玉縄 – Wikipedia

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玉縄

町丁
栄光学園中学校・高等学校

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栄光学園中学校・高等学校

玉縄の位置(神奈川県内)

玉縄

玉縄

玉縄の位置

北緯35度21分16.87秒 東経139度31分26.34秒 / 北緯35.3546861度 東経139.5239833度 / 35.3546861; 139.5239833

日本の旗 日本
都道府県 Flag of Kanagawa Prefecture.svg 神奈川県
市町村 Flag of Kamakura, Kanagawa.svg 鎌倉市
地域 玉縄地域
面積

[1]
 • 合計 0.67 km2
人口

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(2018年(平成30年)1月1日現在)[2]
 • 合計 5,382人
 • 密度 8,000人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
247-0071[3]
市外局番 0467 (藤沢MA)[4]
ナンバープレート 横浜

玉縄(たまなわ)は神奈川県鎌倉市玉縄地域、および同地域に含まれる地名。現行行政地名は玉縄一丁目から玉縄五丁目。住居表示未実施区域[5]

地理・歴史[編集]

地名の由来は不詳である。天養2年(1145年)2月3日の官宣旨案に大庭御厨の四至として「東玉縄御庄堺俣野川」とあり、平安時代末期に同名の荘園があったと確認されている。玉縄荘の位置は、現在の片瀬川を境にして大庭御厨の東側、現在の玉縄付近を中心とした地域と考えられている。

応永3年(1396年)に小山若犬丸の乱に際し、相州玉縄の住人である瀬河兵衛宗泰という人物が活躍した(『鎌倉公方九代記』)。

永正9年(1512年)、北条早雲により現在の城廻に玉縄城が築城される。当初は三浦半島の三浦氏を攻略するために建築されたが、堅牢な城であり、永正15年(1518年)の上杉朝興、大永6年(1526年)の里見実堯、永禄4年(1561年)の上杉謙信の攻撃を撃退している。天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐で徳川家康軍に包囲され、籠城の末に開城した。

江戸時代には玉縄藩として本多正信が領主となり、その後大河内松平家が領有し、玉縄城跡の麓に玉縄陣屋が置かれるが、3代目の正久の時に上総国大多喜藩へ転封となり、天領とされ玉縄陣屋は廃城となった[6][7]

明治22年(1889年)4月の町村制施行により、玉縄村が誕生(現玉縄地域に当たる)。昭和8年(1933年)4月2日、大船町へ編入され、昭和23年に鎌倉市へ編入された。

昭和60年(1985年)の住居表示により、それまで岡本、関谷、城廻のそれぞれ一部分であった地域が、玉縄一-五丁目となった(玉縄城は含まれない)。

世帯数と人口[編集]

2018年(平成30年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

丁目 世帯数 人口
玉縄一丁目 614世帯 1,352人
玉縄二丁目 697世帯 1,685人
玉縄三丁目 239世帯 586人
玉縄四丁目 223世帯 652人
玉縄五丁目 437世帯 1,107人
2,210世帯 5,382人

小・中学校の学区[編集]

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[8][9]

丁目 番地 小学校 中学校
玉縄一丁目 全域 鎌倉市立玉縄小学校 鎌倉市立玉縄中学校
玉縄二丁目 1~8、9-1~5
9-17~19・-48~64
457-1~30、460-1~636
9-6~16・-21
9-23~28・-30・-36
9-39~47、10~27
31-8~9、37-1・-12~14
38-1・-5~11
鎌倉市立関谷小学校
玉縄三丁目 全域 鎌倉市立玉縄小学校
玉縄四丁目 全域 鎌倉市立関谷小学校
玉縄五丁目 全域

寺社・旧跡[編集]

  • 玉泉寺
  • 金剛寺
  • 岡本神社

学校[編集]

  • 栄光学園中学校・高等学校
[脚注の使い方]
  1. ^ 平成28年(2016年)版鎌倉の統計”. 鎌倉市. 2018年2月22日閲覧。
  2. ^ a b 鎌倉の人口と世帯数(地域・町丁・字別)”. 鎌倉市 (2018年1月26日). 2018年2月22日閲覧。
  3. ^ 郵便番号”. 日本郵便. 2018年2月22日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2018年2月22日閲覧。
  5. ^ 鎌倉市の町名称及び住居表示の実施状況”. 鎌倉市 (2017年2月7日). 2018年2月22日閲覧。
  6. ^ 鎌倉市教育委員会 1996 p.14
  7. ^ 鎌倉市教育委員会 2013 pp.1-7
  8. ^ 鎌倉市の市立小学校通学区域”. 鎌倉市. 2017年7月6日閲覧。
  9. ^ 鎌倉市の市立中学校通学区域”. 鎌倉市. 2017年7月6日閲覧。

参考文献[編集]

関連文献[編集]

  • 「巻之三 玉縄村」『新編鎌倉志』第5冊、河井恒久 等編、大日本地誌大系刊行会〈大日本地誌大系〉、1915年、79頁。NDLJP:952770/54

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