Month: April 2022

マルチタップ (コンピュータゲーム) – Wikipedia

マルチタップ(Multi tap)は、コンピュータゲームを複数人(特に3人以上)で遊ぶ際に、人数分のゲームコントローラを接続するために使用する周辺機器(ハブ)の総称である。最初のコントローラハブであるPCエンジンのマルチタップの商品名が一般名詞化したものである。 1987年に日本電気ホームエレクトロニクス(NEC-HE)が発売したPCエンジンでは、コントローラ接続用端子が標準では1個で、NEC-HEの純正で最大5個のコントローラが接続可能なマルチタップを使用することで最大5人まで遊べるようになる。これにより、ハドソンからは5人同時プレイ対応のアクションRPG『ダンジョンエクスプローラー』が発売された他、ナムコの『プロテニス ワールドコート』ではファミコンの『ファミリーテニス』では実現しなかった4人同時プレイによるダブルス対戦が可能になっている。また、NEC-HEからは1992年に無線方式で最大5人同時プレイが可能なコードレスマルチタップも発売されている。 1983年に任天堂から発売されたファミリーコンピュータの場合、コントローラは本体固定式のものが標準で2個接続されているが、一部のソフトではこれ以外に本体の前面にある拡張端子に別売のコントローラを接続することで、3人以上で同時にゲームをプレイすることが可能になる。ただし、初期のゲームでは別売のコントローラ(主に連射機能を備えたもの)はプレイヤー1のコントローラの代用品として使われることが通例であり、3人以上の同時プレイへの対応は1986年発売の『もえろツインビー シナモン博士を救え!』が初となる。 HAL研究所が1985年に発売したジョイスティック「ジョイボール」は連射機能の搭載で人気を博したが、このジョイボールを2人同時に使用するための別売り周辺機器「ジョイペア」がマルチタップとしては最古の部類に入るものとして知られている。1990年発売の『ダウンタウン熱血行進曲』の場合、この「ジョイペア」のプレイヤー1・プレイヤー2に接続したコントローラがそれぞれプレイヤー3・プレイヤー4に割り当てられる構造であった。 その後、1996年に任天堂が発売したNINTENDO64では本体に標準仕様で最大4個までのコントローラ接続端子が用意されるなど始めから多人数での同時プレイを前提にしたハードウェア設計が主流になって行く。また、2000年代後半に発売されたXbox 360、PlayStation 3(PS3)、Wii以降はいずれも本体とコントローラがワイヤレス接続となっており、特定のゲーム機専用のマルチタップに相当する周辺機器は発売されていない。Xbox 360やPS3のコントローラで有線接続を行う場合、接続端子部分は通常のUSBポートのため一般的なUSBハブをマルチタップとして使用する。 マルチタップの一覧[編集] 以下は、市販されたマルチタップの一覧である。原則としてメーカー純正品及びライセンス商品のみを記載する。 PCエンジン[編集] マルチタップ(日本電気ホームエレクトロニクス) – 端子5個。 バトルタップ(ビッグ・クラブ) – 端子4個。

