奥山恵美子 – Wikipedia
奥山 恵美子(おくやま えみこ、1951年6月23日 – )は、日本の地方公務員、政治家。旧姓は熊地[1]。 2009年から2017年まで仙台市長を2期務めた。宮城県初の女性首長、政令指定都市初の女性市長である[2]。 1951年、秋田県秋田市生まれ。幼少期から国家公務員だった父親の転勤に伴い各地を転々とした[3]。秋田県立秋田高等学校に入学するが、2年生のときに岩手県立盛岡第一高等学校に転校する[4]。東北大学経済学部卒業後、仙台市役所に就職。市役所では後に生涯学習課長、女性企画課長、せんだいメディアテーク館長、市民局次長、教育長を歴任。副市長に在職中の2007年、仙台市教育委員会教員採用試験の合否通知をめぐる不正問題で渦中の人となった[5]。 2009年7月、民主党と社会民主党の支援を受けて仙台市長選挙に立候補し当選[6][7]、政令指定都市では初めての女性市長となった。 2012年、東日本大震災復興への取り組みが「持続可能な都市作りの模範」として評価され、ドイツ持続可能賞ファンデーションが主催するドイツ持続可能賞名誉賞を受賞した[8]。 2013年8月11日に行われた仙台市長選挙に立候補し再選を果たしたが、投票率は過去最低を更新した[9]。 2017年4月8日、同年7月に実施される仙台市長選挙に立候補せず、任期限りで引退することを表明した[10]。 後任は自公推薦候補の菅原裕典を指名したが、奥山と同じく女性の郡和子が当選した[11]。 仙台市長[編集] 東日本大震災[編集] 2011年3月11日に東日本大震災が発生し、仙台市は沿岸部の宮城野区・若林区を中心に甚大な被害を受けた。この際、窮状を報告していた被災地の各市町村長や、陣頭指揮をとりながら東日本大震災復興構想会議の委員も務める宮城県知事・村井嘉浩らとは対照的にリーダーシップが仙台市民に伝わらず、自身の後援者らに対して、「『知事はテレビに映るのに、市長が出てこないのは何故か』、『市長は病気でもしているのか』との苦情が市役所に寄せられている」[12]と明かしている。 2011年9月、程永華駐日中国大使と面会し、「被災地の子供を元気付けたい」として仙台市八木山動物公園へのジャイアントパンダ貸与を要請した[13]。奥山の要請に対し、中国の温家宝首相からは「積極的に検討したい」と返答が寄せられ、2012年6月にはMarching Jがパンダ飼育に必要な費用の支援を表明したため、市ジャイアントパンダ導入プロジェクト会議を設置し貸与に向けた準備に取り掛かった[14]。しかし、9月に尖閣諸島国有化が行われたことによる日中関係悪化に伴い交渉が不可能になり、仙台市議会や市民団体からも「パンダが政治利用される懸念がある」として反対意見が出されたため、交渉は停止状態になっている[15]。また、2011年11月に仙台市・石巻市を慰問したダライ・ラマ14世からの面会要請があった際には、「パンダ貸与のために担当者が奥山との面会を断った」と報道された[16]。 2014年8月、東北6県の商工会議所などの関係者と協議し、観光客誘致や特産品販路開拓のため東北六魂祭を海外で開催することを掲げ、アメリカ合衆国での開催を表明した[17]。また、2015年3月にはミラノ国際博覧会への参加が決定していると公表した[18]。 誘致活動[編集] 2011年5月17日、「震災の経験を世界に発信する責務がある」として国連防災世界会議の仙台誘致を表明し、18日には副市長を内閣府に派遣し本格的な誘致活動を始める[19]。1年間の誘致活動の結果、2012年12月の国連総会で国連防災世界会議の日本開催が決定し、2013年5月に仙台での開催が正式決定した[20]。仙台開催決定を受け、2014年3月からメイン会場になる仙台国際センターの拡張工事を開始[21]。12月に工事が完了し、3月に開催された国連防災世界会議に使用された。奥山は「大規模会合の開催可能なコンベンション都市としての機能を高め、交流人口の増加に繋げたい」としている[22]。
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