花札 – Wikipedia

花札はなふだは、日本特有のかるたの一種。花かるた花がるたとも。今では一般に花札といえば八八花はちはちばなのことで、一組48枚に、12か月折々の花が4枚ずつに書き込まれている。

48という枚数は、一組48枚だったころのポルトガルのトランプが伝来した名残である。2人で遊ぶこいこい、3人で遊ぶ花合わせ、という遊び方が一般的である他、愛好家の中では八八という遊び方に人気がある。同じ遊び方でも地域によってルールが異なったり、地域独特の遊び方も存在したりするほか、海外にも伝播している。

日本にカードゲームが初めて上陸したのは安土桃山時代で、宣教師が鉄砲やキリスト教、カステラ等と共に伝えたとされる。ちなみに日本の「かるた(歌留多、骨牌)」の語源は、ポルトガル語でカードゲームを示す「carta」である。天正時代(1573 – 91)にはすでに国産のかるたが作られており、当時の札が一枚だけ現存する。江戸時代には、賭博という閉鎖性と当時の物品流通の実態から、日本全国に普及したカードゲームは、各地で様々なローカルルールを生み出し、そのローカルルールにふさわしいように札のデザインも変えていった。それらの札を「地方札」という。

かるたへの禁制は18世紀後半、安永のころから厳しさを増し、とくに寛政の改革では売買が厳しく禁止された。花札は、この禁制からの抜け道として考案されたと考えられている。それまで12枚×4スートであったものを、花札では数字及びスートの記号を隠すために4枚×12か月とし、図案には主に教育用に用いられていた和歌カルタをモチーフとした。しかし、花札もすぐに禁止された。現在残っている最古の禁令は1831年のものである[1]。また『摂陽奇観』によると、それ以前の1816年にすでに花合(= 花札)が禁止されており[2]、それ以前に花札が考案されていたと考えられる。

明治初期には相変わらず花札は禁止されていたが、1886年に販売が解禁され、同年に銀座の上方屋から花札とルールブックが発売された[3]。これ以降花札は大いに流行した。[要出典]1892年4月大審院児島惟謙ら裁判官の花札遊びが問題化し、6月起訴され、7月12日免訴となった(弄花事件)。その一方で1902年に「骨牌税」によってカルタ類が課税されるようになると、地方札を生産していた日本各地のかるた屋は倒産し、地方札は廃れていき、各地に伝わる遊び方も滅びていった。なお、任天堂は多くの地方札の原版を保有しており[4]、在庫があるものや、現在でも製造されているものがある。

2009年夏まで「松井天狗堂」が日本唯一の手摺り花札を製造していたが、2010年までに閉店。2016年12月5日に三代目・松井重夫が死去したことにより、花札を製造販売するメーカーの商品としての手摺り花札については、後継者がいない等の理由で途絶えた。

現在、花札を製造している企業としては、「任天堂」「田村将軍堂」「大石天狗堂」「エンゼルプレイングカード」などがある。

明治期に八八花の図柄はほぼ固定化されており、各メーカーとも新機軸を打ち出すことは少ないが、任天堂は同社が運営しているポイントのグッズ交換用の景品として、自社の主力商品となっているコンピューターゲームに登場する看板キャラクター「マリオ」をあしらった(通常の花札48枚のうち16枚の札がオリジナル柄)「マリオ花札(非売品)」を製造していた。2015年11月から装いを新たに、全ての札がオリジナル柄(景品版とは異なる)の「マリオ花札[5]」を商品化し販売しているほか、様々なキャラクターなどを用いたデザインの花札が、任天堂以外のメーカーからも製造販売されている。

「花札」の「花」は、花鳥がデザインされているためにこの名があるが、また本カルタ(南蛮系・天正系を源流にするもの)に対する代用品という意味もあるだろうという。花電車・花相撲などに使われている「花」の意味である[6]

諸説有るが、もともと歌かるたは上流階級の遊びであったとされ、幕府は下流階級の商人や町人が使用することを禁じたと言われている。[要出典]そのため人々は幕府の目を盗んで賭博行為などをするため、店の奥に賭博場などを用意し、店に入った最初に「鼻(ハナ=花札)をこする合図」をすると店主が「奥へどうぞ」と賭博場などへ案内してくれたという。賭博行為などで使用するという後ろめたさから、隠語的表現で花札の販売店には花=ハナ=鼻として「天狗」の面が掛けられていたことからパッケージにもイラストが描かれることになった一因とも考えられている。