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小野隆助 – Wikipedia

この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2018年6月) 小野 隆助(おの りゅうすけ、天保10年4月(1839年) – 1923年(大正12年)9月4日)は、日本の幕末から明治にかけての武士・政治家。筑前共愛公衆会会長。旧姓から三木隆助とも。 安楽寺天満宮(神仏分離令前の太宰府天満宮の旧名称)の社家のひとつである小野加賀家に生まれる。父親は小野氏伸、伯父は幕末の勤皇家真木保臣であるところから、和漢、尊王思想を修める。三条実美をはじめとする公卿五名が小野加賀家の邸に隣接する延寿王院に3年余滞在し、その間、小野加賀家も三条実美等の警護の士の宿舎となる。この延寿王院には公卿5名が滞在したことを示す碑があり、門前には西郷隆盛、坂本龍馬が訪れたと記す案内看板がある。幕末、神官、僧侶、農民で構成された討幕軍「勇敢隊」(隊長は大野仁平)の参謀として参戦。この際、三木五六郎という変名を使っていた。 戊辰戦争における戦功から筑前福岡藩士(馬廻り役)に取り立てられる。戊辰戦争には新政府軍の参謀として参加し、三条実美の密使になった。福岡全県での騒動である「筑前竹槍一揆」では鎮撫隊の隊長として農民の暴動を抑えている。さらに、江藤新平の佐賀の乱においても福岡藩鎮撫隊長としても出陣した。太宰府天満宮神官、筑紫中学校校長、第十七銀行取締役、筑紫、那珂、宗像などの郡長を経て、1890年(明治23年)の第1回衆議院議員総選挙では福岡県第二区から出馬し衆議院議員に玄洋社系として香月恕経(同選挙区)、権藤貫一(第三区)とともに初当選。第2回、第5回総選挙で当選し通算3期務める。1898年(明治31年)7月28日、香川県知事に就任し、同年12月22日、依願免本官となり退官した[1]。玄洋社社員。衆議院議員出馬にあたっては固辞するも、頭山満が強く説得しているが、その頭山満が評する人物像は「筑前西郷」と高い人望を集める。 後の中国特命全権公使の山座円次郎は中学修猷館の学生の時、小野に頼み込んで寺尾寿の書生にさせてもらい進学の夢を叶えた。 頭山満が始めた福陵新報(九州日報)設立に際し資金援助を求められる。日清戦争後、清国北洋艦隊の旗艦「定遠」の部材を使って自邸に「定遠館」を建てるが、現在も太宰府天満宮の境内に残っている。 ^ 『官報』第4646号、明治31年12月23日。 参考文献[編集] 太宰府天満宮広報誌『とびうめ』 筑紫豊『さいふまいり』西日本新聞社、1976年。 山口宗之『真木保臣』西日本新聞社、1995年。 内野富士雄『小野(三木)隆助詩碑』私家版。 頭山統一『筑前玄洋社』葦書房、1977年。 森弘子『太宰府発見』海鳥社、2003年。 栗田藤平『雷鳴福岡藩

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おはよう朝ラジ! – Wikipedia

『おはよう朝ラジ!』(おはようあさラジ!)は、2010年3月29日から2011年4月1日まで北陸放送で月曜日から金曜日の朝の時間帯に放送されていたラジオ番組。 番組概要[編集] 2010年3月29日に放送開始した自社制作のワイド番組で、同年3月26日に終了した『今日も“シャキ”っと』の後継番組である。また、一部コーナーは前番組から継続されているものがある。 『今日も“シャキ”っと』では、パーソナリティは男女ペアとなっていたが、この番組からは北陸放送の女性アナウンサーが単独で担当している。 2010年7月5日からは、終了時間が早くなり8:45での終了となった。同時に、9時台に放送された日替わりコーナーも廃止された。 9時に放送されている『げつきんワイド!おいね★どいね』が2011年4月に枠拡大するため4月1日をもって番組終了となった。 放送時間[編集] 月曜日~金曜日:7:30 – 8:45(JST) 2010年3月29日から2010年7月3日までは9:20で終了。 パーソナリティ[編集] リポーター[編集] 丸一都美(月曜・金曜) 多川吏江子(火曜) 川上陽子(水曜) 斉藤清美(木曜) タイムテーブル[編集] ※太字はネット番組。 7:35

