平井神社 (城陽市) – Wikipedia
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平井神社 | |
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平井神社本殿 |
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所在地 | 京都府城陽市平川東垣外79 |
位置 |
北緯34度51分55.54秒 東経135度46分27.89秒 / 北緯34.8654278度 東経135.7744139度 |
主祭神 | 神速須佐之雄命(牛頭天王) |
社格等 | 村社 |
創建 |
不詳 1733年(享保18年)に存在確認 |
本殿の様式 | 一間社流造 |
別名 | 平川牛頭天王社 |
例祭 | 10月7日 |
平井神社(ひらいじんじゃ)は、京都府城陽市大字平川字東垣外[1]にある神社である。旧社格は村社。
- 神速須佐之雄命(かむはや すさのおの みこと) – 江戸時代までは疫病に霊験あらたかな牛頭天王
- 竒稲田比売命(くしいなだひめの みこと) – 江戸時代までは頗梨采女か
- 八十猛命(やそたけるの みこと) – 江戸時代までは八王子権現か[2]
- の三神
創建年代は不詳。真言宗蓮開寺の配下として江戸時代中期の1733年(享保18年)には存在していた。当時は牛頭天王社と呼ばれていたが、1869年(明治2年)に現在の名前に改名。
平川地区の氏神として、古くから人々の信仰を集める。
- 本殿: 1645年(正保2年)建立。一間社流造。正面の柱に桃山時代風の彫刻
- 若宮神社: 江戸時代初期建立。一間社流造。正面の柱に桃山時代風の彫刻
- 鳥居: 1685年(貞享2年)再興。再興の年の刻印あり
- 神紋: 木瓜紋
- 末社
- 若宮神社
- 大国主神社
- 天満宮社
主な神事[編集]
- 例大祭: 10月7日
- 祈年祭: 3月 第2日曜日
- 新嘗祭: 3月 第2日曜日
- 御火焚祭: 12月15日
文化財ほか[編集]
- 京都府登録文化財
- 本殿と若宮神社 – 1987年3月登録。
- 鳥居 – 1987年3月登録。
- 京都府文化財環境保全地区
- 境内 – シイ・カシなどの古木の茂る境内として1987年3月に登録。
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平井神社鳥居
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境内
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境内
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参道
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由来等を記した説明板
- 近鉄京都線 久津川駅の西隣。
参考資料[編集]
- 境内設置の案内板他
- 久津川駅 – 字東垣外
- 浄土宗 (山号なし)[3]安養寺 – 東垣外[4]
- 真宗興正派 政所山浄圓寺(浄円寺、淨圓寺) – 東垣外[5]
- 城陽市立久津川小学校 – 平川指月。1889年の久津川村発足に伴い、浄圓寺境内を利用したのがはじまり
- 真言宗 蓮開寺 – 平川字指月。当平井神社(平川牛頭天王社)の神宮寺
- 指月塚古墳 – 平川指月(久津川古墳群)
- 久津川 車塚古墳 – 平川字車塚(久津川古墳群)
- 丸塚古墳 – 平川字車塚(久津川古墳群)
- 芭蕉塚古墳 – 平川字茶屋字裏
- 御拝茶屋八幡宮 – 平川茶屋裏[6]
- 赤塚古墳 – 円墳。平川廃寺跡に隣接(久津川古墳群)
- 平川廃寺 – 平川古宮
- 浄土宗 光明山本願院来迎寺 – 久世字南垣内[7]
- 芝ケ原古墳(群) – 寺田字大谷(久津川古墳群)
- 久世廃寺(跡) – 久世字芝ケ原。古代の廃寺であり、久世若王社(久世神社)の神宮寺の若王寺とは別。[8]
- 久世神社(神仏分離令以前の名称は若王社、久世若王社、華霊天神社) – 久世芝ケ原。社殿と若王寺内の仏像は西山浄土宗萬福寺(万福寺、南垣外)へ移動
- 若王寺 – 神宮寺。神仏分離令以降廃寺、のちに破壊[9]
- 大日堂(現存)
- 若王寺 – 神宮寺。神仏分離令以降廃寺、のちに破壊[9]
- 正道官衙遺跡 – 寺田字正道
- 式内 旦椋神社 – 宇治市大久保町北ノ山
- 大久保駅 – 宇治市広野町西裏
外部リンク[編集]
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