日本各地の花札[編集]

八八花(はちはちはな)
日本全国で使われている花札。明治期に完成した。全国の地方札の図案を統一したものと言われている。特徴として柳のカス札が「太鼓に鬼の手」になっている。現在花札といえばこの八八花を指す。日本古来の組み合わせ(松に鶴、梅にうぐいすなど)や、他のカルタからの図案転用も見られる。「むし」という競技に使用する6月・7月の4枚×2か月を減らし、40枚構成(厚さは48枚構成に合致させているので少し厚い)にした「虫札」といわれるものも存在する[7]
北海花(ほっかいはな)
北海道で使われていたという花札。
越後花(えちごはな)
新潟県(主に中下越)、及びその付近で使われていたという花札。カス札上に古歌が記されている。柳の光札は雨中を歩く人物(傘で顔が見えなかったり、白拍子のような女性の絵柄もある)である。
『大役』『小役』(小役は詳細不明)という競技に使われたほか、八八花の代用にも使われた。現在では大石天狗堂から復刻版が販売されている。
越後小花(えちごこはな)
新潟県の上越および佐渡地方[8]で使われていた花札。一回り小さく、柳の光札は小野道風ではなく蓑笠・雨下駄を付けた狸が描かれており、柳に跳びつこうとするカエルはいない。「鬼札」という追加札が3枚あるのが特徴。
オランダロッテルダムに収蔵されている最古の越後小花は、越後花と同様に和歌が記されており、鬼札は一枚のみ。鬼札を使う遊び方が以前はあったらしいが詳細不明。昭和後期(1945~89)にも任天堂で制作、販売されていて、得意先は上越、糸魚川流域の色町の芸者衆であったと伝承されている[9]。現在では越後花と同様に、大石天狗堂から復刻版が販売されている。
越前花(えちぜんはな)
福井県で使われていた花札。謎が多い。
金時花(きんときはな)または阿波花(あわはな)
四国地方で使われていたという花札。金太郎の鬼札(ジョーカー)があることからこう呼ばれるようである。短冊札と素札(カス札)に月数が書いてある。ちなみに現在の徳島北東部が発祥地といわれているから「阿波花」の別名が付けられている。現在では大石天狗堂から復刻版が販売されている。
奥州花(おうしゅうはな)または山形花(やまがたはな)
山形県を中心として東北地方で使われたという花札。二枚あるカス札のうち1枚に黒点が打ってある。
花巻花(はなまきはな)
岩手県を中心として東北地方で使われたという花札。
備前花(びぜんはな)
岡山県を中心として使われたという花札。

外国に伝播した花札[編集]

大連花(だいれんはな)
中国大連在住の邦人が使っていたという花札。短札の背景に模様がついており、「赤短」「くさ」「青短」ごとに背景の柄が異なる。
花闘(ファトゥ:화투 / 花鬪 / hwatu)
朝鮮半島に李氏朝鮮末期に伝えられた花札。日本から最初に伝えられた製品は任天堂製の花札であるという。[要出典]
日本統治時代の八月札には、芒のうえの満月に「餅を搗く兎」の絵が描かれる[10]
現在はプラスチック製で、商標が桐ではなく、薄の光札(20点札)の満月内に書かれている(メーカーによる)、藤の札が逆向きになっている(これもメーカーによる)といった細かい違いがある。赤短には「紅短(ホンダン、홍단 / 紅短 / hongdan)」・青短には「青短(チョンダン、청단 / 靑短 / cheongdan)」という字がそれぞれハングルで書かれている。光札には漢字で「光」と書かれた赤い丸印が入っている。また桐を11月、柳(雨)を12月とみなす。ほかにパックの中に柳のカス札の予備や、ジョーカーに似た特殊なカス札がはいっていることがあるが、実際のゲームには使わないことも多い。特殊なカス札は、手札やめくり札の中に出てきたら、それを自分の取った札に追加して(カス2枚または3枚に相当する)、山からもう一枚引くことができる。日本では伝統的なカードゲームといった地位に落ち着いている花札であるが、韓国では現在でも「3人集まれば必ず花札をする」と言われるほど人気があり、「国民ゲーム」と称されるほどである。
こいこいを元にした「ゴーストップ」がもっとも盛んであるが、ほかに六百間や、おいちょかぶ系統の「ソッタ」なども行われる。花札は延辺朝鮮族自治州などの中国:の間でも行われている。戦後、韓国で花札賭博が横行し社会問題になったほか、北朝鮮では花札は禁止されているという。
ハワイの花札
各札の点数や、どの役に使えるかを示すインデックスが札の上に書かれていることがある。ハワイでは短冊が10点・日本で通常10点とする札が逆に5点になる。また、柳に小野道風の札も5点と数える。カス札は0点である。ハワイの花合わせは「さくら」と呼ばれ(肥後花とも)、不如帰・八橋・猪(クサと同じ月の5点札)のように、見慣れない役がある。