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有料道路 – Wikipedia

有料道路(ゆうりょうどうろ)とは、その通行・利用に際して利用者から通行料を徴収することのできる道路である。 2007年時点での世界の有料道路延長は、推計で約14万キロメートル。そのうち約10万キロメートルが、中華人民共和国のものである[1]。 日本の有料道路[編集] 日本では、全国各地の高速道路をはじめ、橋やトンネル、観光地を走るドライブウェイ(観光道路)などに、その道路を利用する通行人に対して料金を徴収する制度がある有料道路がある。長大橋は建設するために多額の費用を要するところから、有料橋として建設されることが多い。また、長大トンネルも高速道路上に建設されることが多いため、新直轄方式で建設されたものを除いて有料である。有料道路の中には、通行料金を徴収して償還期間を終えたものは無料化されるものがある。 日本の有料道路の種類には、道路法による有料道路と、道路運送法による有料道路がある。事業主体もさまざまで、道路法による有料道路はもともと国や地方自治体などの公共団体、道路運送法による有料道路は民間会社によるものである。収入源となる通行料金の設定は、道路法上の道路では償還主義の原則により利用者に必要最低限の負担とするのに対し、道路運送法上の有料道路では適正な利潤となる料金設定が認められている。 自動車専用に指定された道路とされない道路がある。 歴史[編集] 江戸時代からすでに、五街道や脇街道などの街道筋で橋が架けられない大河川では、渡し船などにより通行料を徴収していたところがあったが、有料の道路として法で認められるようになったのは明治時代に入ってからである。 1871年(明治4年)に明治政府は「治水修治ノ便利ヲ興ス者ニ税金取立ヲ許ス」との太政官布告第648号により、道路・橋梁などを私財で建設して開設した者に対して、それらを利用する通行人から通行料を徴収することを認めた。当時はまだ自動車が走っていない交通手段が徒歩主流の時代であったが、この布告により、東海道筋の小田原市板橋 – 箱根町湯本山崎間:4.1キロメートル (km) が1875年(明治8年)9月25日に日本初の有料道路として開通した。この道路は、箱根湯本の福住旅館の館主で二宮尊徳の高弟・福住正兄が、湯治にきた福沢諭吉の勧めで建設したものである。 さらに1880年(明治13年)、静岡県にある旧・東海道の中山峠(金谷 – 日坂間:3,663メートル)が有料道路となり、約20年間にわたり通行人から通行料を徴収したという記録がある。また同年には、長野県大町市と富山県富山市を結ぶ立山新道も牛馬も通れる有料道路として開通している[要出典]。 それまで、太政官布告第648号以外に存在しなかった[7]有料道路の規程に加え道路運送法の前身である自動車交通事業法(昭和6年法律第52号)[8]により、自動車道事業が定義され、一般自動車道および専用自動車道の規定が設けられた。 日本に有料道路制度が設けられたのは、戦後日本の苦しい財政事情が背景にあり大いに関係している。1952年(昭和27年)に旧道路整備特別措置法(昭和二十七年法律第百六十九号)により創設された有料道路制度は、初めて通行する自動車から通行料を徴収する内容で、その第1号として認められたのが、三重県の参宮有料道路(宮川 – 松坂間:10.6 km)である。参宮有料道路は、1953年(昭和28年)に伊勢神宮の式年遷宮の際に建設されたもので、このとき自動車から料金を徴収する日本初の有料道路が誕生した。さらに、1954年(昭和29年)には、栃木県日光市にある奥日光へと通じる既存の坂道を改築して整備された日光いろは坂が有料道路として生まれ変わり、これが日本の有料道路制度の2例目である。

