野村伝四郎編『礼節問答』八屋書店、1894年。
  • 妻:金子瀧子(綾小路俊賢二女)[1][4]
  • 長男:金子有道(歌人・貴族院男爵議員)[1]

注釈[編集]

  1. ^ もしくは五男とも[4]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g 霞会館 1996, p. 443–444.
  2. ^ a b c d 衆議院 & 参議院 1990, p. 68.
  3. ^ a b c d e f 神社新報社 1986, p. 103.
  4. ^ a b c 人事興信所 1921, p. か116.
  5. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。

参考文献[編集]

  • 人事興信所編 『人事興信録』(6版) 人事興信所、1921年。 
  • 神社新報社編 『神道人名辞典』 神社新報社、1986年。 
  • 衆議院; 参議院編 『議会制度百年史 – 貴族院・参議院議員名鑑』 大蔵省印刷局、1990年。 
  • 霞会館編 『平成新修旧華族家系大成』《上巻》 吉川弘文館、1996年。 
日本の爵位
先代:
叙爵
男爵
(物部神社社家)金子家初代
1884年 – 1920年
次代:
金子有道