花札トランプ[編集]

花札・株札(10月までを使用)・トランプのいずれにも使えるもの。任天堂はじめ複数の製造業者で作られている。13月=閏(雪)は八重垣姫(光)、竹に雀(タネ)、黄短冊(タン)、黄雪[11]の4枚、0月=ジョーカー(蓮)はカス札2枚。何も書かれていない予備の白札。業者によってはキングとジョーカー用のタネ札の絵柄(虎や龍ほか)や花種、短冊の文字(「さゝめゆき」など)が異なる。

花札の絵柄は以下の通り。札の名称や漢字はもっとも一般的なもの。「短冊・赤短・青短」は「丹札・赤丹・青丹」とも書く。

なお、札の絵は昔は手書きだったものもあるので細かい違いは多数あるが、現在よく見られる任天堂などの札と構図が大きく違うものは特筆した。

絵柄に関する注釈[編集]

  1. ^ 現存最古の江戸時代中期の花札では短冊は紐で枝や茎などにぶら下げられた構図で、青短冊は青(紺)だが赤短冊は白っぽい(太陽・幕の一部・盃や植物の赤色はそのまま残っている)もので文字なども書かれていなかった、明治の初期に桜の短冊に「みよしの」と書かれたものが現れるが、松や梅が「宇良す(うらす)」、立三本の役が成り立つ月(藤・菖蒲・萩)の短冊に「たてさん」、すべての短冊に「〇月(1月は正月)」表記など、最初のうちは様々なパターンが存在した。また明治時代中期ごろから紐が省略されて短冊が宙に浮いた様な現在の構図になった。
  2. ^ 現在の札は「松の隙間から鶴が見える」だが、現存最古の江戸時代中期の札では「松の手前に鶴がいる」という構図だった。
  3. ^ a b 「あかよろし」と書かれている。(「の」のように見える2文字目は「可」の草書体、いわゆる変体仮名の「か」(Hiragana KA 01.png)である。)「明らかに良い」という意味。
  4. ^ 江戸時代中期では鶯の札のみ紅梅で後は白っぽい花だった。
  5. ^ 現在の花札ではこの鳥の背中側の体色が鮮やかな緑でメジロに似ている(ただし目は赤い)ものが多いが、江戸時代中期の花札ではかなり鈍い色(菖蒲や桐の葉よりも黒っぽい)で実際のウグイスに近い色だった。江橋崇・著『花札』のカラー口絵3によると、明治24年以前には現在のカラーリングのものが出現している。
  6. ^ 「みよしの」と書かれている。古くから桜の名所とされた、奈良県吉野地方の美称である。
  7. ^ 黒豆(くろまめ)とも言う。ただし江戸時代中期の頃はかなり淡い花の色で後期頃から色が濃くなってくる。
  8. ^ 江戸時代中期の花札では背景が無く藤の花とホトトギスのみだった。その後明治時代前期に赤い雲が現れるようになり、明治20年代頃に現在の「赤い三日月」が出現するようになった。
  9. ^ 八橋とは愛知県知立市にある地名である。構図は杜若の名所で知られる無量寿寺の庭園に因み、在原業平の歌でも有名である。もっとも花札では菖蒲と呼んでいる人が多く、杜若と菖蒲が混同されている。
  10. ^ 江戸時代中期の頃は得点札は白牡丹、カス札は紅牡丹のものと紅白2本という構図だった。
  11. ^ 赤豆(あかまめ)とも言う。ただし江戸時代中期の頃はかなり淡い花の色で後期頃から色が濃くなってくる。
  12. ^ 「薄」とも書く。坊主(ぼうず)とも言う。 現在のものは芒の丘だが、江戸時代中期の頃は芒の原の構図だった。
  13. ^ 現在のものは「真っ赤な夜空」というものが主流だが江戸時代中期の頃はほぼ紙の地色で月に色を塗ってあるだけだった。江橋崇・著『花札』P124-125ではこれの変化について詳しく述べられており、「無地or薄青(初期)→黄色or薄紅(幕末)→真っ赤(明治)」と変化したとされる。
    また印刷の都合で木版合羽刷り時代は下か左端の裾が隠れた月(三日月の場合もある)だった(白は印刷しない部分の色なので木版合羽刷りでは周囲を塗ってそこだけ残すのが難しかったため)(同書P125)。
  14. ^ 江戸時代と現在は3羽の雁が「く」の字に飛んでいるが、明治20年代頃の一時期漢数字の「三」のように並列に並び空を覆いつくすように飛ぶ姿に描かれ、このため雁は大きな鳥とみなされ、鶴と鳳凰の札の3枚で「大鳥」という役があった。
  15. ^ 江戸時代中期の頃はカス札の1枚(赤菊)以外白菊だった、江戸時代後期頃から黄赤の花のものが現れてくる。
  16. ^ 無視したりすることを意味する隠語の「しかと」は、この絵札が語源と言われている。10月の札で鹿が横を向いているので「鹿十」(しかとお)に由来するという説がある。
  17. ^ 雨(あめ)とも言う。
  18. ^ 古くは「柳に番傘をさして走る奴」(斧定九郎説があるが、江橋崇は自書の『花札』P129で「定九郎の特徴は浮世絵などでも『長脇差』であるのにそれを描いた花札がない」と否定している)だった。明治時代中期から傘をさして蛙を見ている小野道風になっている。
  19. ^ 現在は「黄色に赤」と派手な色の燕になっているが、江戸時代中期の頃は普通の燕の色(黒で喉が赤い)だった。
  20. ^ この札のみ他の雨札とデザインが大きく異なるが、江戸時代~明治初期の頃は他のカス札同様に「柳の木だけ描かれている」という札であった。明治20年代前半にべったり赤を塗るようになり、明治20年代後半には背後の絵が「晴れた柳の木」から「雨の降る中で『雷光の太鼓釣り』」に代わった。
  21. ^ 桐のカス札のうち1枚にはよく製造元が印刷されている(例:任天堂など)。桐のカス札の1枚は色違いとなっており、ゲームの種類によっては特別な点数を持つ。