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下東康幸 – Wikipedia

下東 康幸(しもひがし やすゆき、1950年 – )は、日本の化学者、九州大学大学院理学研究院教授。 研究分野[編集] 専門分野は生物化学であり、特に神経ペプチドをはじめとする、受容体起動の分子機構の解明が主な研究テーマである。従来は女性ホルモン受容体を介して作用するとされてきた、環境ホルモンのビスフェノールA受容体の発見は重要な功績とされている。エストロゲン関連受容体γのヒト体内組織分布に関する論文は、掲載誌の引用論文トップ50にランクインした[1]。 受容体科学の権威であるイタリア国立衛生研究所(イタリア語版)のトマソ・コスタ (Tommaso Costa)(過去3年間文部省の国際学術研究)、福岡大学、神経生理学の権威であるカナダ・ダルハウジー大学のマイナーザーゲン (Ian A Meinertzhagen) などと共同研究している。また製薬会社と受容体拮抗薬の設計原理開発などの共同研究を行い、創薬、医薬診断の分子基盤創成への活用方法として連携を図っている。 発表論文は、原著論文が207、著書7、総説17、その他204報に及ぶ。 日本生化学会、日本化学会、日本ペプチド学会、日本比較生理生化学会、日本内分泌撹乱化学物質学会(環境ホルモン学会)、日本ケミカルバイオロジー学会、有機合成化学協会などに所属し、日本化学会においては2011年度の「学術賞・進歩賞」選考員会委員を務めた。 2011年4月より九州大学の学内共同教育研究施設として設置された「リスクサイエンス研究センター」のセンター長として「リスクサイエンス学」の基盤確立に努めることとなった。研究センターのフォーラムは一般公開され、内分泌攪乱物質(環境ホルモン)について広く啓蒙している。 受賞[編集] 平成23年度日本生化学会「JB論文賞」、日本生化学会、2011年10月 日本ペプチド学会・学会賞、日本ペプチド学会、2011年9月

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ダッジ・ストラトス – Wikipedia

ストラトス(Stratus )はクライスラーの一部門である「ダッジ」が販売していた自動車である。ランチア・ストラトスとの混同を避けるため、ストレイタスと表記される事もある。 ストラトスはJAプラットフォームをベースとしたセダンとして企画された。JAプラットフォームはニューヨーカーなどのLHプラットフォームよりも小型で、ミッドサイズとコンパクトの中間的な位置付けとなっている。北米では「ストレイタス」と発音される場合もある。 エンジンに、当時グループ会社であった三菱自動車製を採用しているのが特徴。 北米では「ダッジ」で展開され、欧州などその他の地域では「クライスラー」ブランドで展開された。 北米で「クライスラー」ブランドで販売されていたモデルは、デザインの意匠を変更し「クライスラー・シーラス」を名乗っていた。 初代モデルについては1995年に日本へも導入された。 2006年に生産を終了し、その役割を「ダッジ・アベンジャー」に引き継いだ。 ストラトスはJAプラットフォーム搭載車のダッジ版モデルとして企画された。 ビジョンよりひと回り小さいセダンボディが与えられている。同じJAプラットフォームのクライスラー・シーラス、プリムス・ブリーズは前後バンパーのデザインが異なる程度の姉妹車である。 当時クライスラーが推進していた「キャブ・フォワード」コンセプトに基づき、短いノーズと長めのキャビンを備えた滑らかなボディスタイルと個性的なフロントマスクを持つのが特徴である。 搭載されるエンジンは2.5リットルのV型6気筒SOHCで、最高出力は160PS。軽く触れるだけで自動変速を行うセミオートマのような機構が特徴で「オートスティック」と呼ばれるクライスラー独自の4ATが組み合わされた。 2代目は2001年にデビューした。プラットフォームはJAプラットフォームを進化させたJRプラットフォームを採用している。JRプラットフォームは三菱ギャランのプラットフォームを改良した物でもあった。 先代までのセダンに加え、クーペが追加された。姉妹車には「クライスラー・セブリング」がある。 デザインは先代のコンセプトを引き継いだ流線的なものであった。ストラトスは1990年代を象徴していたクライスラーの一連の「クラウドカー」[注釈 1]としては最後の1台となった。 クーペモデルに関してはプラットフォームを含め基本的な部分でエクリプスと共有しており、コンポーネントも少なからず共通となっている。 同一グループ内でセブリングなどの競合車種が存在していたため販売面では振るわず、クーペは2005年に、セダンは2006年に販売を終了した。 なお、メキシコでは、ターボチャージャを取り付けられたバージョン「ストラトス R/T」もラインナップされていた。

