名鉄モ590形電車 – Wikipedia

この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2017年6月) 名鉄モ590形電車(めいてつモ590がたでんしゃ)は、かつて名古屋鉄道(名鉄)に在籍していた路面電車車両。1957年(昭和32年)に登場し、岐阜市内線・美濃町線などで2005年(平成17年)3月まで使用されていたものである。同路線廃止に伴い土佐電気鉄道(現・とさでん交通)へ譲渡され、同社590形として2005年(平成17年)12月より運行を開始した。 1957年(昭和32年)4月から同年11月にかけて、モ591 – 595の5両が日本車輌製造で新製された。基本的な設計は前年度に新製されたモ580形に準じているが、窓の上下寸法が拡大されたことや側窓が窓枠の細い鉄製サッシとされたこと、客用扉が扉窓Hゴム固定支持の鋼製扉とされたこと等により近代的な外観となった。1D4D4D1の窓配置や正面3枚窓はモ580形と変わりないが、運転台窓と行先表示幕がいずれも大型化されたことで印象は異なる。車内はロングシート仕様で、室内灯は蛍光灯を採用した。 主要機器は制御方式が直接式とされた点はモ580形を踏襲しているが、主電動機は出力が45kWに強化された東洋電機製造製のTDK535-1A型[注釈 1]を1両当たり2基搭載し、台車は住友金属工業製の一体鋳鋼型ペデスタル式のFS78A型を装備する。集電装置はモ580形584で試用されたパンタグラフを全車とも採用した。 その後の経緯[編集] 当初は岐阜市内線に投入されたが、モ591は1968年(昭和43年)以降美濃町線で運用され、他の4両も1971年(昭和46年)までに美濃町線へ転属した。同時に全車を対象に歯車比を4.5から3.05に変更し、専用軌道線における高速運転に対応させている。また、正面行先表示幕は登場後程なく使用停止となり、以降は行先表示板によって行先表示を行っていた。その後、モ880形の増備に伴い美濃町線系統の運用が新岐阜(現・名鉄岐阜)発着を基本とするようになると、同系統への充当が不可能であった[注釈 2]本形式は徐々に第一線から退くこととなり、1981年(昭和56年)以降モ593 – 595は運用から外れて休車となった。 ワンマン化改造[編集] 1983年(昭和58年)の美濃町線末端区間(新関 – 美濃間)のワンマン運転開始に伴い、モ591・592に休車中であったモ593を加えた3両がその対象となり、ワンマン運転関連機器の搭載を始めとするワンマン化改造が施工された[注釈 3]。その際、ワンマン化改造を施工された他形式は電照式の「ワンマンカー」表示器を正面窓下に取り付けていたのに対し、本形式では使用停止中であった正面行先窓に「ワンマンカー」表示を掲出した。なお、モ594・595については同年3月14日付で廃車となり、2両とも他社へ譲渡されることなく解体処分された。 その後は主に前述美濃町線末端の運用に就いていたが、1999年(平成11年)に同区間が廃止された後は、専ら徹明町 – 日野橋間の区間運用に就いていた。

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