花合わせおよび八八では、札の点数は以下の通りである。

種類 枚数 点数 備考
5 20 松に鶴、桜に幕、芒に月、柳に小野道風、桐に鳳凰
9 10 動物や鳥の描かれているもの、菖蒲に八橋、菊に盃
短冊 10 5 短冊の描かれているもの
カス 24 1 植物だけが描かれているもの(0点とする場合がある)

この点数がもっとも一般的だが、地域やゲームの種類によって札の点数は異なる。例えば、六百間では光および「梅に鴬」は50点、短冊と桐の黄色のカス札は10点、カス札は0点として計算する。ただし青丹3枚あるいは文字入りの赤丹3枚を揃えると加点がある。
ややこしいケースでは「すだおし」というルールでは手役の時点ではカス・5・10・20点判定は八八のものを使用し[18]、競技開始後は「短冊札=1点」、「動物や鳥の描かれているもの(桜に幕・桐に鳳凰除外)=5点」、「植物だけ+桜に幕・桐に鳳凰=10点」と計算する。
また、こいこいでは役を作る時にどれがタネでどれがカスであるかの区別が必要なだけで、得点を計算するときは札の点数は無視される。

植物の種類と月名との対応[編集]

もっとも普通に行われている「めくり」系のゲームでは、植物と月名の対応に関する知識はほとんど必要ないが、おいちょかぶを花札でやる場合には月名との対応を覚えていないとプレイできない。

月名は旧暦によっている。しかし、「柳に燕」や桐のように季節に植物が一致しないものがある。

地域やゲームの種類によっては、上の表とは異なる対応になっているものがある。たとえば、ひよこでは、柳が2月、桐が6月、牡丹が11月、梅が12月である。これは名古屋地方では一般的な対応であった[19]

競技種目、競技方法[編集]

めくり系[編集]

場札と手札を合わせ、さらに山札をめくって場札と合わせるもの。合わせた札は自分のものになる。取った札によって役を作ることができる。花札のゲームとしてはもっともよく行われている。

イタリアのスコパ・英語圏のカシノや、中国で牌九牌を使った釣魚・トランプを使った撿紅点というゲームに類似している。

かぶ系[編集]