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富山地方鉄道T100形電車 – Wikipedia

富山地方鉄道T100形電車(とやまちほうてつどうT100がたでんしゃ)は、富山地方鉄道が富山軌道線用に2010年から導入を開始した超低床路面電車車両(LRV)である。現在4編成が運用中[1][2]である。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “富山地方鉄道T100形電車” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2015年6月) 富山地方鉄道富山軌道線の主力車両デ7000形の車齢が50年に及ぶことから代替車両としてアルナ車両のリトルダンサータイプUの進化型(タイプUa)を選定、国・富山県・富山市の補助を受けて2010年から導入が開始された。 愛称の「サントラム (SANTRAM)」は公募によって決定されたもので、2010年4月28日の運行開始時に発表された[3]。この名称は「『3』両連接」、「ポートラム(富山ライトレールTLR0600形電車)・セントラム(富山地方鉄道9000形電車)に次ぐ富山市内『3』番目のLRT車両』」、「太陽の英訳『sun』にあやかり、燦然と輝く前途に期待を込めて」[4]などの意を複合しての命名である。 富山地方鉄道富山軌道線には2009年にも超低床車両の9000形(セントラム)3両が導入されているが、これは富山市の所有で富山地方鉄道に貸し付けているものである。従って、このT100形が富山地方鉄道の所有する初の超低床車両である。また、富山地方鉄道の伝統の車番付与形式であるデ****形ではないことも特筆される。 車両は3車体2台車による連接車で、前後の車体に台車を装備、中間車体は前後の車体間に掛け渡されたフローティング車体となっている。 台車は独立車輪方式ではない二軸ボルスタレス台車であるが、台車が車体に固定され回転しない構造を採用したことにより、超低床車のネックとされる台車部での最小通路幅820mmを実現、狭軌軌道のデメリットを感じさせない仕上がりとなっている。 全体的な基本スペックは豊橋鉄道が2008年に導入したT1000形とほぼ同一であるため、車体デザインや車体長・ドア・窓の配置にいたるまで全く同一・同形であるが、前照灯回りの処理など細部にはオリジナルデザインも見られる。 内装に関しても座席配置や床面幅、車椅子スペース等ほぼ豊橋鉄道T1000形に準じたものとなっているが、運転席背面の停留所案内などの情報案内を行なうカラー液晶モニターの上部に、T1000形にはない富山市内線車両特有の文字案内表示装置、通称「見えるラジオ」を装備している。外装は白色のボディに、両サイドの窓の下には3編成それぞれ違う色のラインが入っており、T101が黄緑、T102が赤、T103が青、T104が黄[2]となっている。 主要諸元[編集] 導入経過[編集]

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オオカミウオ科 – Wikipedia

オオカミウオ科 ウルフフィッシュ Anarhichas lupus 分類 英名 Wolffishesseawolfocean catfishwolf eel 下位分類 本文参照 オオカミウオ科(学名:Anarhichadidae)は、スズキ目ゲンゲ亜目に所属する魚類の分類群の一つ。2属からなり、オオカミウオなど寒冷な海に生息する底生魚のみ5種が含まれる[1]。 分布・生態[編集] オオカミウオ科の魚類はすべて海水魚で、北部太平洋あるいは北部大西洋の冷たい海に分布する[1]。沿岸の浅い海から、やや深みにかけての海底で生活する底生魚の一群である。所属する5種のうち3種は大西洋産で、北アメリカやヨーロッパにおいて重要な水産資源となっている[2]。残る2種のうち、オオカミウオ Anarhichas orientalis のみが日本の近海にも生息する[2]。 肉食性で、貝類・ウニ・頭足類を主に捕食する。卵は雄あるいは雌によって保護される[2]。 ウルフフィッシュ(Anarhichas lupus)。本科魚類は発達した頭部と、先細りの細長い尾部が特徴である

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