久保一色村 – Wikipedia

くぼいしきむら
久保一色村
廃止日 1906年7月16日
廃止理由 合併
現在の自治体 小牧市
廃止時点のデータ
日本
地方 中部地方、東海地方
都道府県 愛知県
東春日井郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 丹羽郡楽田村、東春日井郡味岡村・岩崎村
久保一色村役場
所在地 愛知県東春日井郡久保一色村
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久保一色村(くぼいしきむら)は、愛知県東春日井郡にかつてあった村である。現在の小牧市の北部(久保一色など)に該当する。

1906年(明治39年)7月16日に、岩崎村と共に味岡村に吸収合併されて廃止となった。

合瀬川中流域に位置し、地内を新木津用水が流れる。他、薬師川、後川、佐久間川が流れる。

中世[編集]

戦国期に見える村名。尾張国春日部郡(春日井郡)のうち。天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いで楽田を本陣とする羽柴秀吉が陣営をめぐらした地域の1つに「久保一色村」があった。

近世[編集]

江戸期〜明治22年(1889年)の村名。春日井郡のうち。尾張藩領。小牧代官所支配。明治13年(1880年)東春日井郡に所属。同22年市制町村制施行による久保一色村となる。

近代[編集]

明治22〜39年(1906年)の東春日井郡の自治体名。大字は編成せず。明治24年(1891年)の戸数251、男556・女525。同39年味岡村久保一色となる。

明治39年〜現在の大字名。はじめ味岡村、昭和30年(1955年)からは小牧市の大字。昭和6年(1931年)名岐鉄道によるガソリンカーが開通し、久保一色駅(現田県神社前駅)が置かれる。その後、現在の愛知県道102号名古屋犬山線(かつての上街道 (木曽街道)で、旧国道41号線)の改良が進み、東部丘陵地に田県西・田県東・久保山などの団地が戦後造成されて人口が急増した。一部が、昭和54年(1979年)田県町・久保本町・久保新町、同61年(1986年)久保一色東1〜2丁目・葭原、同62年(1987年)久保一色南1〜2丁目、平成30年(2018年)久保となる。

村高・役所・その他[編集]

村高は、「寛文郷帳」1,154石余、「天保郷帳」1,191石余、「旧高旧領」1,482石余。「寛文覚書」によれば、概高1,343石余、田76町余・畑14町余、ほかに概高6石余の新田2ヶ所、見取新田畑2反余、家数79・人数538、馬36、村内の入鹿井筋・木津井筋の堤は1,315間。善師野街道(上街道 (木曽街道))920間に道路修理人足を出す。また善師野宿の助郷村。なお「寛文覚書」には、久保一色入鹿新田が当村の中に書き上げられ、高95石余、田9町余・畑2町余、家数7・人数34、馬4とある。「徇行記」によれば、給知1,268石余で岩間紋兵衛ら給人18、蔵入地81石余、久保一色入鹿新田は入鹿郷新田となっているほか、享保11年縄入の新田高11石余・田畑1町余、文化3年縄入の新田高25石余・田畑3町余があり、家数148・人数641、馬17。村内に水役所があり、新木津用水・古木津用水・入鹿用水の管理をしていた。

神社は、熊野権現・白山・神明・県(徇行記では廃社かとある)。しかし、県社(田県神社)は県の宮とも称し、今では奇祭の神社として知られる。

寺院は、臨済宗真福寺・曹洞宗久保寺、ほかに庚申堂・地蔵堂があった。

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参考文献[編集]

  • 角川日本地名大辞典23 愛知県
  • 小牧陣所之者之咄伝之覚/大日料11‐6
  • 寛文郷帳
  • 寛文覚書
  • 徇行記
  • 天保郷帳
  • 旧高旧領
  • 『味岡村勢要覧』(味岡村役場、1935年4月)
  • 『小牧市史』小牧市史編集委員会/編(小牧市、1977年3月)

参考ページ[編集]