札の月の合計の1の位を9に近づけるもの。バカラ・牌九などに似ている。株札を使う地域もあるので、株札のゲームもここに含めた。

きんご系[編集]

札の月の合計を15以下で最大の数に近づけるもの。広義のかぶ系であり、かぶ系に含める場合もある。ブラックジャックに似ている。

よみ系[編集]

台札に対して、1つ上の月の札を出していき、手札を早くなくした側を勝ちとするもの。トランプの「ポープ・ジョーン」などに類似する。

花札の不正行為[編集]

俗に言うイカサマやインチキ。

目じるし
特定の札に傷や染みなどの細工を施す、俗に言う「ガン札」。厚みを変える「あつうすガン」、手触りを変える「ざらすべガン」等がある。
さくら
競技に参加していない第三者が、競技に参加している者と組んで対戦者の手札を覗き、それを相手に手振りなどの動作で伝える行為のこと。
尻のぞき
山札の一番下を覗き見る行為のこと。

特定のゲームでのみ使用する用語は除く。

札を合わせる段階で最初に札を出す人。
胴二
札を合わせる段階で二番目に札を出す人。「ナカ」とも言う。
ビキ
札を合わせる段階で3番目の人。古くは「大引(おおびき)」と言った。
のぞむ
切った札の上下を入れ替える(カットする)こと。胴二が行うことが多い。
まく
札を配ること。ふつうは親が行う。
サシ
ふたりで競技すること。
手役
札を合わせはじめる前の手札によって決まる役。
出来役
札を合わせはじめてから取った札によって決まる役。

脚注・出典[編集]

  1. ^ 尾佐竹 1925, p. 197
  2. ^ 浜松歌国 (1833)『摂陽奇観』巻46(文政二年)「当春花合停止、武蔵野ともいふ歌留多也」
  3. ^ 竹窓山人 (1885)『花がるた使用法』 上方屋. (国会図書館近代デジタルライブラリー)
  4. ^ 教えてエラいひと!!/トランプ以外についても教えて!! 〜花札、株札、サイコロなど〜”. 任天堂. 2020年9月26日閲覧。
  5. ^ マリオ花札任天堂 その他の商品 花札・株札
  6. ^ 尾佐竹 1925, p. 208
  7. ^ 渡部小童 編『花札を初めてやる人の本』株式会社土屋書店、2010年。 ただし、通常の花札でも該当の札を抜けば遊べる。
  8. ^ 新潟県は直江津以西(律令初期は越中国。『奥の細道』でも「越中市振」と記す)で文化・言語が変わる。佐渡と西頚城は電力も60Hzで、JRも西日本(金沢車掌区。新幹線も上越妙高で乗務員の交代がある)に属す。
  9. ^ 上越市高田区の花街(旧・高田市・田端)の料亭「宇喜世」(国の登録有形文化財指定)では複数の「田端芸妓(げいぎ)」が現存する。
  10. ^ 『近代カルタ文化の研究』より「(二)植民地朝鮮における花札の流行」(日本かるた文化館)
  11. ^ 八重垣姫は上杉謙信の娘(創作・『本朝二十四孝』など)、黄色は藤原氏(信長の黄色の幟に織田木瓜が有名)、「竹に雀」の家紋は伊達家も使用。
  12. ^ a b c d e f g h i j k l 江橋崇・著『花札-ものと人間の文化史-』法政大学出版局、2014年、カラー口絵1。
  13. ^ 江橋崇・著『花札-ものと人間の文化史-』法政大学出版局、2014年、P71-77・132-133・220-221・231-232。
  14. ^ 江橋崇・著『花札-ものと人間の文化史-』法政大学出版局、2014年、P132。
  15. ^ 江橋崇・著『花札-ものと人間の文化史-』法政大学出版局、2014年、P126-127。
  16. ^ 江橋崇・著『花札-ものと人間の文化史-』法政大学出版局、2014年、P127。
  17. ^ 江橋崇・著『花札-ものと人間の文化史-』法政大学出版局、2014年、P128。
  18. ^ 例えば「植物だけの札が6枚+光札1枚」なら「20点が1枚で残りがカスなので光一」とする。
  19. ^ 司法省調査課『名古屋管内賭博要覧(司法資料第121号)』、1927年、8頁。 (国会図書館近代デジタルライブラリー)

参考文献[編集]

関連項目[編集]

総論

製造会社

かるた類

外部リンク[編集]