在トルコ日本国大使館 – Wikipedia
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在トルコ日本国大使館(トルコ語: Japonya Büyükelçiliği, Türkiye、英語: Embassy of Japan in Turkey)は、トルコの首都アンカラにある日本の大使館。2020年9月16日より、鈴木量博が特命全権大使を務めている[1]。
戦間期の一部に当たる1925年から1937年にかけては、首都アンカラではなく最大都市イスタンブルに設置されていた[2]。
- 1921年、在オスマン帝国日本帝国公使の内田定槌が、日本の全権公使としてオスマン帝国の首都イスタンブルに赴任する[3]
- 1922年11月1日、アンカラのトルコ大国民議会により、スルタンのメフメト6世を後継者への譲位なしに退位させることが議決される[4]
- 1922年11月17日、スルタンのメフメト6世が公式には退位を認めないままトルコを捨てて亡命する[4]
- 1923年10月29日、ローザンヌ条約によりトルコ共和国の成立が国際的に承認される[2]
- 1924年8月6日、日本がトルコ共和国を承認して、日土間の国交が樹立される[2]
- 1925年3月23日、オスマン帝国時代の旧首都にしてトルコ最大都市でもあるイスタンブルに在トルコ日本帝国大使館が開設される[2]
- 1937年10月27日、在トルコ日本帝国大使館が首都アンカラに移転する[2]
- 1945年1月6日、大日本帝国とトルコの国交が断絶される[5]
- 1945年2月23日、トルコが日独両国に宣戦布告する[5]
- 1945年8月15日、第二次世界大戦の敗戦により大日本帝国が崩壊[6]
- 1952年4月12日、来たる日本国の独立に先駆けて「在外公館の名称及び位置を定める法律」が制定され、在トルコ日本国大使館の設置が定められる[7]
- 1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約の発効により日本国が独立、トルコも同条約締結国のうちの一国[8]
- 1952年5月14日、トルコ大国民議会がサンフランシスコ平和条約を承認する[5]
- 1953年7月4日、在トルコ日本国大使館が開設される[5]
著名な在勤者[編集]
- ^ 中国大使に垂氏 ドイツ・柳氏、トルコ・鈴木氏:時事ドットコム
- ^ a b c d e トルコ基礎データ | 外務省
- ^ IV 交流の深まり―1920年代から30年代― | 外務省
- ^ a b 日本大学文理学部人文科学研究所『研究紀要 46号』(1993年)所収の粕谷元による論文「オスマン帝国はいつ滅亡したのか」
- ^ a b c d 日本とトルコの友好の歴史 | TRT 日本語
- ^ 山田朗「日本の敗戦と大本営命令」『駿台史学』第94号、明治大学史学地理学会、1995年3月、 132-168頁、
ISSN 05625955、 NAID 120001439091。
- ^ 法律第八十五号(昭二七・四・一二) | 日本国衆議院
- ^ VI 平和条約の批准・発効
- ^ a b 大使館案内 : 在トルコ日本国大使館
- ^ Büyükelçilik : Japonya Büyükelçiliği, Türkiye (トルコ語)
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
座標: 北緯39度53分39.5秒 東経32度52分11.7秒 / 北緯39.894306度 東経32.869917度
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